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💟筆禅道と三浦芳聖(№374)


🟡筆禅道と三浦芳聖

三浦芳聖師は、25歳頃から、大師流の書道を筆禅道の書仙「横山雪堂よこやませつどう先生(天啓)」について修練を積み、戦後、神風串呂講究所と共に興国書道練成会(明徳流書道)を主宰し、終生書道を続けていました。

興国書道練成会は興国天皇の贈り名に、「明徳流書道」は松良天皇の法名「明光院成徳大士」に由来します。

横山雪堂(天啓)先生(1923年秋)

横山天啓(1882年〜1966年)
書道の本源を求めて、八十余年の生涯を書と禅に捧げた横山天啓翁は、書における墨気ぼっきと境涯を重んじ、筆禅道を提唱、実践した。世にびることなく清貧の中で道を求めた翁の姿は"書仙"の趣があった。

(季刊禅画報 第22号 筆禅の書仙 横山天啓)

大師流の書道は、一般の書道とは異なり、筆禅道ひつぜんどうと言うように、「腹式呼吸で胸いっぱいに吸いこんだ空気を下腹部に落とし込み、腹圧を高め息を止めた状態で一文字ひともじを書き終える」という精神性の高い書道です。

書道というより、書を通じての修養そのもので、精神集中で人格形成(向上)が出来、丹田の強化を通じ健康になりますので、精神面でも身体面でも確実に好転し、物質的にも開運につながる世界です。

横山天啓翁の門下で、芳聖師の道友(ライバル)は、芳聖師と同年で後に花園大学の学長に就任した大森曹玄先生でした。

大森曹玄(1904年-1994年)

大森 曹玄(おおもり そうげん、1904年〈明治37年〉3月10日 - 1994年〈平成6年〉8月18日)は、臨済宗の禅僧。また、直心影流剣術第15代・山田次朗吉の弟子でもあり、直心影流剣術の「法定」の指導も行った。 山岡鉄舟ゆかりの高歩院の住職を務め、山岡鉄舟についての著書もある。

大森曹玄- Wikipedia

天啓翁の添削評価は「妙」「良」「凡」などで、それぞれ、上下が付きました。

芳聖師の筆禅道の修養上に大きな転機が訪れたのは、芳聖師が支那事変の出征から帰った直後で、天啓翁から初めて最上の「妙」の評価を頂戴したそうです。

芳聖師が支那事変に出征し白兵戦での闘いや砲弾の下をくぐるなど、死線を越える極限状況を体験をしたことで、芳聖師の境涯に大きな変化が訪れたのでした!

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横山天啓翁の筆禅道は、伝統的に半僧半俗はんそうはんぞくの方が師家を継承することになっていました。

半僧半俗とは、「僧でありながら、俗人のような風体、生活をしていること。また、その人。半俗半僧。」(「コトバンク半僧半俗」)ですが、この半僧半俗には、かつて僧籍にあった人や人生の途上で僧籍に入った人も含まれ半僧坊はんそうぼうともいいます。

後醍醐天皇の皇子 無文元選禅師むもんげんせんぜんじを祀る「奥山半増坊おくやまはんそぼう(卍方広寺)」が有名です。

横山天啓翁は、戦後、この伝統にのっとり、半僧半俗の芳聖師と大森曹玄先生の二人の中から後継者を指名しようとお考えになられましたが、二人の腕前は甲乙つけがたく、三日間眠れぬ夜が続いたそうです。

二人の書の特徴を一言で表現すると、大森曹玄先生が「気宇壮大きうそうだい」であるのに対して、芳聖師の方は「清澄無比せいちょうむひ」でした。

横山天啓翁は、悩みに悩んだ末に、「清澄無比」の芳聖師の方が「将来性がある」と判断し、芳聖師を後継者に指名し、内弟子の方が芳聖師に代々の師家の名鑑である直系20センチほどもある「太い巻物」を届けて来られました。

芳聖師が、この巻物をご覧になると、この大師流書道の法灯は嵯峨天皇に始まり、次に空海が継承し、代々の師家の名前が記され、横山天啓翁の次に芳聖師の姓名が書いてありました。

ところが芳聖師は、熟慮の末、経済的価値が高く世渡りに便利な、この得難い宝物たからもののような、巻物を横山天啓翁に返却したのです。

その理由は、「嵯峨天皇から臣下である空海に下賜されたものを神皇正統嫡皇孫が継承する(貰う)わけには行かない!」と云うものでした。

🔴義を重んじる何といさぎよい決断でしょうか!

もし芳聖師が横山天啓翁の筆禅道を継承していたら、世俗的・経済的には多少有利であったと思われますが、師家として全国の弟子の指導(書の評価や朱を入れる作業など)をしなければならず、神宮御陵の祭祀や神風串呂の解明に支障が出ていたと思いますので、断って良かったと思います。

🟡筆禅会での芳聖師の御指導の思い出

芳聖師が主宰せる「興国書道練成会」の例会は、最初に芳聖師が祭主となって約一時間ほどの大祓神示がおこなわれ、そのあと筆禅会となり、まず芳聖師が御自ら範を垂れる形でお書きになられました。

竹の筆で「至誠通神」を書く晩年の三浦芳聖、神風串呂講究所にて(1971年)

そのあとで、芳聖師の前に門人が数名(4~5名)づつ、前月に書いた書の成績順に並んで、先ず「無字棒」と呼ばれる一本線を引きます。

筆禅道の作法に則り、息を胸いっぱいに吸い込み、下腹に落して腹圧を高めて無我の境地で書きます。「一文字入魂」とでも表現すべきでしょうか、「無字棒」を一本引くのに、精神を集中させて全身全霊でゆっくりと書くのです!

練習ですので、門人は、この「無字棒」を書くのに、横にした一枚の新聞紙(一頁分=約54×39㎝)を使っていました。新聞紙は墨の水分を吸収しやすく丈夫なので、この練習用には最適でした。

「墨跡の鑑賞基礎知識」(164頁、至文堂)

並んだ数名の門人が「無字棒」を書き終えると、上座の門人から順番に芳聖師の前に膝行して、今書き終えたばかりの「無字棒」を見て頂きます。

すると芳聖師が、これを両手で持ってご覧になられ、「良し!」と声を掛けられます。

この時に発せられる声(大きな元気な声であったり、小さな元気のない声であったりする)の調子で評価がなされました。

この時は、「無字棒」を書くことを通じて、精進しょうじん、修養などの境涯(進捗しんちょく状態)を見て頂く時間でもありました。

もう半世紀以上前のことで、「無字棒」を書いた新聞紙だったか、文字を書き終えた半切紙だったか、どちらであったか記憶が定かではありませんが、弟子が書き終えた「一枚の紙」を、師と弟子が同時に持つ瞬間があり、そのときに「良し!」を頂いたことを覚えています!

この「良し!」を頂く時は、人生の導師である芳聖師から門人一人一人に目を掛けて頂く「師と弟子のふれあいの時」であり、「師弟愛をはぐくむ貴重な瞬間」であり、「修道上の尊い儀式」でもありました。

会心の作を書き終え、その場で落款印を押す三浦芳聖、神風串呂講究所にて(1971年)

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芳聖師は、筆禅道のご指導を通じて、門人一人一人の健康状態や、何か悩み事がないかを見て下さっていたのです。

門人の精神的成長を促すため、必要に応じて神界伝法の秘法を用いて霊気を注いで頂いたこともあったと思います。

私は芳聖師の最晩年の末弟子で、昭和46年(1971年)当時、二十歳前後の青二才でしたので、芳聖師の前では緊張するばかりで、あまり気がつきませんでしたが、いま往時を振り返りますと、芳聖師の導師としての暖かいご愛念を思い出して感謝の涙が流れて参ります。

義理人情に厚く責任感の人一倍強い芳聖師は、私の様な末弟子にも、あふれんばかりのご愛念を降り注いで、お育て下さったのであります。

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以下は言わずもがなの蛇足ですが、

天照大御神は、芳聖師が門人に筆禅道を指導することには御不満で、「書道などやっている場合ではない、神風串呂を一時間でも多く講義するように!」という趣旨のご注意があったようです。

天照大御神

ここからも天照大御神が神風串呂をいかに重要にお考えになっておられるか分かるのですが、芳聖師は、筆禅道を通じて門人を育成するために、大御神の御意向に従わず、あえて筆禅道を御指導下さいました。

【参照】三浦芳聖伝 56、神風串呂講究所(道場)設立(№178)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№373)
新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!
🟢次号(№375)
⛩元伊勢内宮と御在所岳の神風串呂

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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