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演劇系大学

こんにちはQoiQoiの吉次匠生です。
初めて僕たちの記事を見る方へ向けて、簡単に自己紹介をさせてください。
僕は演劇をやっていて、現在俳優、脚本家、演出家などの肩書きで自分の持っている団体QoiQoi(こいこい)を中心に活動しています。
現在も来年3月に公演予定の作品に向け、週に1.2回のペースで稽古を行い、その他の時間も作品の脚本を訂正したり演出を仲間と話し合ったりしながら活動しています。
今回出る作品はキャストもスタッフも含め様々な演劇大学出身の人がいるので、少し演劇大学の内容を交えながら書いていこうと思います!


そもそも演劇系大学とは?

僕は今東京に住んでいるので関東の大学の話をします。
関東には演劇を専門とし、実践形式による指導を行っている大学が5校あります。

・日本大学
・多摩美術大学
・玉川大学
・桜美林大学
・桐朋学園芸術短期大学

この5校になります。他にも早稲田や明治など演劇の授業を行っているところもありますが、【実習】として演劇のカリキュラムを取り入れているわけではないので、今回は省きます。
僕は上にあげた、大学の中で日本大学芸術学部(通称日芸)と玉川と多摩美を受験し、日芸と多摩美に受かり日芸に入学しました。(玉川は落ちてしまいました、、、、)

皆さんも見てわかるように、関東の演劇大学は全て私立です。美大や音大はざらにあるのですが、僕が学生当時、東京芸大のような国立大学は日本には存在しませんでした。(今でこそ平田オリザさんが大学を作る試みをしていますが)

しかしロンドンなど海外には演劇の国立大学があることは珍しいことではありませんでした。国が新しい演劇人を育成するカリキュラムを組んでいるのに対し、日本では各々の私大に教育を任せ、悪く言えば好き勝手教育できてしまう。
それでは海外の演劇人と学生の平均値において基礎力に大きく差ができてしまうのではないか? という懸念がありました。
誤解を恐れずにいうと、野球をすると仮定して海外ではちゃんと学校で部活があるのに対し、日本では部活がなく親や近所の野球上手い人、社会人野球の人など自分の好きな人見つけて習う状況でした。


演大連

ここで演劇系大学の話をすると、バラバラだった日本の大学演劇教育の見直しを図る運動が起こりました。

各々の大学のカリキュラムや教育方針を持ち寄ってすり合わせ、ある種一個のメソッドを作れないか? 

この運動で集まったのが先に挙げた5大学です。東京大学連盟として名を改め、10年近く前から始まった活動です。僕らは省略して「演大連」と呼んでいます。


まさか自分が参加できるとは

演大連の特色として、大きく挙げられるのが2つあります。

1.他大学の教授や講師の授業が受けられる
2.一年に一度夏に各校の学生が集まり一つの作品をつくる。

1については授業さえ開かれれば誰でも受けてもよかったのですが、2はいくつかのハードルがありました。

演大連では毎年の各校が持ち回りで代表になり作品制作を行います。いわば合同で参加している中でのリーダー的存在になりますので、稽古場や演出家(演出家は学生ではなくプロを招いて行う)などはその大学との関係が濃いものになります。
各校が参加するので、大体参加できる学生はキャストで言うとオーディションで選ばれるのは平均1大学で5人くらいだと思います。
僕が通っていた日芸はさらに特殊で、3.4年生しかオーディション資格がありませんでした。
なので、他の学生は4回チャンスがあるのに対し日芸生の僕らは2回しかチャンスがありませんでした。

演大連自体、僕が大学一年の時に始まり(初年度は日芸担当)絶対参加したい舞台でした。
僕は運良く大学3年目の多摩美担当の『カノン』という作品に合格し出ることができました。

携帯に合格メールが来た時はめちゃめちゃ嬉しかったのですが、【大学の代表として出演するというプレッシャー】に10分後には足が震えていた気がします。「まずいことになったな〜」冷静になった時にマックの椅子でポテトをつまみながら呟いたのを今でも覚えています。


大学生活で1番濃ゆい夏

演大連の経験は間違いなく自分の人生を変えたと言っても過言ではありません。
夏休みの間に稽古をするのですが、まず制作過程において他校の学生と会話が成立しませんでした。
具体的には使っている専門用語が違うのです。
わかりやすい例は劇団をカンパニーと言ったり、座組みと言ったりなどです。
また、芝居に対する教育が違うので、舞台上で大事にしていることが違います。(このことについては長くなるので、後日また別の記事で書いていこうと思います。)
また、合格者の中では大学だけでなく学年も違うので、他校の後輩にあたる子とやったり自校の先輩たちと芝居したり、なかなか大変でした。
あまりにも稽古が進まず揉めたこともあります。
しかし、学生たちより先生たちの方が方向性で揉めていた気もします。笑

大学で芝居をしていて、今まであれほど芝居以外のことを芝居を通して考えたことはありませんでした。
それは、言葉使いであったりコミュニケーション、また自分の演技をどう相手にプレゼンするかなどです。
自分たちの常識が他人に通じないので毎日ハンマーで頭を殴られている感覚でした。


演大連が終わったあと

演大連は無事本番が大盛況で終わりました。
そして大学の後期を迎えまた普通の日芸に通う学生として、生活をする上でふと気づいたことがあります。
同期が当たり前にしてる会話が全然面白くなかったり、全然よくわからない瞬間がいくつかありました。自分の感覚と同期の感覚がずれ、共同制作に食い違いが出てきたのです。
それは演大連での経験の逆バージョンのような感覚です。それはやはり、演大連で他大学の学生や講師人に触れてきた影響が大きいと思います。
僕は、演大連前に僕らが話していたであろう言葉や話題、技術論に疑いをかけるように無意識になっていました。今まで同期と普通に学んできたセオリーを1つの正解としてではなく、数あるうちの1つの手段として捉えるようになっていました。

皆さんもそんなような経験はありませんでしょうか?
意識高い会社に入り稼ぐことが全てだと思ったり、副業で独立することが幸せだと思ったり、何歳までには結婚していないといけない思ったり。
人間は自分がいる環境に正当性を持ちたくなる生き物なんだとその時学びました。しかし、それはもしかしたら井の中の蛙になってるだけなのかもしれません。
自分のいる環境に疑いの目を持ち外へ視野を広げてみることも大切かもしれません。僕は3年生の演大連出演以降、大学の授業で一度も芝居をすることはありませんでした。4年時も卒業制作を選択せず自分の好奇心を追い求め卒論を書いて卒業しました。その卒論を選んで書いた経験は今でも生きています。


まとめ

大学の3年生の時に参加した演大連は、その後共演者との繋がりで人脈を増やしただけでなく、自分の中の価値観や常識を揺さぶる豊かな体験でした。

常識とは常に周りの人間も持っていて安心感を与えてくれるもののように見えますが、あくまで主観的なものでしかありません。

自分の常識は常に疑い、相手の中の常識とは正面から向き合っていくことが大切だと思います。
図らずも一つのメソッドを確立するために始まった企画で、多様性について見識を深めることができたのは、自分の学生生活最大の幸運だったと思います。
演劇の話からかなり逸れてしまったとは思いますが、今後も演大連の話や日芸の話などを時々していこうと思います。さらに受験生や日芸に興味を持った方などに、参考となるような記事も上げていこうと思うので応援よろしくお願いします。

QoiQoi 吉次匠生


QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。

また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。

このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
もしも気に入った記事や活動の参考にして頂けたら、スキやQoiQoiをフォローをしてもらえたら嬉しいです。
また、僕たちの活動を応援・サポートしてくれる方を募集しています。
サポートして頂いた資金は現地取材や稽古など全て作品作りに使用させていただきます。
今後とも我々QoiQoi(コイコイ)をよろしくお願いいたします。

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