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💟崇神天皇‐扶余王依罹説に挑む!-⛩大依羅神社を発見!(№426)

🎀串呂哲学研究ノート 第426号

はじめに

👑第十代・崇神すじん天皇は、実は扶余王依罹ふよおういりであり、海外からやって来た侵略者であるという学説は、「桓檀古記」の研究者・鹿島曻かしまのぼる先生によって指摘され、今日では無視することはできても、否定することは困難な状況になっています。

崇神天皇- Wikipedia

鹿島 曻(かしま のぼる、1926年 - 2001年4月24日)は、日本の弁護士、在野の古代史研究家。1926年に神奈川県横浜市に弁護士を父として生まれる。早稲田大学法学部在学中に司法試験に合格し自身も弁護士になる。弁護士業の傍ら、古代東アジア史、日本史の研究を進めて、独自の史観を展開し、多数の著作を発表した。出版社「新国民社」を創設し、自著の多くも同社から出版したが、その事業は2007年に、太田龍を代表とする新国民出版社に引き継がれた。(🍀鹿島曻 - Wikipedia

この鹿島史学を受けて鈴木超世志は、この鹿島曻先生の「崇神すじん天皇‐扶余王依罹ふよおういり説」を支持し、元伊勢伝承と関連させて昨年(2023年)6月、下記の記事を発表いたしました。

💟ここまで解った元伊勢伝承
第1話 崇神天皇、宝鏡を奉遷
第2話 崇神天皇が畏怖した理由は?
第3話 天照大御神は崇神王朝の祭祀を拒否
第4話 各地巡行は元伊勢クシロ構築の旅
第5話 両朝融和計画進行中

🌷上記の記事では述べていませんが、私が「崇神すじん天皇‐扶余王依罹ふよおういり説」を支持するに至った根拠として、下記を追加して挙げることが出来ます。

💌三浦芳聖師は👑崇神天皇の御陵に定期的に参拝したことが無い!


🌷超能力者であった三浦芳聖師は、毎日、午前中の定刻、居ながらにして天照大御神と会話できるホットラインを持っておられました。

三浦芳聖師は、このホットラインにより天照大御神からお聞きした極秘情報・霊界物語を、門人に話すことはありませんでしたが、三浦芳聖師の行動・実践を拝見して居れば様々なことが拝察できました。

👑崇神天皇に関しては、記紀の記事を踏まえた常識的な内容の御講話をされることはありましたが、定期的に御陵参拝に行かれることは有りませんでした。

(崇神天皇がどのような人物であったかを調査するために、一度くらいは崇神天皇陵に参拝されたとは思います。)

🌷三浦芳聖師のこのような崇神天皇への対応は、神武天皇の畝傍山陵や⛩橿原神宮に比べると、まるで相違していて、血統・霊統ともに崇神天皇を三浦皇統家の皇祖神扱いしていないように見受けられました。

・・・・・

このたび、「崇神すじん天皇‐扶余王依罹ふよおういり説」を串呂で解き明かすこととなり、その責務の大きさに重圧を覚えますが、いよいよ時機到来と考え、公開することを決断した次第です。

✅崇神天皇については、オンラインでたくさん資料がありますので、各自で学習しておいて頂きたいと思います。

🍀崇神天皇 - Wikipedia
🍀【ゆっくり解説】本当の初代天皇!?崇神天皇の正体を徹底考察!!
🍀【ゆっくり解説】行燈山古墳(崇神天皇陵)・崇神天皇について解説・行ってみた! 


1、崇神天皇と天照大御神

🌷「かんおおいて事定ことさだまる!」と申しますが、神風串呂で人物を調査・鑑定する場合、先ず御陵ごりょう(陵墓)を調査対象といたします。

崇神天皇の御陵ごりょうは、 宮内庁により行燈山あんどんやま陵(奈良県天理市柳本町字行燈)とされています。

東側の後円部先端から撮影された行燈山古墳(日本・史跡ナビ)

🌷この行燈山あんどんやま陵は、神武天皇から第九代までの天皇陵に比べると豪壮で、まるで別格です。(全国で第16位の大きさ)

この件は、第一回神風串呂セミナーに参加した奈良県在住の方からお聞きしたのですが、その相違たるや、確かに神武天皇から第九代までの天皇と同じ皇統であるとは思えないほどの大きさです。

この行燈山あんどんやま古墳については、下記の様になります。
🟣山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)と呼ばれる。
🟣被葬者は明らかでない。
🟣宮内庁により第10代崇神天皇の陵に治定されている。
🟣全国では第16位の規模の古墳。
🟣4世紀前半頃(古墳時代前期)の築造と推定される。
🟣崇神天皇以前の九代の天皇の陵墓に比べ、断トツに大きく立派です!

【参照】『行燈山古墳- Wikipedia
行燈山古墳(あんどんやまこふん、行灯山古墳)は、奈良県天理市柳本町にある古墳。形状は前方後円墳。柳本古墳群を構成する古墳の1つ。/実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ、山邊道勾岡上陵)」として第10代崇神天皇の陵に治定されている。/全国では第16位の規模の古墳で、4世紀前半頃(古墳時代前期)の築造と推定される。

🌷「ここまで解った元伊勢伝承」で詳述しましたが、「神皇紀」によれば、崇神天皇は富士山麓で祭祀されていた三品の神宝を近畿地方に奉遷した事で神々の怒りを買い、たたりにあったのです。(遺勅違反)

🔴崇神天皇という贈り名は、「神にたたられた天皇」という暗号であります!

🌷この時に、最も毅然きぜんとした態度を取られた富士王朝(瑞穂の国)の皇祖神・天照大御神は、崇神王朝の守護神に祭り上げられることを嫌って笠縫かさぬいの里を出奔しゅっぽんされ、京都府福知山市大江町の⛩元伊勢内宮皇大神社を皮切りに各地を巡行され、90年後に伊勢地方にお鎮まりになられました。

元伊勢内宮皇大神社のHPより引用転載

🌷天照大御神が伊勢の内宮にお鎮まりになられたのは、ここに神風串呂の一大拠点を置く為でした。

✅伊勢神宮内宮=最高・最大・最重要なる串呂起点!であります。

以上のような経緯でありますので、串呂主宰神・天照大御神は、遺勅違反の大罪を犯した崇神天皇に対して、特別に神風串呂を構築されていると拝察できます。

従って、先ずこの皇大神宮内宮を起点として、崇神天皇の御陵とされている行燈山あんどんやま陵を調査鑑定することに致しました。

⛩皇大神宮内宮(三重県伊勢市館町)

2、⛩大依羅神社・依羅小学校を発見!

🌷皇大神宮内宮を起点として、行燈山あんどんやま陵とを結んで串線する串呂地文を概観いたしました。

すると想定通り、読み方は「いり」ではありませんが、「依羅」という漢語の入った下記の二つの地文を発見致しました。🎯💖💯🍀🌺

🟡大阪市立依羅よさみ小学校(大阪市住吉区我孫子)

大阪市立依羅小学校 - Wikipedia


🟡⛩大依羅おおよさみ神社(大阪市住吉区庭井)

大依羅神社 - Wikipedia


🌺大阪市立依羅小学校
(大阪市住吉区我孫子)-🌺⛩大依羅神社(大阪市住吉区庭井)-🎯的場(奈良県北葛城郡広陵町)-⭕崇神天皇陵(行燈山古墳/奈良県天理市柳本町)-⭕⛩伊勢神宮 内宮(三重県宇治市館町)

✅さすがは、神風串呂です!


崇神すじん天皇‐扶余王依罹ふよおういり説」にとって、超重要地文である「依羅小学校」と「⛩大依羅神社」が串呂していました!

これで、行燈山あんどんやま陵は、崇神天皇の御陵であるという宮内庁説が、ほぼ間違いないだろうという気がして参りました!

3、⛩青龍神社境内社「崇神」を発見!

🌷さらに、この串呂地文を概観しましたところ、境内に「崇神」と彫られた大岩の境内社が存在する⛩青龍神社(兵庫県明石市藤江)を発見しました。

明石市『青龍神社』


🎯青龍神社境内社 崇神
(兵庫県明石市藤江)-🌺大阪市立依羅小学校(大阪市住吉区我孫子)-🌺⛩大依羅神社(大阪市住吉区庭井)-🎯広陵町的場(奈良県北葛城郡)-⭕崇神天皇陵(行燈山古墳/奈良県天理市柳本町)-⭕⛩伊勢神宮 内宮(三重県宇治市館町)

崇神天皇陵(行燈山古墳)と⛩伊勢神宮 内宮の神風串呂(google.map)

🔴崇神すじん天皇‐扶余王依罹ふよおういり説を立証する、⛩伊勢神宮 内宮を起点とした崇神天皇陵(行燈山古墳)との神風串呂が解明された瞬間です!

✅この項、次号に続く


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
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🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
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🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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