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南朝正統皇位継承論19-大宝天皇(美良)その弐

大宝天皇(美良)その弐

三浦芳聖の著書によれば、「最後の内伝の天皇である大宝天皇(美良親王)は、応永元(1394) 年、遠州京丸に於て松良天皇とその皇后綾子姫の第一皇子として降誕し、応永17(1410) 年、三州萩に於て松良天皇より譲りを受けて践祚、永享10年戊午(1438)年、三州切越に隠棲し、爾来16年間大般若六百巻を念書し、至誠通神、享徳3(1455)年、天照大御神から御神諭を賜って牧平大門に移住し、三種の神器を地下深く埋蔵して天之岩戸籠りとし、皇后三浦佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称した」とあります。

1、三州切越に隠棲

切越町
愛知県岡崎市  切越町

三浦芳聖によれば、愛知県岡崎市切越町は、永享10年(1438年)戊午より16年間の大宝天皇の隠棲地で、切越の「切」は、前人未踏の原野を切り開いたこと、「越」は、走+戊で戊午年に移り住んだことを表わす。午(馬)といえば走るを連想するからだそうです。

また、「切越」を読み込んだ大宝天皇の御製も残されています。砌(みぎり)は石+切、と住み越し末の越が入っています。

   九重の砌をめぐる三河水 住み越し末は絶えじとぞ思ふ

また切越町中ノ坪地内の山中にある御座所跡に遺跡(8基の石製の多層塔)があり、ここで大宝天皇の神霊写真の撮影が行われました。

大宝天皇神霊写真
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』286頁2の写真版より

また、その麓には昭和27(1952)年当時、大宝天皇に扈従していた臣下の子孫と思われる「兵頭、青山、本間」を名乗る10戸余りの人々が住んでいました。藤原石山氏は、切越について次のように述べています。

『三浦家系譜』に大宝天皇が永享十年額田郡切越に隠棲したとあり、切越に落武者の供養塔と伝える自然石を積み重ねた八基の塔がある。又この山間の小部落に、青山、本間、兵藤等の姓の家がある。兵藤は、沓掛城主の兵藤宗光と同じく、俵藤太秀郷の子孫と伝え、青山家は、下り藤の定紋を用うるので花山院系藤原氏と考えられる。本間氏については、郷土史家佐々木正麿氏が『本間氏と切越の多層塔』に次のように考証している。
 額田郡河合村切越中ノ坪地内山中にある八基の石製「多層塔」については、此道の権威である池上年氏によって、鎌倉時代に平安末期の様式でつくられた上流階級の墓であると鑑定されたが、私は其後切越へ行って部落を調査して見た。前記多層塔は山の中腹にあり、その麓に東から南にかけて十戸余り切越部落がある。その部落の氏別を見ると、兵藤一、青山一、本間九、で大半は本間氏でしかも紋所は十六目であった。本間氏については、私は三年前岡崎市大平町上下り四十六番地本間四郎氏宅に於て、次の古文書写しを拝見している。(中略)系図によれば本間氏は桓武天皇より出て代々平姓を名のる。(中略)ともかく大平城にいた本間氏の一族が新勢力足利勢等に追われて切越に落ちのび定着して数年にして死にその間に墓として造ったものに間違いない。(後略)
(藤原石山著『南朝正統皇位継承論』1988年版88頁「三河南朝遺臣潜居史考」「大宝天皇隠棲の地と伝える切越の多層塔」)

藤原石山氏は、次のように述べています。「切越の近くにある真言宗の古刹桜井寺の寺伝に、南朝の王子をかくまったことがことがあるが、足利幕府の捜索があって切越の山中に隠したと伝える。」(同上著89頁)

【参照】切越八面塔(岡崎ルネサンス)

2、大般若六百巻を念書

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大宝天皇が念書された大般若経六百巻の一部
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』318頁2の写真版)

三浦芳聖によれば、永享10年(1438)年、切越に隠棲された大宝天皇は、富士大宮司三浦宗明(時晴)を始めとする無二心忠誠の臣下に支えられ、愛知県岡崎市夏山町の寺野に薬師堂を建立し、御父・松良天皇を隠祀して菩提を弔い、切越町の行在所や薬師堂などで大般若600巻を念書し、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神を降誕せしめ必ず天下を平定し給わん事をと、皇威の回復を熱祷祈願されました。

念書された大般若六百巻の大部分は牧平大門の神宮寺に所蔵されていましたが、戦国時代の火災で焼失し、三巻のみが愛知県豊田市黒田町仲根の正寿寺に寺宝として現存しています。文字は一字の狂いもなく丁寧正確に念書されています。

正寿寺

享徳3年(1454年)、満16年間の行願満ちて至誠通神、その至誠が天照大御神の御心に達し、図らずも天照大御神より「後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神を降誕せしめ、必ず天下を平定せしめるから、今は三種の神器を地下深く埋蔵して天之岩戸篭りとし、皇后三浦佐久姫の姓を名乗りて三浦藤太夫と称し、牧平大門に移住して、子々孫々天運循環の時を待て」という優渥なる御神諭を被られました。
 (三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』要約)

*コラム・超世志のここだけの話
 大宝天皇が武家方と戦う事をやめ写経をされた事は素晴らしい事だと思います。さすがは神皇正統嫡皇孫だと頭の下がる思いです。私は、大宝天皇に写経をするよう勧めたのは皇后の三浦佐久姫ではないかと推察しています。
 また、天照大御神の「三種の神器を地下深く埋蔵しなさい」という御神諭についても尊い真理が込められていると思いました。小倉の宮の流れが三種の神器の争奪戦を繰り返し多くの犠牲者が出た事はよく知られています。

3、三州切越の神風串呂

大宝天皇が、永享10年(1438年)戊午に隠棲した三州切越(岡崎市切越町)の神風串呂が解明されていますのでご紹介します。

(1)大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 (№8)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』282頁

大日山-九重-切越町-卍寺野薬師堂-御正体山-卍新井薬師

この串呂は「九重」「切越町」の地名が、大宝天皇の御製「九重の砌をめぐる三河水住み越し末は絶えじとぞ思ふ」を昭示するとともに、大宝天皇の写経の道場であり、行在所であった寺野薬師堂の本質(正体)が、規模は小さいけれども霊的には堂々たる勅願寺であることを昭示しています。

高野口町九重

(2)大宝天皇御座所跡(切越町)と御在所山の神風串呂 (№9)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

大宝-百々-西山-岩座神-今宿-⛩御上神社-御在所山-吉澤-大宝天皇御座所跡・切越町-⛩焼津神社-行者窟

神皇正統第百代大宝天皇が、愛知県岡崎市切越町に隠棲し、満16年間、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体の八幡大明神降誕して必ず天下を平定せんことを祈念して、 大般若六百巻を念書して皇威の回復を熱祷祈願され(長期間修行され)たことを昭示する神風串呂です。

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東京都大島町  行者窟(地図マピオン)

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🟣串呂哲学研究ノートバックナンバー

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


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