見出し画像

独立後15年で浮上してきた子どもの頃からの夢,その先の目標

マイクロフト(現:日本マイクロソフト株式会社)を退職し、フリーランスになったのは2008年のこと。
勤続5年目で次の目標を見失った・子ども2歳・時間をもっと有効活用したい・元々の独立心..など複数の理由から決断した。

当時はフリーランスも在宅勤務も流行りではなかったので、非常勤・派遣を組み合わせ、未経験エリアを身につけていった。

4年目:初めての業務委託


初めてのご指名ご依頼。1時間3千円。嬉しかったなぁ..

極貧時代:頼みはクレカのSUICA・オートチャージ機能
支払遅延後もオートチャージだけ数日続いてくれたので、電車で仕事に向かえた。

9年目:従業員時代の年俸を超えた


続けてよかったな、と思えた。

10年目:突然の史上最低月収


大学生時代の週1の家庭教師アルバイトより低くなった。
一旦、ニーズのあった近しい仕事をしてみた。夜中に何度か吐いたので、辞めた。

11年目:法人設立


自己憐憫・欺瞞で逃げ出さないように、法人設立した。最初の売上は月額1万円。
コロナ禍で出費が減って助かった。
(自宅は15平米ワンルームに。高校受験生だった娘には不憫な思いをさせた)

13年目:念願のセッション

一生に一度お会いできれば嬉しい..と憧れていた苫米地英人博士のコーチングセッションを受けることができた。
脳内、そして人生の高揚がスタート。

15年目:身一つが強くなった


「10年やれば、どうにかなる」と多くの成功者が語っている。
私の”どうにかなった”を探してみた。

1,生きる緊張感、不安からの圧倒的な解放
(この2年、積極的にあらゆる手を尽くし、最終的にごっそり取れたのは今年5月)

2,元気であれば人生どうにかしていけるという自負
(90歳超えても生産性を持ち、できれば亡くなる前日まで仕事をしていたい)

3,営業ゼロ、”ご紹介”で成り立ってきた奇跡
(人に言われて気づいた。これは本当に奇跡)

自信もお金もないから、身一つで要望に応えるべく七転八倒していたら、”身一つ”が強くなったようだ。
会社でもサービスでもなく、自分自身がどうにか形になった、らしい。

まとめ:身から出た”夢”とその先


最近、「自分を救ってあげよう..まとめ上げてあげよう..」と、内なる声が聞こえてきた。

そしてすぐに、ずーっと遠回しにしてきたある事を叶えてあげよう、と決めた。

それは、子どもの頃からの夢のようなものだが、
大人になった今、それはとても現実的でハードルが高く感じる夢。
でも、コツコツ続けさえすれば、きっと叶う。

その夢が叶った時、今はまだ見えていない次の目標が確実に存在するのが分かる。
それはハードルは高くないが、果てしなく広いようだ。

待ち遠しい。
行くしかない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?