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答えを探し続けられる教育に感謝

とある探し物をしていたら、大学時代の、最初と最後の病院実習の感想レポート、卒論が出てきた。
卒業時、吉武香代子学科長が各学生に届けてくれたものだ。

吉武先生(と呼んでいた)は日本の小児看護・教育に多大なる貢献をされた方で、慈恵医大医学部看護学科の初代学科長に就任され、私たち1期生と2期生の卒業まで見届けてくださった。

コロンビア大学及び米国での臨床・教育の実践を取り入れてくださり、座学も実習も理論・実践をチームで討論するスタイルで正解を提示しない教育を提供して下さった。

必須単位数が他校より多かったのは臨床を大切に、且つ、卒後に多様な道を選択できるようにであり、常に研究の視点を持つようにとも教えられた。

大学1年、最初の病院実習の感想文


「看護師の役割は、保助看法にあるように”医師の指示のもと”に本当に限られるのだろうか?
私の父は先日、医療事故で亡くなった、私は医療を完全なものだと思っていない、不完全なものを信用し、指示に従うことはできない・・・」

先生の赤ラインは、限られるのだろうか?のところにのみあった。この感想はクラス発表もしたので、その際の先生の表情もよく覚えている。当時の私は、なんかヘンなこと言ったかな?と思っていたが、今は、嬉しかったのかな..と肯定的に捉えている。

大学4年、最後の病院実習の感想文


「患者さんを前に、看護学生としての自分と、一人の人間の自分が存在し、思考と行動が異なることがある。経験による成長なのかもしれないが、不誠実ではないだろうか。この答えはいつか見るかるのだろうか」

この実習では、一人で病棟に向かい、看護主任の直接指導を受けながら、回復の難しいお二人に関わらせていただいた。単なる感謝では終わらすことの出来ない経験を頂いている。

卒論


外来受診経験のある外国出身者へのアンケート調査。日本語力と満足度の関係を考察し、その2点に相関はなく「質問に答えてくれたかどうかの方が重要かも」という結論だった。


3つの問いのままに歩んでたw


上記の太字部分は、すっかり忘れていたのだが、
この「問い」のままに歩んできた自分に笑ってしまった。

・看護の応用
・自己と利他
・感応性と論理力

今、この問いへの答えは無くはないが、それよりも
「答えを探し続けられるように教育されたこと」に感動している

次の10年の目標に必要な準備を始めたところで、この感想文が出てきた。
間違ってないよ、と教えてくれた。
まるで長年の探し物が見つかったような気分だ。

大切なものは、心の中に生きている。








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