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「疑問は、わからないがセックスこそ、その答えだ」

<ジュークボックス5>

ウディ・アレンの映画の感想を書きたいと思ったが、もつれあう男女関係は
文章にすると陳腐で、野暮になる。

人の心の動きとか、物事が変化するきざしを理屈で追いかけないで、なりゆきを甘受することで、雑味まで味わえる。

軽妙洒脱な言葉が鼓膜をふるわせて、気がついたらエンドマーク。そんなウディ・アレンの世界は、ひとりひとりの感性が深みをつくっているようです。


ウディの言葉の森を歩いてみようと思います。
濃密な空気が漂うエドワード・ポッパーのイラストとともに:

愛がすべての答えを持っている。
しかし、その答えを待っている間に、
セックスが、興味ある疑問を呈してくる。
疑問は何かわからないが、セックスこそ、その答えだ。
もし何も存在していなくて、
わたしたちが誰かの夢の中にいるとすればどうだろうか。
私たちは脳に頼りすぎている。
脳は、最も過大評価された器官だ。
心は欲しいものをとにかく望む。そこに論理はない。
ちょうど一目惚れしたときのあなたのように。
私の最大の後悔は、
私が他の誰かでないことだ。
何が欲しいかわからない。
でも、何が欲しくないかはわかる。
私の家では、私がボスだ。
妻にすべてを決めさせている。
「歳をとる」なんて誰にも薦められることではない。
年を経るごとに得る知識なんてものはない。
何が起こっているかと言うと、あなた自身が崩壊しているだけだ。
人はこのことに、御託を並べるだけだ。
人生をちゃんと受け止めて丸くなったと言う。
しかし、そんなものより、”35歳”を取り戻せる方がいいに決まっている。

ウディの映画には、不倫と不貞と傷心と哀愁と静かなため息が流れている。
そして、ウディの一言一言が、雨粒のように降っている。

ウディの映画を見終わると、お喋りの人と2時間会っていた感じ。
こちらは、一言も発せず。ちょっと欲求不満が残る。
でも、すべてを噛みしめながら、家路を急ぐ感じです。


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