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和泉市善正町とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№100)

この記事は、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。

ここでは、大阪府和泉市の「善正町」と、愛知県豊川市諏訪二丁目の「三浦芳聖晩年の住所」をご紹介しています。

神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が解明した串呂哲学(神風串呂)の分かりやすい解説書で、串呂哲学研究会「鈴木」が、半世紀以上にわたって研究してきた成果を公開しています!

神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、三浦芳聖の地文「和泉市の善正町」

大阪府和泉市の善正町(ぜんしょう町)は、国内唯一の地名です。

善正は、「よしまさ」と読めるので、三浦芳聖(よしまさ)を表わす地文のひとつです。

善正は、昭和45年頃、三浦芳聖の晩年に発見された地名で、福井県坂井市春江町の正善(しょうぜん)に比べると、三浦芳聖が解明した串呂は、多くありません。

今回は、その数少ない串呂の中の、大阪府和泉市「善正町」と「三浦芳聖晩年の住所」との的確なる神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、和泉市善正町とありし日の三浦芳聖家との神風串呂

三浦芳聖は、大阪府和泉市の「善正町」と、愛知県豊川市諏訪二丁目の「ありし日の三浦芳聖家(三浦皇統家)」を串呂すると、下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『神風串呂』177号82頁

由良(洲本市)-善正町(和泉市)-三浦芳聖晩年の住所(豊川市)-一色(静岡市)-松長(沼津市)-一色(葉山町)-八幡(君津市)

(三浦芳聖著『神風串呂』177号82頁、現住所に改めました。)

【地文のみ掲載】
由良-善正町-三浦芳聖晩年の住所-一色-松長-一色-八幡

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)由良(ゆら、兵庫県洲本市由良町)

洲本市由良
兵庫県洲本市由良町(地図マピオン)

由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号。大宝天皇の諱(忌み名)が、「美良・よしなが」であるので、大宝天皇の符号としても解釈できる。

後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読める。ここから、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わす符号なのではないかと思います。

【参照】京丸と三浦芳聖降誕地との神風串呂
【参照】大統を守り抜いた松良天皇の神風串呂
【参照】由良について

(2)善正町(ぜんしょうちょう、大阪府和泉市)

善正町
大阪府和泉市(地図マピオン)

善正は「よしまさ」と読めるので、三浦芳聖を表わす地名。国内唯一の地名。昭和45年頃、三浦芳聖の晩年に発見された地名で、福井県坂井市春江町「正善」に比べると、三浦芳聖が解明した串呂は、多くありません。

福島県双葉郡富岡町大字上手岡字善正前
宮城県仙台市泉区市名坂字善正寺
福井県坂井市丸岡町吉政

(3)ありし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

三浦芳聖は、昭和25年(1950)8月13日より昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林37番地(豊川市諏訪2丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。

【参照】三浦芳聖晩年の住所の詳細はこちら

(4)一色(いっしき、静岡県静岡市葵区新間)

静岡市葵区一色
静岡県静岡市葵区新間(地図マピオン)

一色(いっしき、いしき)は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味だと云われ、重要串呂線上に入る地文。(6)一色(葉山町)とで、一色二串の確定立証の神風串呂を構成しています。

一色は一式(いっしき)の諺文でもあるので、ワンセットの意味もあるのではないかと考察しています。三浦芳聖と松良天皇はワンセット。

(5)松長(まつなが、静岡県沼津市)

沼津市松長
静岡県沼津市(地図マピオン)

松長は、神皇正統第99代松良天皇をあらわす地文です。松長(まつなが)=松良(まつなが)。同音異字語の韻文です。

ここでは、善正(三浦芳聖)が、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神であることを昭示していると解釈します。

【参照】皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! 
【参照】松永、松長、松永町 の神風串呂

(6)一色(いっしき、神奈川県三浦郡葉山町)
一色(いっしき、いしき)は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味だと云われ、重要串呂線上に入る地文。(4)一色(静岡市)とで、一色二串の確定立証の神風串呂を構成しています。

一色は一式(いっしき)の諺文でもあるので、ワンセットの意味もあるのではないかと考察しています。三浦芳聖と松良天皇はワンセット。

(7)八幡(やわた、千葉県君津市)

君津市八幡
千葉県君津市(地図マピオン)

八幡神を表わす。善正(三浦芳聖)が、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神であることを昭示しています。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

由良-善正-三浦芳聖晩年の住所-一色-松長-一色-八幡

由良=善正=三浦芳聖=松長(松良天皇)を昭示する神風串呂です。三浦芳聖の晩年に発見された和泉市「善正」から「三浦芳聖晩年の住所」に串線した所、西は洲本市の「由良」、東は沼津市の「松長」、君津市の「八幡」を通る的確なる神風串呂です。「八幡」は、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神「三浦芳聖」を表わす地文です。「一色二串」の確定立証の神風串呂です。

【参照】下記は由良に関する神風串呂です(主要地文のみ)。由良が重要串呂地文であることと、縦横無尽にリンクしていることが理解できるかと思います。

🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
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🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№99)
🟢次号(№101)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。