応神天皇御陵と松良天皇御陵との神風串呂(№93)
🟡はじめに
この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、大阪府羽曳野市誉田の「応神天皇御陵」と愛知県豊川市御油町筑前ケ谷の「松良天皇御陵」との神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
1、ネット検索で明らかになる甘露哲学の世界
福岡市南区の「和田」は、松良天皇の符号ですが、和田地区のほぼ中央にある「和田宝満公園」にある「和田宝満宮」は松良天皇が、皇位継承に不可欠の三種の神器を継承していたことを表わすと解釈します。
今を去る50年前には分からなかった事が、インターネットの発達により次々と明らかになって参りまして、串呂哲学研究は、いよいよ佳境に入り、串呂哲学は甘露哲学であり、台密ならぬ串密の世界が現成して参りました。
こうしたことは、串呂主宰神が如何に串呂を重要視されているかを物語るもので、日本民族の興廃は串呂哲学研究にあり!と申し上げても決して過言でないと思うのです。
今回は、応神天皇御陵と松良天皇の御陵を結ぶ神風串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、応神天皇御陵と松良天皇御陵との神風串呂
三浦芳聖は、大阪府羽曳野市誉田の「応神天皇御陵」と愛知県豊川市御油町筑前ケ谷の「松良天皇御陵」とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。
「和田」(福岡市)-「三宅」(福岡市)-「御陵」(春日市)-「青木」(柳井市)-「大門」(三豊市)-「由良山」(高松市)-「南」(淡路市)-「応神天皇御陵」(羽曳野市)-「松良天皇御陵」(豊川市)-「竹ノ輪」(新城市)-「和田」(三浦市)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第六章 256頁、現住所に改め新たな研究の成果を盛り込んだ。)
【地文のみ掲載】
「和田」-「三宅」-「御陵」-「青木」-「大門」-「由良山」-「南」-「応神天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「竹ノ輪」-「和田」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)和田(わだ、福岡市南区)
和田は松良天皇の符号。(11)の「和田町」とで和田二串の確定立証の神風串呂を構成している。
福岡市南区和田地区のほぼ中央にある和田宝満公園の「⛩和田宝満宮」は松良天皇が、皇位継承に不可欠の三種の神器を継承していたことを表わすと解釈いたします。
【参照】和田について
(2)三宅(みやけ、福岡市南区)
三宅は、宮家(皇室)を表わす。
(3)御陵(ごりょう、福岡県福岡市)現在不明。
都市開発に伴い消滅したと思われる。
福岡市に最も近い「御陵」は下記がある。参考の為に記録しておきます。
【参照】御陵(ごりょう、福岡県春日市須玖北)
須玖御陵古墳が存在することで、この「御陵」の地名がバス停になって残っている。
【参照】<須玖御陵古墳>
全長30m位の前方後円墳。発生期古墳の可能性がある。主体部の残存は微妙。後円部の削平が著しい。
(4)青木(あおき、山口県柳井市阿月)
松良天皇の護衛をしてきた南朝忠臣千種忠顕の子孫「青木氏」を表わす。
串呂主宰神が、松良天皇を支え護衛した「青木氏」を始めとする忠臣の誠忠を愛で給い構築された地文です。
三河吉野朝の研究書『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』(中西久次郎、家田富貴男・1940年)によれば、松良天皇を支え守護申上げた忠臣は、千種忠顕の子孫「青木和田尉盛勝」及び青木氏に仕えた「細井信濃守」「細井一衛守」兄弟、および「楠木正儀」らです。
天授6年(1380年)、三河赤坂落合城の戦いに敗れ、青木和田尉盛勝、楠木正儀が戦死した後は、青木和田尉盛勝の一子「青木平馬」と「細井信濃守」「細井一衛守」兄弟です。
松良天皇御陵のある豊川市御油町筑前ケ谷は、細川氏の領有地であったので、松良天皇の御陵は、建立以来、青木盛勝に仕えた細井氏が管理してきました。
三河吉野朝の研究書『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』(中西久次郎、家田富貴男・1940年)によれば、「寛成親王の皇子松良親王は三州五井美吉原に落ち給う。薬師寺建立の開基成り。成龍と号し給う。成龍は応永二十四年五月、御坊に崩ず」(青木文献・原文は漢文)と出ています。
青木文献(別名千種文献)とは、愛知県豊川市御油町欠間の中西家に伝わる、南朝忠臣千種忠顕の子孫「青木平馬」が応永30年(1423年)と31年(1424年)に書き残した覚え書のことです。
(5)大門(おおかど、香川県三豊市三野町大見)
大門(おおかど・だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。
ここでは、松良天皇が「神皇正統の天皇」であることを昭示しています。リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。
牧平町大門についてはこちらをご覧ください。
(6)由良山(ゆらさん、香川県高松市由良町) 120m
由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号とされていますが、後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読めます。ここから、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わすのではないかと思います。
由良山麓の西北に「青木」、南側に「山南」という地名があります。
(7)南(みなみ、兵庫県淡路市浅野)
南朝を表わします。
(8)応神天皇御陵(おうじんてんのうごりょう、大阪府羽曳野市誉田)
神皇正統第15代応神天皇(誉田別尊・ほむだわけのみこと)の御陵で、恵我藻伏岡陵(えがのもふしのおかのみささぎ)と呼ばれる。全国第二位の前方後円墳。
応神天皇陵の南側、円形部の先端近くには、⛩誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。応神天皇=八幡大明神です。
(9)松良天皇御陵(まつながてんのうごりょう、豊川市御油町筑前ケ谷)
元来は、松良天皇御陵「御坊塚」(おんぼうづか)で、現在は、三浦家墓地となっています(八幡大明神)。
ここは、三浦芳聖の祭場の一つで、毎月一回は必ず参拝し、約一時間ほど特別秘法祭祀を厳修しておられました。
【参照】⛩多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№29)
「⛩多賀大社」-「松永」(木曽岬町)-「天皇」(安城市)-「松良天皇御陵」-「三浦芳聖晩年の住所」(豊川市)
(10)竹ノ輪(たけのわ、愛知県新城市)
重要な神風串呂を表わす符号。
三浦芳聖の説明によると下記のようになります。神犬「タケ」とは、戦後、三浦芳聖が豊川市市田町諏訪林に移住後、三浦芳聖を導いた御祖大神が懸かる犬のことです。三浦芳聖は、神犬「タケ」に導かれて、豊川市を中心に東三河各地を巡回し、特別祭祀を厳修しました。
(11)和田(わだ、神奈川県三浦市初声町)
和田は松良天皇の符号。(1)の「和田町」とで和田二串の確定立証の神風串呂を構成している。
【参照】和田について
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「和田・和田宝満宮」―「御陵」―「青木」―「大門」―「由良山」―「南」―「応神天皇御陵」―「松良天皇御陵」―「竹ノ輪」―「和田」
福岡市南区の和田宝満公園の「和田宝満宮」の事例は、三重県鈴鹿市国府町の「天王山忠魂碑」の事例同様、ネット検索で明らかになった甘露哲学の串密の世界です。下記を参照ください。
【参照】北陸朝廷の存在を昭示する神風串呂
下記の串呂は対照的になっています。併せてご考察ください。串呂に対する理解が深まります。
🔴バックナンバー(総合)
🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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