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大学院進学を悩む人に。

何かにトリツカレタかのように登山を続ける人がいます。実は山がその人を見つけ出して呼びだしたのだとも言えるのです。山が来いと命じている。その場合は自分の宿命であり、損だと見えていてもどうしても避けがたい。

体力的精神的にとても厳しい行路にかかわらず、それでも頻繁に登山へ出かける人を見ると、「人が山に登る選択をした」というより、やっぱり「山がその人を登山者として選んだ」と思わされます。人が止めても、行ってしまうのですから。「山に魅せられた」ということは「山が呼んだ」のです。これは、基礎学問の研究も同じです。

修士課程、博士課程進学に関して悩む若い人に。大学に残って研究するとかしないとかは本質ではないのです。基礎学問の「山」が、その人を見つけ出して、一生の奉仕を命じるだけのことですから。その奉仕の内容は単純で分かりやすいです。つまり時間を見つけてはその「山」に登り続けるということ。そういう様々な「山」が待ち構えているのが、大学院や研究人生です。

窮屈であれば、その人はきっと社会にある他の「山」が呼んでくれているのかもしれないし。今の「山」に魅力を感じなくなれば、どんどん他の「山」に出かけて登ってみたほうがいいと思います。人生の中で自分を呼んでいる「山」が見つかれば、とても幸せなことだと思うのです。ただその声を聴くにも、その奥にある本当の魅力を知るにも、時間はかかるものです。

人生のパートナーとの出会いと同様で、一生取り組んでも悔いのない研究テーマとの出会いは簡単にやってくるわけでもないでしょう。修士課程で見つからなかった人でも、博士課程やポスドク時代に見つける(問題に見つけられてしまう)人もいます。その出会いを待てる楽観論や、運の良さという素養を持つ人は、研究者向きとも言えます。

研究職向きの人の条件としては、他にもあります。「このテーマは面白い!そして自分が見つけたこの結果はとても面白い!」と自分で思ったら、それを人に伝え歩くバイタリティ。最初は人から理解されないことも多いわけですが、それにもめげずに、自分が面白いと思ったことを、「面白い!」と言い続けるエネルギーのある人です。

例えIQが高い人でも、研究者向きではない場合もあります。また物理への愛が半端なく強くても、基礎を疎かにして、簡単な計算もできない人もいます。先入観や劣等感のメガネをかけずに、まず自分に向き合うということで進路も見えてくるのはないでしょうか。

たとえ数学や物理学のオリンピックで入賞したとしても、本当の研究者の資質があるかは別問題。その辺りも物理学徒はよくよく自分を観察してみるのは大切だと思います。自分がやりたいのは実は研究そのものではなく、youtube等のメディアを通じたものも含めた教育や科学コミュニケーションなのかもしれません。

やはり涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからないだろうし、人生の本物の素晴らしさもわからないものです。世界は広く、体験すべきことは沢山あるのですから、若い人にはこの世界を十分に感じられるよう、自ら世界の冒険に出ることをお勧めします。

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