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皇大神宮内宮と妙覚塚の神風串呂(№73)

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

この記事は、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「皇大神宮内宮」と小室門院元子内親王御陵「妙覚塚」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。


長崎県西海市大瀬戸町雪浦幸物郷 鏡池


1、発見から10年以上かかった妙覚塚の遠祖確定

小室門院元子内親王の終焉の地は、三浦家の系図に何も書かれておらず、祭祀中の神界からの霊示「地図上に走った串呂」で探し出すことが出来たことは既に述べました。
【参照】小室門院元子内親王(№70)

その後、霊示と串呂の解明により、小室門院元子内親王は、応永元年(1394年)に崩御されたことが判明しましたが、爾来、昭和23年(1948年)9月、三浦芳聖が探し出し祭祀によって浄化するまで、静岡県牧之原市大寄町部ヶ谷の「妙覚塚」で554年間も救出されるのを待っておられたのです。

五皇一体の八幡大明神、三浦芳聖のこの世への出現が、いかに偉大で奇跡的な出来事であるか、ここからもご理解いただけるかと思いますが、この妙覚塚の遠祖が小室門院元子内親王であることが判明するまでに、さらに10年以上かかっているのです。(神界からの霊示がなかったという事です。)

その理由は、どなたの御陵であるかは、串呂を解明することで確定せよという串呂主宰神(御祖大神=天照大御神)の御神意だったからです。串呂主宰神が、串呂が解明される事をいかに重要視されているか、ここから垣間見ることが出来ます。(苦心して構築された串呂ですから納得ですよね!)

今回は、皇大神宮内宮と小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、妙覚塚について

小室門院元子内親王は、天授5年(1379)三河の御所が崩壊後、長慶院法皇と共に富士谷に移られて、大明見の御所に住んでおられました。

元中5年(1388)48歳の年、足利義満率いる大軍に富士谷の御所を急襲され、隠れ城は乾皮なきまでに粉砕されましたが、辛くも此処を落ち延びられ、最後は遠江国(静岡県牧之原市大寄町)へ落ち延び、言語に絶する艱難の末、応永元年(1394)静岡県牧之原市大寄町に於て崩御されました(54歳)。

御陵は、静岡県牧之原市大寄町部ヶ谷の「妙覚塚」。詳細は下記を参照下さい。【参照】小室門院元子内親王(№70)

【参照】大寄町の近くに「東萩間」「西萩間」という地名があります。小室門院元子内親王は、恐らくここに隠棲されていたのではないかと思います。

五万分の一の地形図で下記の串呂を解明しました。「本村」「水呑」と有りますから、生活するのが大変だったのではないかと拝察します。

本村=もとむら=元村=小室門院元子内親王、水呑=貧しくて水しか呑めないような生活状況。

妙覚塚」(大寄町部ヶ谷)-「東西萩間」(牧之原市)-「水呑」(牧之原市東萩間)-「本村」(島田市湯日)

リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

神皇正統家の落ち行く先は、「萩」という地名を付けることになっていたようで、三浦芳聖は、豊川市萩町は松良天皇の隠棲地で、山口県萩市は松良天皇第四皇子「光良親王」の隠棲先だったと述べています。

4、皇大神宮内宮と妙覚塚の神風串呂

三浦芳聖は、「皇大神宮内宮」と小室門院元子内親王御陵「妙覚塚」とを串呂すると次のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

鏡池」(西海市)-「小松」(西海市)-「大神」(日出町)-「大己屋山」(本山町)-「愛宕山」(紀の川市)-「皇大神宮内宮」(伊勢市)-「妙覚塚」(牧之原市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』199頁。現在の住所に改めた。住所の詳細は【地文の解釈】をご覧ください。)

【地文のみ掲載】
「鏡池」-「小松」-「大神」-「大己屋山」-「愛宕山」-「⛩皇大神宮内宮」-「妙覚塚」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)鏡池(かがみいけ、長崎県西海市大瀬戸町雪浦幸物郷 )
鏡は天皇、または三種の神器、皇位の継承などを表わす。鏡池は皇后または女性天皇を表わす。

小室門院元子内親王は、小松天皇の皇后であると同時に、興国天皇(守永)から三種の神器を継承した天津日嗣の御子(実質的な天皇)でした。

それは、小松天皇が京都で幽閉中に崩御された後、長慶院法皇と再婚していること、また愛知県豊川市八幡町の西明寺に安置されていた長慶院法皇の霊牌が「金剛心院皇夫大士」となっていることからも推察できます。

長崎県西海市大瀬戸町雪浦幸物郷 鏡池

(2)小松(こまつ郷、長崎県西海市大瀬戸町)現在不明
神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。小室門院元子内親王は、小松天皇の皇后。

【参照】小松天皇 (興良・おきなが) (№62)

(3)大神(おおが、大分県速見郡日出町)

正真正銘の天皇を表わす。小室門院元子内親王は、小松天皇の皇后であると同時に、興国天皇(守永)から三種の神器を継承した天津日嗣の御子(実質的な天皇)だった。詳細は(1)鏡池で既述。

(4)大己屋山(おおごややま、高知県長岡郡本山町瓜生野)1262.4m
本山=元の山(小室門院元子内親王の御陵)で、非業の最期を遂げ、大蛇「地縛霊=己(おのれ=我)に捕らわれた精神状況」になっていた状態を表わす。

高知県長岡郡本山町瓜生野  (地図マピオン)

(5)愛宕山(あたごさん、和歌山県紀の川市下鞆渕)
皇后を表わす地文。小松天皇皇后・小室門院元子内親王を表わす。

愛宕 ≒ 皇后

皇后または女性天皇を表わす地文
明神池、鏡池、聖一色、皇后島

(6)皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)

皇大神宮内宮
皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)(地図マピオン)

皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。ここでは、「天照大御神」に小室門院元子内親王の御陵「妙覚塚」を鑑定して頂くという設定での神風串呂です。詳細はこちらをご覧ください。

(7)妙覚塚(みょうがくづか、静岡県牧之原市大寄部ヶ谷台上)
小室門院元子内親王の御陵。詳細は下記をご覧下さい。

静岡県牧之原市大寄部ヶ谷台上

【参照】小室門院元子内親王(№70)

5、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「鏡池」-「小松」-「大神」-「大己屋山」-「愛宕山」-「⛩皇大神宮内宮」-「妙覚塚」

静岡県牧之原市大寄町部ヶ谷の「妙覚塚」は、小松天皇の皇后、小室門院元子内親王(実質的には三種の神器を継承した天津日嗣の御子)の御陵であると⛩皇大神宮内宮の神様が立証されています。

巻頭でも述べましたが、「妙覚塚」が小室門院元子内親王の御陵であることが判明するのに、昭和23年(1948)9月に発見されてから、10年以上の歳月が掛かっています。

その理由は、「妙覚塚」が、どなたの御陵であるかは、串呂を解明することで確定せよという串呂主宰神(御祖大神=天照大御神)の強い御神意があったからだと思います。

ここから、串呂主宰神が、串呂が解明される事を、いかに重要視されているか、又それ故に、神風串呂の構築が、いかに大変だったかという事を垣間見ることが出来るのです。

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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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