スヌーピーって深いよね。
こんにちは QoiQoi吉次です。
星の王子さまを題材に新作を書くことになって、僕は一つ考えてみたいことがありました。
それは「死」というものについてです。
↑前回『星の王子さま』のあらすじを途中まで書いたのですが、今回はその続きから行きます
あらすじ
水が底を尽きたパイロットは、王子様から「井戸を探しに行こう」と提案される。こんな砂漠で見つかるわけないと思いながら、王子様と歩き続けると本当に井戸を発見してしまう。王子様と井戸の水を飲んでいると、急に王子様が語ってきた。
「僕が地球に落ちてきたこと、話したでしょ……あしたがちょうど、その一年目の日なんだ……」
そして、王子様はその場に残り、パイロットは飛行機の修理をするために戻っていった。
翌日、奇跡的に飛行機が直り、パイロットは王子に知らせに行く。すると、王子様はヘビと話をしていた。
王子が砂漠にやってきたのは、1年前と星の配置が全く同じ時に、ヘビに噛まれることで、身体を置いて自分の小惑星に帰るためだったのだ。
別れを悲しむパイロットに王子様は言った
「自分は自分の星に帰るのだから、きみは夜空を見上げて、その星のどれかの上で、自分が笑っていると想像すれば良い。そうすれば、君は星全部が笑っているように見えるはずだから」
王子はヘビに噛まれて砂漠に倒れた。
翌日、王子の身体は跡形もなくなっていた。
王子が自分の星に帰れたのだとパイロットは考え、夜空を見上げる。王子が笑っているのだろうと考えるときには、夜空は笑顔で満ちているように見えるのだが、万一王子が悲しんでいたらと考えると、そのうちのひとつに王子がいるであろういくつもの星々がみな、涙でいっぱいになっているかのように、パイロットには見えるのであった。
別れと出会い
『星の王子さま』が愛されている理由の一つに、別れのシーンが美しいからというのがあるだろう。
話が変わるが、コロナ禍から僕自身、祖父母を含め、身内を亡くし辛い別れを何度か経験してきた。年齢や実家を出て上京してきたのも相まって「親や家族と生きてるうちにあと何回会えるのか」をよく考えていた。
自分の30過ぎて社会のことより自分の生活のことに意識が向き出したという記事を書いたが、まさに、この時期僕は「どう死ぬか」また「どう生きるか」を毎日考えていた。そして『星の王子さま』を読んでみて、この「どう生きるか、どう死ぬか」という自分の疑問を作品にできないかと思った。
ある日僕は、そんな疑問を作品にするために、インプットを増やすためにふらっと本屋に足を運んだ。そこでとある本に出会った。棚に平積みされていて僕の目にとまったその本は
『自分を受け入れるスヌーピー』である。少し写真の撮り方が下手くそで暗く写っているが、当時は何かこの本だけ白く輝いていて見えて自然と手に取ってしまった。
この本は「スヌーピーのセリフを通して禅の言葉を考えてみよう」という本である。
本の中の格言をいくつか紹介してみよう。
これはほんの一部だが、今の僕に必要な要素なんじゃないかと強く思った。そして、このスヌーピーを通して描かれていた「禅」の思想に興味がわいた。
子供の頃、単なる可愛い犬のマスコットの一人だと思っていた「スヌーピー」がまさか「禅」に繋がっていたなんて、思ってもみなかった。そして僕に禅への興味を持たせるなんて思ってもみなかった。
こうして、『星の王子さま』と『自分を受け入れるスヌーピー』という二冊の本との出会いをきっかけに、次回作『ちいさな鱗』の制作が始まった。
今回の記事で興味が湧いた方は『星の王子さま』と『自分を受け入れるスヌーピー』を読んでもらいたい。きっとあなたの人生をさらに輝かせる言葉たちに出会えるであろう。また、僕たちがその二冊からどのような物語を始めたのか、ぜひ生で舞台を観にきて欲しいと思う。
QoiQoi 吉次匠生
チケット予約
https://www.quartet-online.net/ticket/chiisanauroko
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