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💟第21話 極秘裏に串呂を研究-的確なる地文に驚嘆


🟡日曜院に院代を置き研鑽の日々

芳聖は、住職に就任した半年後の昭和2年(1927年)の6月には、西山専門学校の教員就任を理由に、弟の良俊りょうしゅん(幼名元一もとかず1906年生れ)を恵照山日曜院の院代に置いて住職の仕事は全て任せることにしました。

芳聖は、一ヶ月の内5日間は京都の西山専門学校で講義をし、10日間は遠祖の御陵探しにあて、残りの15日間は東京都中野区の「新井薬師」に隣接した「高橋」という家の二階を間借りして、東京での修養・研鑽と維新運動に充てていました。

芳聖は、神皇正統嫡皇孫として生を受けた懊悩を解決したり日本歴史の疑義を解明したりするため、錦旗会きんきかいに入会し、会の顧問であった山口鋭之助の門下生と成ったり、荒木貞夫、真崎甚三郎、両将軍と交流するなどして、その機会をうかがっていました。

🟢山口鋭之助・・・宮内省図書頭ずしょのかみ諸陵頭しょりょうのかみを歴任、宮中顧問官。錦旗会顧問。

芳聖に一番必要だったのは、こうした懊悩や課題を解決する為に自由に行動できる「時間」が何よりも必要だったのです。やらねばならぬ事が一杯あってお寺の住職をやっている時間も、心の余裕も無かったのです。芳聖には、お寺は正に「日曜院」だったのです。

🟡極秘裏に串呂を研究

専門学校での講義、遠祖の御陵探し、東京での研鑽などで多忙な毎日の中、芳聖は夜の時間を串呂の研究に充て、極秘裏に串呂の研究を行っていました。

三浦芳聖が最初に解明した串呂は、大門三串の串呂ですが、この串呂は降誕地「牧平町大門」が天子蒙塵てんしもうじんの地であることを昭示する南北に走る縦の串呂でした。

大門三串 -〇-〇-〇- の神風串呂

そこで、芳聖は、この降誕地「牧平町大門」を基点とする東西に走る横の串呂を研究してみました。

🟢はじめての方は、事前に『三浦皇統譜- Wikipedia』を参照ください。

🟡的確なる地文に驚嘆!

🟠⛩石清水八幡宮と牧平町大門との串呂

そこで芳聖は、まず我が国二所の宗廟そうびょうの一つであり、国体明徴こくたいめいちょうの神である⛩石清水八幡宮と、この降誕地「牧平町大門」を結ぶ串呂を研究しました。

すると、牧平町大門に移住して居を定めた遠祖・三浦佐久姫と三浦藤太夫(大宝天皇)を表わす、浜松市天竜区の「佐久」と藤枝市本郷の「藤太夫島」が串呂していたので、地文の的確さに驚嘆し且つ感激したのでした。💖💛💝

🔴三浦家系譜の記録内容が串呂に昭示されていたのです。

⛩石清水八幡宮と降誕地・牧平町大門との串呂

🟠⛩皇大神宮内宮と牧平町大門との串呂

次に、伊勢の⛩皇大神宮内宮と降誕地「牧平町大門」とを結んでみると、なんとその中間に、西尾市一色町の「佐久島」が串呂していたのです!


この串呂により芳聖は、往昔、大宝天皇・三浦藤太夫が、牧平町大門に居を定めるに当たり、三浦佐久姫の存在が如何に大きかったか覚ったのです。

要するに富士大宮司・三浦家の物心両面の支援があったから大門に居を定めることが出来たのです。💖💛💝

🔴牧平町大門は、文字通り「佐久の島」だったのです。

⛩皇大神宮内宮と牧平大門の神風串呂

🟠⛩皇大神宮内宮と天竜区佐久との串呂

次に、伊勢の⛩皇大神宮内宮と静岡県浜松市天竜区の佐久とを結んでみると、なんとその線上に「三浦峠」「大日岳」「大御神」が串呂していたのです!

🔴三浦佐久=大御神と解読できるのです❗❗❗

この串呂から見ると、三浦佐久姫は大御神の化身であったのに相違ないのです!富士大宮司・三浦家は、富士王朝(豊葦原の瑞穂の国)の嫡孫であります。

⛩皇大神宮内宮と天竜区佐久との串呂

🟡⛩皇大神宮内宮と藤太夫島との串呂
さらに続いて、芳聖が、伊勢の⛩皇大神宮内宮と静岡県藤枝市本郷の藤太夫島とを結んでみると、なんとその線上に「高松町」「小松原町」「和田」「小松」「小松天皇神増原御陵」「松長」「聖岳」が串呂していたのです!

🟠高松は、尊良天皇、松良天皇、三浦芳聖の符号。
🟠小松原・小松は、小松天皇の符号。
🟠和田・松長は、松良天皇の符号。
🟠聖岳は、天子を表わす地文です。

⛩皇大神宮内宮と藤太夫島との串呂
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮しんぼうえんりょにより、的確なる地文が構築されていたので、三浦芳聖は、串呂を研究するたびに驚嘆し、感激し、串呂に大確信を得たのです。

💟第22話 西山国師の秘訣集を読破-超世の大願偏えに大日本国に興る
🟢天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。