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『風〜夏を呼ぶ青』

空の色が、変わった。

やかましい蝉の鳴き声が止み、訪れるつかの間の静寂。

それまで聞こえなかった風が浮き出て、さらさらと音をたてる。熱量の創出に疲れた季節が、しばし深呼吸をしているみたいだ。

やわらかく湿り気のある風が肌を撫でる感覚に、気温に似つかわしくない鳥肌の波が広がるのを感じる。

汗ばんだ肌がすこしだけ冷える。おもむろに目を閉じて思考を止め、残る息を吐き出しながら身体中を駆ける感覚に身を委ねる。

空っぽになった胸に悲しい感情は沸かないのに、すこしだけ、ほんのすこしだけ涙腺が温かくなって、中身のない切なさが体の中を共鳴してゆく。

そうか、

あの季節だ。


ー『風』ー



「同じ夏は二度と来ない」

「ぜんぶ、夏のせいだ。」

「ひと夏の恋」

どの季節も一年に一度しか来ないのに、何故か、僕たち日本人は夏を他の季節より、少しだけ特別扱いする。夏なんて嫌いだ、日焼けなんてクソ喰らえ。そう思いながら、クーラーでキンキンの部屋でダラダラすることも、何だか夏の思うつぼな気がする。塗り忘れた日焼け止めがつくったサンダル型の日焼けに舌打ちしつつ、寄り付く蚊をはたきつつ、何だかんだで、皆、思い思いにそれぞれの夏を楽しんでいる。

かく言う僕も、例に漏れず夏がすきだ。

空も海も、街並みも人も、世界が最も鮮やかなすがたを見せる季節。汗でビチャビチャのワイシャツで現生を彷徨う油分の化身ーoilyでfattyなcreaturesーへのエンカウントを別にして、夏だという事実だけで僕の心は躍る。この間は、天気が「夏」だというだけでテンションが上がりすぎてしまい、なんの用事もないのに、江ノ島まで一人で出かけてしまった。もうわけがわからない。

夏は、そういう力をもっている。そして多くの人が、それぞれのあざやかで、特別な、夏の想い出を持っている。


あざやかな夏の記憶は僕の中にもある。

幸せな記憶、苦しかった記憶、色とりどりの、形も大きさもさまざまな日々の記憶。心の中には、それら愛おしい人生の記憶たちが楽しそうにひしめく。でも、そのかたわらで、写真にも、ビデオにも、記憶にも残っていない、なくしてしまった想い出も、同じように、あった。

僕はもう、たくさんの想い出を忘れてしまった。

「記憶」こそが自分なんだ、と伊吹(qlaria.Ba)は『キオク、ココロ』のブログで綴った。彼の「記憶」の範囲はきっと本来の意味より少しだけ広い。覚えていない、忘れてしまった想い出も、きっと彼の言う「記憶」なのだろうと思う。

でも、きっとそうだ。忘れてしまった想い出たちも、きっとどこかで生きている。風を聴いて、空を見て、海に臨んで、花火を追いかけて、感じる胸の感覚は、きっとそんな想い出たちでできていることを、僕は知っている。

想い出はきっと消えない。

夏が、僕の身体が、それを覚えているから。


若葉がささめく時期、風の形は変わる。

たくさんの生きものが、その命に火を灯す。

その七色の魂を、想い出を含んだ空の色は

いつもより深く、そして美しい。

想い出は歌う。

あのときの僕たちに。あの日の花火に。

まるで涙を流すように、歌うんだ。

僕だけの青色は、きっと消えない。

この胸の感覚は、きっとなくならない。

この感覚に、もし名前を付けるなら。

あの日々に、

あの恋に名前を付けるなら。


『夏を呼ぶ青』

written by 虎太郎

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