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量子力学における基底選択問題とフォンノイマン鎖の終端の「意識」

量子力学は確率分布に基づいた情報理論の一種であり、またその確率は指定された観測者にとっての対象系の情報を意味しています。観測者たちが持っている対象の事前情報に応じて、対象系のその確率は変わります。ですから観測の主体である観測者の<私>という視点が、情報理論には極々自然に入ってきます。その観測者は、互いに同時には起き得ない対象系の事象の候補の中から、各時刻にただ1つの事象が選ばれる背反的な体験を常にしています。多数の事象から1つの事象が観測で選ばれることにより、その観測者にとっての対象系の確率分布、そしてその確率分布の集合である状態ベクトルや波動関数が収縮を起こします。この収縮を起こさせる観測者の<私>が、フォンノイマン鎖の終端である「意識」なのです。

前世紀初頭にフォンノイマンは、連なる観測者や測定機の終端にこの「意識」を導入しようとしましたが、当時は量子力学を実在論で理解しようとしていた人が多く、その彼らからフォンノイマンは激しい反発を受けました。

量子力学は実在論ではなく、情報理論であるという現代的理解が成されている現在でも、フォンノイマン鎖の終端が「意識」であるという点に抵抗をする人がもし居れば、その人は次のように考えてみてはどうでしょうか?

まず図1のように自分も含めた観測者は、多数の素粒子の集まりに過ぎない、マクロな量子系です。このスタート地点に反発する人はいないかと思います。

図1

その素粒子の集まりである観測者の自分は、例えばじゃんけんでグーを出す状態とチョキを出す状態を、ハッキリと自分で区別できますよね。その区別を認知認識している主体が、量子力学における「意識」です。そしてこの状態は、それぞれ或る基底系の2つの直交基底ベクトルで記述されます。この基底系が意識基底系です。

この観測者をSとしましょう。そしてその「観測者S」という名の素粒子群の任意の純粋状態は、この意識基底系を使って次のように展開することができます。一般には重ね合わせ状態ですが、Sの「意識」は、それぞれの基底ベクトルにおいてグーかチョキかのどちらか1つだけを意識しています。

この線形重ね合わせ状態は、別な外部観測者Oにとっての、観測者Sの量子状態です。でも対象となっている観測者Sの「意識」では、同時にグーとチョキは出せませんし、出していません。この事象の排反性をSの「意識」はこの状態で体験をしています。この点は、所謂シュレディンガーの猫の状態と同じです。

この観測者Sは外部の観測者Oにとっては、所詮素粒子の集まりです。そしてOにとっては、Sの状態ベクトルをこの「意識基底」系ではない、他のどの基底系でも展開することも可能です。例えば下記のようなSの別な基底系をOは使うことも可能です。

つまり同じSの状態ベクトルを、Oは元の意識基底系で展開もできるし、この別な基底系で展開することもできます。この外部観測者Oにしてみれば、こっちの基底系でこの観測者Sの「意識」が働いていても、別に不思議でないのです。つまりOにとっては、Sの基底系を選ぶ原理は特に存在していません。Sの1つの基底系が選ばれることなく、基底系の避けがたい選択自由度が依然として残っていることを「基底選択問題」と呼びます。

でも繰り返し強調しますが、対象の観測者Sにしてみれば、自分ははっきりとした「意識」を持っていて、どの状態でもグーかチョキかのどちらか一方しか出していないと思っているのです。このことは確かに他の基底系に比べても特殊な、ただ1つの「意識基底系」がこの観測者Sの素粒子群には存在をしていることを意味しています。また「意識基底系」の存在は、その前提としての「意識」の存在を意味しています。

でも観測者Sの意識基底系は、Sを取り巻く環境系Eとの相互作用が自動的に選択をしているのではないか?と思う人も居るかもしれません。例えばSとEの相互作用の結果として、SとEの合成系が次のような純粋状態に自動的になれば、Sには先ほどの意識基底系が選ばれているようにも見えます。

この状態においてSの縮約状態の密度行列は、この基底系で完全にデコヒーレンスを起こしています。環境系Eとの相互作用によって生じるSの完全なるデコヒーレンスを基準にして、Sの基底系が1つに選ばれるこのシナリオは、アインセレクション(einselection)と呼ばれることもあります。このアインセレクションは一見魅力的にも感じますが、実はうまくいきません。

量子力学では、SとEの合成量子系の一般的な純粋状態を常に考えることができます。この場合に下記のような状態ベクトルのスペクトル分解を考えても、そこに出てくるSの基底系は、先の意識基底系とは一般には一致しないのです。

スペクトル分解なので、SとEとの状態に間には完全な相関がありますし、またS系の縮約密度行列は完全なデコヒーレンスを起こしていますが、その基底系は元の意識基底系には一般にはなってません。デコヒーレンスを考えても1つに基底系が選ばれないことが、アインセレクションがうまくいかない理由です。

結局、Sを「意識」のある観測者だとすると、意識基底系が元々Sの素粒子群に与えられている必要があるのです。環境系が自動的に意識基底系を指定するという事実はありません。

互いに排反な事象のうちの唯1つだけを感じている、この「意識基底系」の存在こそが、フォンノイマン鎖の終端に「意識」を置く必要性を与えているのです。事前にこれが「意識」の基底であると指定をするということは、その「意識」の存在も事前に仮定しなくてはいけません。

従って、どうしても観測主体である「意識」の存在を、量子力学の公理の中に入れておく必要があるのです。ここまで説明しても「意識」は要らないという人がまだ居れば、この基底選択問題にきちんとした解答を与えないといけませんが、これまで広く認められた合理的な解答は存在していません。

なおフォンノイマン鎖終端の「意識」を飽くまで入れたくないと願う人によって、次のように主張される場合があります。量子的な対象を観測するのは誰ですか?という質問に対して、それは意識を持たない観測機自体だとするのです。しかしこの解答はやはり矛盾をはらんでいます。

この矛盾を見るために、例えば量子ビットCを観測する、観測機をTとして、下記のようにCNOTゲートを考えてみます。現実のTはマクロな多準位系ですが、ここではその準位の中から互いに直交する2つの状態を指定することで、Tを2準位系として扱えます。

ここでCの初期状態として、次の任意の純粋状態を考えてみましょう。

Tの初期状態は|0>とします。この合成系の状態がCNOTゲートを通過すると、下記のような量子もつれ状態になります。

「意識」を持たない観測機Tを「観測者」としたい人は、この式をもって「観測機Tが、対象系Cが|0>か、または|1>かにあるのを観測した。」と主張するのですが、それは上のSとEの合成系での話と同様に間違いなのです。

それは上で述べた基底選択問題のためです。CNOTゲートから出てきたC+T系の状態は、飽くまで状態収縮が起きていない重ね合わせの状態であり、それをどの基底系で展開するかの自由度がまだ生き残っているからです。

例えば下記の基底でゲート通過後のTの状態を展開し直すこともできます。

観測機Tには|+>と|ー>という別な基底ベクトルが出てくるのですから、対象系Cの「観測されたはずの状態」も先とは異なります。つまり同じ結果を、今度は観測機Tが対象系Cを別な基底で観測したと解釈せざるを得ず、矛盾が生じるのです。

結局、上のSとEの話と同様に、状態ベクトルの収縮を起こさない「意識」を持たない観測機モデルでは、どの基底で対象系Cを測ったのかが決まりません。ですから、排反事象から1つの事象を取り出す観測には成っていないのです。

本当の観測を考えたいのならば、観測機Tの結果を読み出して認知をする「意識」を持った外部観測者を仮定するか、もしくは観測機Tが|0>と|1>の基底に基づいた「意識」を持っていて、Cの状態に収縮を起こすとするしかありません。結局フォンノイマン鎖終端の「意識」が出てくるのです。


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