見出し画像

Emergent Music / 創発する音楽

※本記事はMedium掲載のBogdan Teleagaによる記事「Emergent Music」を翻訳したものです。

「誰もいない森で倒れた木は、音を立てるのか?」

アイルランドの哲学者ジョージ・バークリーによるこの問いはよく知られています。

しかし、みなさんは以下の問いについて考えたことはありますか?

「森の中や海の中で音楽が作られても、それを聴く人間がいなければ、それは音楽だろうか?」

私たちの見方や偏見が現象に反映され、まったく新しい意味を持つことがあります。「パレイドリア現象」と呼ばれる、ある視覚刺激や聴覚刺激に対して、普段からよく知るパターンが、本来そこには存在しないにも関わらず心に思い浮かべることがその一例です。例えば、下の写真は、壁に傷がついているだけですが、顔がはっきりと見えます。

画像2

ここでは、本来は音楽的ではない現象の中に音楽を聴くための、さまざまな方法を探りたいと思います。

Music in nature/自然界にある音楽

人間の目は、鳥の羽ばたきの全動作を捉えることはできません。しかし、人間の耳も鳥の鳴き声の全てを捉えることができていないということを考えてみたことはあるでしょうか。鳥の鳴き声には、もともと音楽性がありますが、鳥の鳴き声をスローモーションにすると、無数の複雑なメロディが聴こえてくることがわかっています。これを音楽と呼べるでしょうか?

また、環境の異なる動物では、ザトウクジラがバラードのように歌うことが知られています。

しかし、ザトウクジラの歌をスピードアップすると、意外にも鳥の鳴き声に近いものになります。

鳥やクジラはお互いに話しているだけかもしれませんが、彼らのコミュニケーションを聞いて、人間の脳は音楽とあまり変わらない一種のメロディーとして解釈します。

Music in our environment/人間の環境にある音楽

薄い氷の上を滑るときに聞こえる音もその一つです。

メロディ性は低いですが、映画のサウンドトラックとして想像することは簡単です。アメリカのランドマークの一つであるゴールデンゲートブリッジでも同じような現象が見られます。

これらの共通点は何でしょうか?
私たちは音を新しい方法で解釈し、ある種の音楽を聴くことになります。その中で出現した現象を「歌われている」とか「歌」と表現します。

Music from ourselves /人間から発生する音楽

音楽を生み出す別の源として、人間自身の会話があります。ダイアナ・ドイッチュは1995年に、ある文章や文章の断片をループさせるだけで、それを何度も聞いているうちに、脳がそれを曲の一部として解釈するようになることを発見し、それを錯聴と呼んでいます。

Qosmoで発表したプロジェクトも同様のアプローチをとっています。しかし、自然界に存在する音を複製するのではなく、人工知能の技術を使って、人間の声や手を叩く音などを認識して解釈するアルゴリズムを作り、その音から音楽(この場合はビート)を作り出しています。

Qosmo Labの別の記事では、ロビンがアンテナ(SDRドングル)を使って広範囲の無線周波数をスキャンし、そのデータを解釈して音楽情報を抽出するだけなく、視覚的な表現へ変換するシステムを紹介しています。

Intervention and Orchestration /人間の介入と編成

上記の例では、人間の介入による影響が大きくなっていることがわかります。橋は風の影響を受けて音を出すだけですが、氷の上にはスケートを滑る人が必要です。また、鳥の鳴き声は何もしなくても聞こえますが、鳥の鳴き声の複雑なメロディはスピードを落とさないと聞こえません。ダイアナ・ドイッチュの錯聴に関する発見は、テクノロジーの利用なしにはほとんど不可能でしょう。Qosmoのプロジェクトでは、より高度な技術を扱い、既存の音を音楽の旅へとアレンジするオーケストラのような役割を担っています。

このような様々な予期せぬ音楽の源を体験できるのはとても魅力的です。最終的には、既存の信号よりも人間の解釈が重要になります。テクノロジーの助けを借りて、自身の知覚を強化し、経験を新たな方向に導くことができます。

私たちの周りにはどこにでも音楽があり、ただ注意を払うだけでそれを楽しむことができるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?