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視力が低下する時代

こんにちはQoiQoi の吉次匠生です。
今日は自分の中のモヤモヤを記事にしてみようと思います。
現在も進行系でモヤモヤしてるところなのでうまく言語化できるかわかりませんが、よろしくお願いします。
ではいきます。

小高で聞いた言葉

僕は今演劇活動をしていて、来年の3月に演劇公演をする予定です。お芝居の中身は東日本大震災の被災地や福島第一原発をテーマとして取り扱っています。その中で作品のための取材として、現地に幾度か足を運んできました。

取材した場所の一つに福島県南相馬市小高(おだか)区という場所があります。
そして、そこで出会った人に僕たちはインタビューをしました。その方は震災から9年半経った今年にようやく自分の家に戻って来れたという方です。僕たちは「約10年ぶりにこの町に戻って来れて、これからどういう生活をしていきたいですか?」という質問をしました。

今は何もしたくない。何も考えられない。もう疲れた。残りの人生をこの町で過ごせたら十分だ。

その方のはこう言ってくださいました。
僕には予想外な返事でした。ようやく愛していた町に戻って来れて、これから復興だという前向きな気持ちなのかなと思っていたからです。むしろ、夢や目標みたいなものを聞くテンションで質問をぶつけてしまいました。
しかし、その方が震災から避難生活も含め必死に生き、この場所に戻るために必死に戦っていた事を冷静になって考えると、至極真っ当で理解できない返答ではありませんでした。

小高という町は今も人口はかなり少ない地域です。大きなスーパーや飲食店も車で少し走らないといけない場所にあります。インタビューで答えてくれた方も、決して便利な土地ではないとおっしゃっていました。
僕がその時感じた小高の問題点が一つあります。小学生や中学生の子供の数が僕が生まれた北九州市に比べるとほとんどいません。
つまりこの町は20年後30年後には若者が育たず人が本当に住めない土地になるのではないか? と思いました。
これは、インタビューしている中でその方も内心感じている問題でした。しかし、その方は震災の疲れから、そこまで考える余裕はないとおっしゃっていました。
 


日常に追われる自分

東京で被災地の小高の事を考えていた時、自分にも少し似たことあったかもと思い当たる節がありました。
僕は大学生の頃奨学金を借りながら家賃と生活費と学費を自分のアルバイトで工面していました。深夜にスーパーや薬局の在庫カウントのアルバイトをし、その足で授業を受け、一旦家に帰ってシャワーを浴びまたバイトへ。バイト先と大学と家の移動時間にちょこまかと睡眠を取るような、今考えればかなりハードな生活をしていました。もちろん、夏休みや春休みもほぼ毎日働いていました。
授業を受けても体力が万全じゃなく、舞台のオーディションすら受けられない状況でした。将来のキャリアを考えると絶対にやっておいた方がいいことも、今生きることが精一杯で後回しにしていました。疲れて将来や社会のことを考えるのが面倒で思考する体力がない。皆さんもそういう経験がありませんか? 
日々生活することしか見ず、思考を停止したり、諦めたりしていませんか?
子育て世代のママさんやパパさん、学生さん、パートや派遣で働いてる人、朝から晩まで働いているサラリーマン。
格差が広がってきているからこそ日常に追われてる人が増えてきてる気がします。


森を見る力

日常に追われているとつい自分のことや身の回りのことしか考えられなくなると思います。
僕の周りにも、福島が10年経った今でも深刻な被害が残っていることや、原発の危険性などを語ると、「今社会のこととか考える余裕ない」という方がいます。震災に関連した話だけでなく、選挙の時なども同様の反応をされたことがあります。
僕は思考を止めることは人生においてポジティブな事ではないと思います。
確かに、生活が苦しい人や様々な状況で忙しかったり余裕がない方が、今現状でベストを出してガムシャラに生活していくことも大事だと思います。
しかし、もっと視野を広げた方がいいと思うのです。身の回りの近いところだけでなく、もっと自分の体から遠いところを見る力つける必要がないでしょうか?
確かに生活は大事なことです。でももっと大事なことがあると思います。それは、未来の子供達に財産を残すということです。なぜなら未来の子供たちが私たちの生活を支えてくれるからです。

僕らが今生きてるこの日本はいい国でしょうか? いい社会でしょうか? 

つまり【生活】という木ばかり見て【社会のことや、将来の世代への投資など】の森を見ないとどんどん痩せ細り、体力が落ちて結果的に自分の首を絞めることになります。少子化が加速していっている現在、町がなくなる危険性があるのは小高町に限った話ではありません。
今後日本は自分以外のことも他人事ではなく、自分ごととして捉え一人一人が色々なことを考えていく必要があると思います。
人口が減っていて【数】の力が使えない今、個人個人が【個】としてしっかり社会に向き合っていくことが大事なのです。


ジレンマ

とは言ったものの小高のその方や、日常や身の回りのことに追われてる方が悪いとも思いません。適当に生きてるわけではなく、みんな一生懸命全力で生きていると思います。僕自身大学を卒業した今でも演劇をやりながらフリーターで生活している身なので自分で一杯いっぱいになることがあります。
気持ちは痛いほどわかります。そしてそれを解決してあげる言葉を持っていないから、自分の理想を声高々に言えないジレンマがあります。
皆さんはどうでしょうか? 
やっぱり福島や原発のことを考える余裕はないですかね、、、?

僕自身、社会の問題と自分の表現をどう結びつけるかを大学で学び考えてきたこともあり、少し自分から遠いことを考えたりして視力の低下を妨げることができています。これはアートを学んできてよかったことと思います。
また、自ら学んで色々考えるのが大変な人は、時が解決してくれることもあると思います。
小高の方も今は余裕がなくても、何年後かに目標ができるかもしれないし、町おこしを始めるかもしれません。自分の中で世の中と自分をつなげて考えられるタイミングが来ることもあるでしょう。
誰もが福島のことや原発のことを考えろというわけではなく、今回僕が言った【思考停止】や【視力の低下】というキーワードに心たりある方は、ふと余裕があるときに思い返してみてください。ジェンダー、格差、人種、地域、世代、、、森を見てみると世の中には何か自分と繋がる問題が蠢いてるかもしれません。
僕らQoiQoi は少しでも多くの人が自分から離れた場所が、より見やすくなる助けとなるような作品づくりをして行きたいと思います。
思考停止をするのではなく一緒に思考を鍛えていく活動ができたらと思います。
今回は少しまとまらない文章になりましたが、ここで切らせてもらいます。今後も少しずつ思考をアップデートしていこうと思いますので応援よろしくお願いします。
ではまた。


QoiQoi吉次匠生


QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。

また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。

このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
もしも気に入った記事や活動の参考にして頂けたら、スキやQoiQoiをフォローをしてもらえたら嬉しいです。
また、僕たちの活動を応援・サポートしてくれる方を募集しています。
サポートして頂いた資金は現地取材や稽古など全て作品作りに使用させていただきます。
今後とも我々QoiQoi(コイコイ)をよろしくお願いいたします。

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