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💟第3話 大自然の中で遊ぶ-山は青きふるさと
🟡大自然の中で遊ぶ
三浦芳聖が幼年時代を過ごした愛知県岡崎市牧平町(脚注*)は、標高約72mの山村で、文部省唱歌「ふるさと」の「うさぎ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川、山は青きふるさと、水は清きふるさと」の歌詞のごとく、大自然がいっぱいの子供の天国でした。
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*当時は、愛知県額田郡豊富村大字牧平。
*三浦芳聖の牧平時代=小学3年の6月(満令で8歳と9ケ月)まで。
三浦芳聖が降誕した三浦家は、大宝天皇(美良)が住居を定めた享徳3年(1454年)以来続いている庄屋格の格式の高い旧家で、芳聖は、何一つ不自由のない村一番の恵まれた環境に育ったのです。
芳聖は、嬰児のころから、母・元子から尊良精神(脚注*)を叩き込まれて養育されたので、牧平時代の芳聖は大変な腕白小僧で「元気のかたまり」みたいな子供だったのです。
*尊良精神とは、『太平記』巻18の6「金崎城落つる事ならびに一宮御自害その外官軍切腹の事」に詳述されている「金崎城の落城に当たり、尊良親王が新田義顕ほかの忠臣らと共に従容として見事なご自害をとげられた事績に因み、いつでも笑って死ねる精神を指す。
🟡山は青きふるさと
芳聖が牧平町の大自然の中で、毎日毎日、いたずらして回るので、繰り返し何回も謝罪するのに困った母・元子は、あらかじめ用意した詫び状を何枚か懐にしのばせていて、被害者宅にその詫び状を渡しながら謝って回ったという逸話をお聞きしました。
言葉の創化力を活用した種まきが効きすぎたようです。
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三浦芳聖は、この大自然がいっぱいの山村・牧平町で、山歩きや木登り、蝉やカブトムシ・ホタルなどの虫取り、魚釣りや沢蟹取りなど、山野を駆け回って思う存分遊び、いたずらして回ったのです。
これは心身の発育にも思考回路の開発にも効果的であったと思います。
💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮により、子供時代に大自然の中で心ゆくまで遊ばせることが、優良児を育てる秘訣である事を教えて下さっています。何と尊い教育方針でしょうか。
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