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💟第18話 一子相伝の系図を掘り出す-串呂の要諦が一気に解明(天照大御神の子育て)

🟡一子相伝の系図を掘り出す

大正13年(1924年)数えの21才になった芳聖は、6月に徴兵検査が済んだので、父・市次郎の命日の6月30日に、父の遺言に従って、牧平町大門のお蔵の南側に埋めてあるという三浦家の大切なものを掘り出すことにしました。

愛知県岡崎市牧平町大門(地図マピオン)

芳聖が、元々は三浦家の土地であったお蔵の南側に行ってみると、不思議にも、そこには一間四方いっけんしほう、草も生えていませんでした。

土地の所有者の許可を得て、父から教えられた通り、お蔵の南を3尺5寸(約106㎝)ほど掘り下げると大きな平石が出てきました。

その平石を取り除いてみると、かめが出て来たのでけてみると、系譜などが記録された直径10㎝ほどの巻物が出て来たのです。

芳聖がその巻物を東京の下宿に持ち帰って読んでみると、後醍醐天皇から継承した三種の神器を代々受け継いだ四人の天皇を始めとする三浦家累代るいだいの事蹟が細々こまごまと記されてあったのです。

第96代・後醍醐天皇(尊治)
第97代・興国天皇(守永)
第98代・小松天皇(興良)
第99代・松良天皇(正良)
第100代・大宝天皇(美良)後称・三浦藤太夫
(十五世省略)
三浦市次郎
芳聖

そしてこの三浦家系譜は、代々の三浦家当主が一子相伝・極秘で継承し、父・市次郎の次は「芳聖」と書いてあったのです。

この時の芳聖の心境を芳聖の著書から引用します。

大正十三年六月壮丁そうてい検査を受けて甲種こうしゅ合格となり、聖父の遺言に基き、聖父の御命日の六月三十日、今は「三浦岩吉」の桑畑となっている大門の屋敷跡から「三浦家系譜」を掘出しました。私が中学専門学校等で学んだ歴史とは全然相違して、此の系譜で見ると全く萬世一系ばんせいいっけい神皇正統しんのうしょうとうは吾が「三浦家」である如くですから、実に胸の中にかねの棒でも差し込まれた様な、何か胸につかえた様な心地になりました。
(*編注、壮丁検査は徴兵検査のこと。)

(三浦芳聖著『神風串呂』143号付記2頁、1967年9月発行)

三浦家が後醍醐天皇の嫡孫家である事を知った時の芳聖の心境は、第三者には到底理解できない深刻な懊悩おうのうであったのです。この時、芳聖は満齢で19歳と9ケ月でした。

🟡串呂の要諦が解明された!

芳聖は、三浦家に継承された三浦家系譜を見て、三浦家が後醍醐天皇から皇位を継承した南朝正統家である事を知ったとき、父・市次郎が今わのきわに絶叫した「奥郡おくごおり蔵王山ざおうざんから木曽きそ三浦山みうらやま よ! 」の意味を解読することが出来たのです。

すなわち、大門だいもん大御門おおみかど(大帝)を表わすこと、蔵王山ざおうざんは王(天皇)が岩戸篭いわとごもり(天子てんし蒙塵もうじん)したこと、三浦山は三浦と名乗ったことを表わす地文ちもんであると自得じとく出来たからです。

父の絶叫を聞いた時から、満11年の歳月が経過していました。

これは、臨死体験で人生観が精神的・霊性的なものへと一変し、渥美勝の日本的生命観に目覚めて記紀を始めとする古典を学んだあとに三浦家系譜を見るという大御神の御子教導計画通りでした。

この時、芳聖が、蔵王山-大門三串 -〇-〇-〇- -三浦山の串呂の存在を知らなければ、三浦家系譜に対する信頼は、すぐには持てなかったと思います。

そのように考えますと、実にきめ細かい配慮に基づく大御神の御子教導計画であったことが分かるのです。

💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮しんぼうえんりょにより、神皇正統の天皇が牧平町大門に岩戸篭りした事が地文に秘められていると理解され、神風串呂の要諦が一気に解明され、三浦芳聖は、地文の重大性を感得することが出来たのです。

💟第19話 遠祖 長慶天皇 登列-衝撃で射撃訓練中に暴発
🟢天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録


🍀祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!


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🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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