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🔴新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!(№373)

💟はじめに

元伊勢伝承によると、往昔、笠縫の里を出奔しゅっぽんされた天照大御神(三種の神器)は、京都府福知山市大江町の⛩元伊勢内宮皇大神社4年間駐留されていたと伝承されています。

(以下「⛩元伊勢内宮」と記述します。)

じゃらんHP「元伊勢内宮皇大神社」より引用転載

⛩元伊勢内宮のHPの紹介記事「皇大神社について(ご由緒)」には、下記のように述べられています。

伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていたやまと笠縫邑かさぬいむら(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。まず最初に但波(丹波)へおうつり(に)なり、そのご由緒により当社が創建されたと伝えられています。皇大神は、当地に4年お祀りの後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。

ここに述べられている「西暦紀元前59年」は、「記紀」の記載から算出されたものと推察しますが、「第10代崇神天皇39年」は、前号の「天照大御神の言い分-人の振り見て我が振り直せ!」で考察しましたように、4世紀の初頭の事であります。

そして、これまでの元伊勢伝承では、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」について下記のように推察されて来ました。

(1)天照大御神が永遠にお鎮まりになる大宮地を求めて各地を巡行
(2)元伊勢クシロという皇城守護のための結界を張る(構築)ため

しかし、三浦芳聖師が「神風串呂」を解明したことにより、「元伊勢クシロとは神風串呂の事であり、天照大御神が各地を巡行されたのは串呂を構築する為だった」ことが判明したのです。

詳細は、下記で詳述していますので、興味のある方はご覧ください。



🔴⛩元伊勢内宮の神風串呂を解明する!

元伊勢内宮皇大神社のHPより引用転載

前置きはこれぐらいにして、天照大御神が元伊勢クシロ(串呂)を構築するために4年間も駐留された「⛩元伊勢内宮」です。

天照大御神の各地巡行の目的が元伊勢クシロ(串呂)の構築であるというなら、三浦芳聖師が解明された⛩元伊勢内宮の神風串呂の他にも串呂があるはずです。


そこで、まず元伊勢伝承の最初の駐留地「⛩元伊勢内宮」と最終駐留地「⛩皇大神宮内宮」とを結んで調べて見ました。


🟡新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!

すると、京都市北区上賀茂の「|賀茂別雷《かもわけいかづち》神社(上賀茂神社)」を串呂していました。

『賀茂別雷神社- Wikipedia』より引用転載

🔴これは新発見です!

北西方面から
⛩元伊勢内宮皇大神社」-「⛩上賀茂神社」-「⛩皇大神宮内宮

この串呂は何を昭示しているのかについては、「瑞穂の国(富士王朝)と賀茂氏との関係が垣間見られる!」と言えるかと思いますが、

我が国の歴史は、時の権力者によって破壊、隠蔽いんぺい改竄かいざんされているため即答できません。

しかし、いずれの日にか解明される日が来ると思います。


🟡上賀茂神社の祭神「賀茂別雷命かもわけいかづちのみこと」について

そこで、上賀茂神社の祭神「賀茂別雷命かもわけいかづちのみこと」について調べて見ました。

下記は『賀茂別雷命- Wikipedia』からの引用です。

賀茂別雷かもわけいかづち神社(上賀茂神社)の祭神であり、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られる。

古事記と日本書紀には登場しない。室町時代の『賀茂之本地』では記紀に出てくる阿遅鉏高日子根神あじすきたかひこねのかみと同一視されている。

『山城国風土記』逸文いつぶんには、賀茂別雷命かもわけいかづちのみことについて次のような記述がある。賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)が石川の瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。

それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命かもわけいかづちのみことである。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で祖父の賀茂建角身命かもたけつぬみのみことが「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ(お前のお父さんにもこの酒をあげなさい)」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。

俗説
なお、賀茂別雷命の出生についての話と同様の話が『古事記』(大物主神と比売多多良ひめたたら伊須気いすき余理比売よりひめ)や『秦氏本系帳』(阿礼乎止女あれおとめ大山咋神おおやまくいのかみ)にもあり、特に後者の話と混同されて、「賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神おおやまくいのかみである」とする話も流布している。

賀茂別雷命- Wikipedia

なお、この記事と上賀茂神社HPの「御神話」と比較すると、神社の方には下記のように記されてあります。

お生まれになった神を当初は御子神と申し上げ、御子が元服を(お)迎えしたとき、祖父であり一族の長である賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと八尋殿やひろどのを造り、数多あまたの神々を招き七日七夜の祝宴を催されます。

祝宴の席で賀茂建角身命かもたけつぬみのみことが御子に対し「父と思う神に盃をすすましめよ」(と)申され盃を渡したところ、御子神は「我が父は天津神なり」と言って盃を天上に向けて投げ、いらかを破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。

賀茂別雷神社のHP「上賀茂神社について」-御神話 (お)及び(と)を補った

🔴以上の事から、上賀茂神社の祭神「賀茂別雷命かもわけいかづちのみこと」については下記のようにまとめることが出来ます。

(1)賀茂建角身命かもたけつぬみのみことの娘・玉依姫と天津神の御子のこと。
(2)阿遅鉏高日子根神あじすきたかひこねのかみ(大国主の御子)のこと。
(3)大山咋神おおやまくいのかみの御子のこと。

🔴大祓詞おおはらえのことばからは、天津神あまつかみは天照大御神と解釈できますので、「我が父は天津神なり」と、

「⛩元伊勢内宮皇大神社」-「⛩上賀茂神社」-「⛩皇大神宮内宮」

この神風串呂から、⛩上賀茂神社の祭神「賀茂別雷命かもわけいかづちのみこと」は、「天照大御神の霊統の御子」という解釈も出来るのではないでしょうか。仮説に過ぎませんが。

天津神あまつかみあめ磐戸いわと押披おしひらきてあめの八重雲を伊頭いず千別ちわきに千別て聞食きこしめさむ

大祓詞

🟡附録

この串呂を東西に延長すると、北西から下記の地名が串呂しています。

豊岡市の「竹野町」、久美浜町の「神谷」、「⛩元伊勢内宮」、南丹市の「日吉町」、「⛩上賀茂神社」、甲賀市の「信楽町」、「⛩皇大神宮内宮」、志摩市磯部町的矢の「的矢湾」

「豊岡市竹野町」-「久美浜町神谷」-「⛩元伊勢内宮」-「南丹市日吉町」-「⛩上賀茂神社」-「甲賀市信楽町」-「⛩皇大神宮内宮」-「的矢湾」

🟢磯部町的矢の「的矢湾まとやわん」は、重要串呂地文の「的場まとば」と同様、「これは重要な串呂である」事を昭示する地文です。俗語でたとえますと「ドンピシャ」という言葉に該当します。

実際、「賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)が石川の瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。」という伝承にも出ている「丹塗矢」と「的矢」とが「」で一致しています。

時間を掛けて細部を研究すれば、いろいろなことが分かるかと思います。


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

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🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
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💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
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🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№372)
天照大御神の言い分-人の振り見て我が振り直せ!
🟢次号(№374)
筆禅道と三浦芳聖

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!