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手放しては流れてつまれる資産

引っ越しに移行するため部屋を片づけはじめている。見た目も心も身軽にして家を立ちたいからと、初めてフリマアプリを導入してみた感想だ。

何をお金にかえられるかと、物色しているとどうやら私のこれまでは本に溢れていたのだなと思う。

小学生の頃は「ダレンシャン」をいつも手に携えて日々をやり過ごしていた。(当時ハードカバーだったので魔導書みたいだった)今思い出してもあの頃が一番、本の虫状態だったと思う。

あの頃は思春期特有の、男子女子がどーのあーの、クラスによどんでいて、なんだか知らないけれどそういう関わりたくない、うるさくて問題視されてるクラスメイトにかぎってじぶんの隣の席にされたりして、すごくやりきれなかった。

そんなときに本にふけることで、周りの空気からなにから遮断できる感覚(時間)を得られた。社交をひたすら拒否していただけとも言えますが。
本の世界には逃げ込めば周囲から邪魔されない。読書をしている体で空想にひたることが身を守れるゆえの処世術を身につけたけど、いまかんがえても闇の温床だったので思い出したくないし、もどりたくない時代だ。


この部屋で一番大きな割合を占めているものが生きざまなんだと思う


いいもわるいも、価値になってくれそうなのはコツコツ集めてきた「本」。廃棄予定だった雑誌も新たに束にして、メルカリに出品してみることにした。(ダレンシャンそのものは家にない)

そうやってまた拾って荷ほどきして売る、売らないと悩みながら目を通していると、心のどこかでこれまでの私が集めてきた本だったな、と手放すときにかぎってふとよぎることがある。コミックスであれなんであれ。

本は時間を超越するだとかなんとかきいたことがあるけど、そういう感覚なのだろうか。

中古本であろうと自由に売値を決められるというのはメリット大。いままでは店にもって売りさばいてもらってたけど、どうせなら手放すところまで自分が手を入れたいものだ。

中古本なんかは誰かしらの手を介して自分の家に流れ着き、それがまた流されてまた誰かに売り払われる本の人生を考えると、中古で手にした本のほうが思い入れが濃かったりもする。

廃棄予定の本を一カ所に集めなおし、梱包しなおしているとそれもそれで愛着が出てきたりもする。とはいえまだ5冊の出品だし、きれいごとはいってても、売り上げ云々もいいたかないけど、売れてはほしい。

小話

めんどくさいながらもはじめてみたものの、苦にはならない。
出品してみてなんなら「物」にたいする執着さえがむくむくと沸いてきたいたとき、ミニマリスト並みの暮らしをする人の著書で
「マキシマリスト」という考え方が紹介されていた。


見ている分にはミニマリストもマキシマリストも室内の手入れが行き届いてるんですよね。どっちがどうとかないけど。

本は確かに多いけど自分もいろんなものを収集したいほうなので
(綺 麗 に 手 入 れ で き れ ば)
こっち側の生活の方がむいてるかもしれない。

本棚とかじゃないけれど、↓こういうのができそうな壁がほしいこのごろ。

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参照:https://roomclip.jp/photo/obTj

…簡単に実現しそうですが。

すきなものをどう残すのかも、それはそれで大変なんだなと。