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三浦芳聖伝 56、神風串呂講究所(道場)設立(№178)

神風串呂講究所(道場)設立

1、神風串呂講究所(道場)設立

昭和33年(1958年)11月23日、愛知県豊川市市田町諏訪林37番地の隣接地に神風串呂講究所・興国書道練成会の道場が設立されました。

「徳は孤ならず」三浦芳聖が天下国家の為に懸命に活動する姿に感動した門人たちが、芳聖とその家族の為に捧げたささやかな道場兼住宅です。

道場

20万分の1の地図を敷いて神風串呂の講義をする晩年の三浦芳聖、昭和45年頃、神風串呂講究所にて。上座に居ないのは、スメラミコトは時刻に依って向く方角が決まっており、厳守しないと必ず火事や事故などが起きる為。

11月23日が道場創立記念日に選ばれたのは、新嘗祭(勤労感謝の日)であり、土佐の仏岳山の仙人・大玄洞紫陽道人の御命日である事などからです。
その道場趣旨や場規、修業心得は中部国民道場のものと殆ど同じです。

道場趣旨
皇道世界宣布の天業恢弘は、皇国日本の国是にして、鴻化(こうか)の翼賛は、皇国臣民の使命なり。我等虔(つつし)みて皇祖(すめみおや)天神(あまつかみ)の肇造に参し、経国の大本を講明し、治世の要道を體究し、以て皇祖天神の詔命(みことのり)に答え奉らざるべからず。

是に於て無二心忠誠の臣相集り、掛巻も綾に畏き天照大御神之天津日嗣の天子八幡大明神三浦芳聖先生に直参して、先ず以て神州の正気を長養し、皇道の真義を挙揚すべく茲に神風串呂講究所・興国書道練成会の道場を興設す。

即ち肝憺(かんたん)を吐(は)いて俊傑を会し、丹誠を抽(ぬきんで)て無二心忠誠の神直霊(かんなおび)の賢士を育成し、祖々相承の心源を直指して、神州不滅の性霊(しょりょう)を見証せんとするものなり。維は是れ一君万民無私奉公の鉄誓にして区々の私事に非ず。

右趣旨とす。
皇紀二千六百十八年十一月二十三日

場 規
一、有るは只大義、一点の私心なかるべき事。
一、長幼序の辨別(べんべつ)誤らざるべき事。
一、相互扶助・相互制裁・相互寛容の三位一体性を體任具現し、以て集団自治の精神を涵養致すべき事。

修行心得
一、志心の確立は道業の根基なり。先ず神国を地上に樹立するの大行願を樹つべし。
一、事上の練磨は修道の要諦なり。須らく興道試業、道法一味に百練萬鍛すべし。
一、衆心の融一は道義の皈結なり。宜しく互助・互制・互容以て自治の範を致すべし。

2、興国書道錬成会について

三浦芳聖は20代の頃から横山雪堂師(横山天啓翁)に大師流の書道(筆禅道とも云う)を習っていました。

横山雪堂先生(1923年秋)

横山天啓(1882年〜1966年)
書道の本源を求めて、八十余年の生涯を書と禅に捧げた横山天啓翁は、書における墨気と境涯を重んじ、筆禅道を提唱、実践した。世に媚びることなく清貧の中で道を求めた翁の姿は"書仙"の趣があった。

筆禅道、究極の書。

横山雪堂師の流れは、弘法大師から伝わる、半僧半俗の方が代々師家を受け継いできた書流で、筆禅道と呼ばれ精神修養の要素が大きい書道です。芳聖と共に修行した道友には「大森曹玄」氏がいます。

芳聖と大森氏は横山門下の双璧で、横山師が評価した二人の書風の特徴は、清澄無比(芳聖)と気宇壮大(大森氏)でした。横山師は、眠れぬ夜が続くほど迷いぬいた結果、師家としての将来性は芳聖にあると結論されました。

戦後、芳聖は、横山天啓翁の後継者に指名され、筆禅道の師家継承者の名鑑(巻物)を頂戴しましたが、天皇が臣下から受け取るわけにはいかないと言って返還してしまいました。

芳聖は、独自に「明徳流興国書道練成会」を主宰し、通常は「筆禅会」と呼ばれる筆禅道の指導をしていましたが、横山天啓翁の一門に加わり門人と共に横山師の添削指導を受けていました。

明徳流書道の明徳は松良天皇の位牌の「光院成大士」から、興国書道練成会の興国は、興国天皇から採ったものです。

書道
「至誠通神」を書く晩年の三浦芳聖、神風串呂講究所にて(昭和46年)
書道2
会心の作を書き終え、その場で落款印を押す三浦芳聖、神風串呂講究所にて(昭和46年)

芳聖が指導していた筆禅会の要領は、半切の書道用紙に半切用の太筆を用い2~5文字を書きます。一文字を書くごとに大きく息を吸い込んで下腹に落とし、息を止めたままで書き終え、次の文字に移ります。

真剣に息を止めて書くため、筆禅中に失神する人もいました。丹田を養う健康法にもなったようです。

横山雪堂書
横山天啓翁の書かれた書

*コラム・超世志のここだけの話
 芳聖の筆禅道の修行中の話ですが、支那事変に応召し、弾の下を潜って帰って来たら合格点が貰えるようになったと述べています。
 三浦芳聖が横山天啓翁から受取った師家継承者名鑑(直系20センチ程の巻物)には、筆禅道の創始者名は、弘法大師・空海ではなく嵯峨天皇となっていたそうです。
 もっとも、この巻物が、本当に平安時代から継承された筆禅道師家継承者の名鑑であるかどうかは神のみぞ知る事ですが。

3、神風串呂講究所(道場)の神風串呂

神風串呂講究所(道場兼三浦芳聖の晩年の住所)の神風串呂は、たくさん解明されています。下記は、その一例です。

【参照】神風串呂講究所(道場)の神風串呂(№179)

道場
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

大宝」(島根県雲南市吉田町川手)-「正宗」(岡山県苫田郡鏡野町)-「三浦」(津山市)-「宮内」(岡山県勝田郡奈義町)-「日和」(兵庫県神崎郡神河町南小田)-「⛩松尾大社」(京都市西京区嵐山宮ノ前町)-「神風串呂講究所・道場」(愛知県豊川市諏訪二丁目)-「大久保」(静岡県浜松市西区)-「国本」(静岡県袋井市)-「道場」(静岡県牧之原市)

【参照】神風串呂講究所(道場)の神風串呂は、下記を参照ください。


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№177)
🟢次号(№179)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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