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「ちむどんどん」「鎌倉殿」と「ゴッドファーザー」

タイトルを決めて書きかけてまとまらず1ヶ月以上放置していたので、そもそも
何を書こうと思ってたのかすら細部は忘れてしまったのだが、まあ思いだしながら書いてみる。

そう。ゴッドファーザーの50年記念のUHDディスク集を買ったのだ。テレビ洋画劇場で初めて見た時から現在までもう何度見たか数え切れないし、メディアの変遷で言えばレンタルビデオ屋でVHSの2本組を借りて見てた時代からLDになり、DVDになり、Blu-rayになり、とすべての時代を共に過ごしてきたわけだけど、今度は4K版のわけで、オーディオビジュアル専門誌で画質や音質を絶賛してたためこれまた買ってしまった。スターウォーズとブレードランナーとゴッドファーザーには一体いくら散財したことか。

で、見たら確かにクオリティはあがっていたのだけど、そんなことよりも、何度見ても感動する作品としてのそもそもの完成度の高さにあらためて感心した。これは20世紀を代表する作品だね、まさに。

朝ドラで沖縄を舞台にした「ちむどんどん」がネット上で毎回炎上するくらい不評のままに終わった。僕もリアタイで全部見たけど泣けるエピソードや笑える楽しいエピソードの回もあったけど、全体的にはよくわからない作品だなと感じたし、最後の方は見続けることに苦労した。そもそも沖縄人のステレオタイプな描き方、しかも「約束も守れず金にルーズで周囲に迷惑ばかりかけるいいかげんな人間」を沖縄人の典型として描くのはいくらなんでも非礼だなと感じた。女性を口説いてばかりのイタリア人、肉ばかり食べるアメリカ人、歌やダンスが得意な黒人、若い時は美人だが年をとると太り出すロシア女性、、なんて描き方したら国際問題になりかねない。なぜ沖縄の人に対してはそれが許されるのか。そこが常に気になって話が入ってこなくなった。

主人公は身勝手で思いつきで行動し、バカがつくほどのお人好しで、その夫は優柔不断で婚約者も親に対しても明解な態度がとれず人を傷つけてしまう。長女の夫も優柔不断なことでは負けてない。妻に対しても親に対しても自己主張できず、何も助けてくれないし、なにも解決しない。主人公の母は脱法行為をする息子を諫めることもできず、常に甘やかし続ける。ああもう書いているうちにまたイライラしてきた・・。

それでもこれは「家族の物語」で、戦争、本土復帰などを経て、どう家族が生きてきたかを描くドラマだった。はやくなくなった父。その父の若い時代の話、母の話など、そこから綿々と続く家族の物語で、その家族がさらに新しい家族をつくる物語。それは大河ドラマもそう。

「鎌倉殿の13人」は家族の物語だ。北条氏というある一時代をつくった一族を描くわけで、父、兄、本人、姉、妹、その他親族がやたらめったら。それぞれに物語があり、その悲劇性に胸を打たれる。確かに片っ端からいなくなるので「しぬどんどん」と言われるのも仕方ないがまあ史実でもそうなのだから仕方ない。さすがに「ちむどんどん」よりは物語がしっかりしてるのは、朝ドラ「あまちゃん」でクドカンの才能を引き出し、感動し笑わせて今でも朝ドラ史上に類を見ない名作として君臨するほどの作品を演出し、その方法論を「エール」でも実現した名監督吉田照幸氏の演出力と、脚本の三谷幸喜氏の筆力の賜物。それと比べるのは「ちむどんどん」スタッフに対してフェアではないのだが、「家族」の物語を半年、あるいは一年にわたって描くという土俵に置いては同じなのだからご容赦ください。

家族の物語で、かつ悲劇を描くものとして「鎌倉殿の13人」が傑出していると思うのと同時に、ある作品との類似性を感じずにおれなかった人は少なくないはず。
そう、それが「ゴッドファーザー」であり、大人しく温厚な小四郎が北条義時になり、非情なまでの施策で北条家を守ろうとする姿は、電話の向こうの婚約者に「愛してるよ」も照れて言えないマイケル・コルレオーネがファミリーの阻害要因になるものはたとえ親父の代からの幹部であろうが実の兄であろうが容赦なく粛正していく姿とかぶって見える。リヤ王やマクベスなどシェークスピア悲劇を思わせる構図も多いけど、人物造形は間違いなくゴッドファーザーから拝借しているに違いない。それくらい小栗旬の冷たい眼差しはアル・パチーノのそれと同じだ。

欲求不満で終わった「ちむどんどん」の代わりにいまや「鎌倉殿の13人」からすっかり目が離せなくなった我が家。マイケルは大事な家族を失い、最後は惨めに人生を閉じるが、義時ははたしてどういう最期を迎えるのか。今からちむどんどんしているよ!

(追記)
義時はゴッドファーザーpart3のマイケルのように寂しく悲しい人生の幕引きとなった。権力者の最期とはこういうものかもしれない。シーザーもナポレオンも皇帝ネロもヒトラーもムッソリーニも。天寿を全うできなかった最高権力者はいくらでもいる。それでも平凡な余生を過ごすのでは無く激しく熱く生きた証をほしくて権力を求める続ける人が絶えないのかもしれないね。


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