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ロシア料理店「ハルビン」のフィッシャーマンズパイ

まずは、世界初の保険会社「ロイズ」誕生の歴史にいきなり脱線する。


1600年代、テムズ川を多くの船が往来するようになったロンドンでの話。

コーヒーハウスがイスラム世界からヨーロッパに広がり、1650年、イギリス・オックスフォードに初めてのコーヒーハウスができる。1686年、ロンドンの港で船員向けの24時間営業のコーヒーハウス「ロイズ・コーヒー店」をエドワード・ロイズが開店する。

海難事故が多かった時代、船乗り、商人、船主がこの店に集まり情報をやり取りした。そこで役に立ったのが、航路や出入港の情報、求人、経済概況などをまとめたロイズ・リスト。店主の顧客サービス。コーヒー店が情報のハブになっていたのだ。

1713年、ロイズ・リストの発刊を存続させる形でコーヒー店から離れて、保険共同組合「ロイズ」が結成され、世界初の海上保険会社が誕生した。

宮崎正勝著「商業から読み解く新世界史 古代商人からGAFAまで」から要約



さて、そのロイズ保険、長崎に支店があった。長崎はグラバーら貿易商が活動した港街で、日本初の近代造船所ができた。イギリス人やロシア人などの外国人居留地があったところだから、海上保険の需要は高かったのだろう。

その長崎に、ロシア料理の名店「ハルビン」があった。惜しくも2020年に閉店してしまったのだが、あの時の喪失感は大きかった。長崎の街に散りばめられた宝石のひとつを失ってしまった気がした。

ハルビンの店内は、アンティークの調度品が重厚で、オープンすぎず適度な隠れ家感があった。入ると外国に紛れ込んだようで、居心地がよく、料理は絶品だった。赤いスープのボルシチの具材はトロッと柔らかく、自家製のピロシキやパンは他では食べられない本格的な味。デザートもチマチマしていない、好みの見た目と味。

なかでも、フィッシャーマンズパイがお気に入りだった。タラなどの白身魚をほぐして、マッシュポテトや乳製品などを混ぜてオーブンで焼かれていたと記憶している。

フィッシャーマンズパイのイメージ

パイ生地を使っていないのに、パイ。どちらかというとグラタンに近い。

表面には軽くチーズが乗っていたと思う。乳製品が主張しすぎず全体の味はあっさりしているのだけれど、タラの風味が活きていて、白ワインに合う味。これが絶品だった。

タラといえば、ポルトガルでは国民的な魚で、365種類以上の調理法があると言われる。戻した干しタラを小さく裂いて、細切りのじゃがいも、卵と一緒に料理したバカリャウ・ア・ブラスとフィッシャーマンズパイは味が似ているなと思っていた。

ある日、フィッシャーマンズパイを堪能し、次の料理をシェフが出してくれたときに「すごく美味しかった」と伝えたら、この料理についてシェフが話をしてくれた。

以下、シェフから聞いたこと。
何年も前のことで記憶はあいまい。正確ではないかもしれない。


フィッシャーマンズパイは、ロシア料理ではない。イギリス料理だけれども、ハルビンの人気メニューになっている。

なぜこの料理がハルビンで出されるようになったのか?

昔、ハルビンの向かいのビルにイギリスのロイズ保険長崎支店が入っていた。そこの支店長のイギリス人が面白い人で、ハルビンの常連さん。昼夜問わず毎日のようにハルビンに入り浸っていた。昼間でも酒を飲んでいた。出社してしばらくしたら通りを渡ってハルビンで料理をつまみながら酒を飲んで楽しく話をしているという明るい人だった。

ある日、その人がリクエストをした。
リバプールの実家で食べていたフィッシャーマンズパイを作ってくれないか、と。

毎日来店するような常連さんの要望に応えようと、そのイギリス人に材料や調理法を聞いて最終的に完成したのが、ハルビンのフィッシャーマンズパイ。その方にとっては懐かしい母親の味。

以来、毎日のように来店しては食べていたという。

リバプールは港街で、魚が新鮮だったのだろう、魚の味を活かすレシピになっている。

そのイギリス人のお母さんはポルトガルからの移民だったそうだ。だから少しポルトガル風のあっさり味で、イギリス風のクリームがこってりした濃厚な味付けじゃないのかもしれない。

しばらくして、長崎支店長はイギリスに帰国し、フィッシャーマンズパイが長崎に残り、ロシア料理店「ハルビン」で人気のイギリス料理になった。

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