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SF短編『ダムナティオ・メモリアエ』

 刺すような夏の日差しの中、ロードバイクに乗った選手たちが、次々と海岸線の国道を猛スピードで走り抜けていく。季節は八月。およそスポーツには向かない酷暑の季節にもかかわらず、約300名の参加者たちが、島の外周100kmのコースを走破しようと挑む。

 ここは瀬戸内海に浮かぶ島、金魚島。そこで年に一回開催される市民やアマチュア主体のホビーレース、ゴールド杯。その盛り上がりと熱気にわたしはすっかりとあてられていた。

「驚いたかい、エマちゃん」
 選手たちを自動追尾するドローンから送られる映像を眺めていたわたしに、マリエさんが声をかける。大叔母であり、レースのメディカルスタッフの統括役も務めているベテラン医師でもある彼女の言葉に、わたしは無言で頷く。迫力に圧倒され、言葉を出せないでいるわたしの様子を見て、彼女は笑みを浮かべた。

「よく見ときな。記録と記憶は違うからね」
 彼女の言葉にわたしは再び頷き、目の前の画面に向き直る。画面には各選手が装着したセンサからリアルタイムで送られるバイタルデータが表示されており、それをドローンの映像と照らし合わせて確認し、異常がないかチェックするのがわたしの仕事だ。自身に与えられた役割に集中しつつ、わたしは頭の片隅である自転車選手のことを思い出していた。

 ある年代を超えたサイクリストで、タイガ・カネイシ――金石大河の名前を知らない人はいないだろう。約二十五年前、「ゴールデン・タイガー」の愛称とともにロードレースの世界に流れ星のごとく姿をあらわし、そして燃え尽きながら堕ちていった英雄。

 瀬戸内海の小さな島の出身であった彼は、十代のうちからめきめきとその頭角を現し、高校卒業から間もなく、欧州のプロチームへと移籍。山岳コースを得意とするクライマーとして様々なレースで実力を発揮し、遂にはアジア人初のグランツールにおける山岳賞を受賞した。

 そんな国民的英雄とも言えた彼の姿は、今やどのような媒体でも見ることはない。十三年前、トップ選手たちの組織的な遺伝子ドーピングへの関与が明らかになっていくなか、カネイシもまた、自分自身も遺伝子治療を受けていたことを告白したのだ。

 遺伝子編集技術を用いて身体能力を向上させようとする行為を、総称して遺伝子ドーピングと呼ぶ。その手法の一つにHIF-1aという転写因子の導入がある。EPOと呼ばれる赤血球の産生にかかわる物質の合成を促進し、持久力を高めようとする試みだ。同因子は循環器系の疾患とも強い関連を持ち、遺伝子治療を行う際のターゲットともなる。

 カネイシが告白したのは、先天性の循環器疾患を治療するため、同因子に関わる遺伝子治療を過去に受けていたということだった。それは遺伝子ドーピングとは全く異なるものだが、度重なる不正によって疑心暗鬼となった人々に疑念を抱かせるには十分だった。

「あー、これはひどい捻挫だね。病院行きだ」
 本部へと運ばれてきた傷病者を手早く診て、マリエさんが淡々と告げる。大学の医学部に今年入学したばかりの学生であるわたしも、スタッフとして彼女の手伝いをする。

 運が良ければけが人なく終わるだろうと思っていたわたしの希望的観測は、早くも打ち砕かれていた。まだ正午だが、早くも十件目の傷病者対応となる。幸い、落車による骨折や挫傷などの重大事故はなく、多くが体調不良や擦過傷、打撲や筋クランプなどだ。

 傷病者の治療がひと段落し、わたしは再びモニタリング業務へ戻る。レース開始から三時間が経過し、先頭集団は早くもゴール付近まで迫っている。
スパートをかける選手たちを見ながらわたしは疑問に思う。どうして皆、そこまで走ることに拘るのだろう? 走るということにはそこまで人を惹きつける、なにかがあるのだろうか。

 カネイシの告白は、スポンサーやアンチ・ドーピング機構、果ては反遺伝子改変技術を掲げるNPO団体までをも巻き込んだ大論争となった。彼が受けたのは治療か、ドーピングか。あるいはその両方か。UCI、国際自転車競技連合は調査の結果、彼が受けた遺伝子治療は、彼を競技上有利にするようなものではなかったと医学的な見地から結論づけた。事実、検査で確認された彼のヘマトクリット値――血液が酸素を運ぶ能力の指標――は常に40%程度で、他の選手と比べてかなり低い値であった。

 しかしながら、クリーンな選手の代名詞と考えられていたカネイシに対するメディアの取材攻勢は止まらなかった。彼の妻子だけでなく、金魚島の実家にまでマスコミの手が伸び、結果、彼の一家は逃げるように英国へと移住することになった。
 三か月も経つ頃には、科学的な証拠はなかったにも関わらず、彼への疑惑――治療を隠れ蓑に合法的な遺伝子ドーピングを行っていた――を確実なものだと人々はみなしていた。

 当時まだ六歳だった彼の一人娘は、父とも仲の良い友人たちとも別れ、見知らぬ海外で暮らすことになった。英語が話せずに学校ではいじめられ、辛い日々が続いた。そんな日が半年間ほどたった時に、彼女に告げられた突然の知らせ。それは父の死だった。彼は、トレーニング中の不慮の事故にて、帰らぬ人となったのだ。
 わたしは彼女が、その時どれだけ辛かったのかを、世界の誰よりもよく知っている。なぜならその娘とは、このわたし、カネイシ・エマ自身なのだから。

「眠れないのかい」
 レースのゴール付近の桟橋。そこにある金魚の形のモニュメントの前に佇んで、ひとり夜の海を眺めていたわたしに、マリエさんが声をかける。
「……うん、マリエさんも?」
 わたしの言葉にマリエさんは、まあね、と肩をすくめて答える。一日目のレースは無事に終わった。幸い、応急措置以上の治療が求められる事故はなし。わたしたちメディカルチームの仕事は、これでほぼ終わりだ。
「明日のエントリー数だけど、一万人だってさ。新記録だね」
 二日目のレースはVRレースだ。世界各国の参加者がこの金魚島のコースを再現したデジタル・ツイン上で、24時間の制限時間の間、タイムアタック・レースを行う。
 彼らの目的はひとつ。大会運営が設定した仮想チャンピオンである「ゴールドマン」に打ち勝ち、一万ドルの賞金とチャンピオンの称号を手にすること。完全匿名で参加可能なこのレースには、引退したプロや、果ては現役のプロ選手まで参加しているともっぱらの噂だった。

「……そんなに皆、父と一緒に走りたいんでしょうか」

 父の死後、事件の真相は闇の中となった。現地警察とUCIの調査チームは、彼が遺伝子ドーピングを行っていた証拠はないと結論づけたが、スポーツ仲裁裁判所は「合理的な疑い」により記録の無期限凍結を要請し、最終的にUCIもそれを受け入れた。

 他の遺伝子ドーピングを行った選手たちと同じく、タイガ・カネイシの名もまた、あらゆるレースの公式記録から抹消された。その競技映像は、ネットの海を自律的にクロールする電子の番人たちにより、すべて非公開化、または削除された。あたかも古代ローマで行われていた記録抹消刑、ダムナティオ・メモリアエのように。

 その唯一の例外が、ゴールドマンだ。実際の選手のタイムアタックの走行データを、分刻みのケイデンスの推移に至るまでVR上に忠実に再現したゴースト。その走行データが事故死する直前のタイガ・カネイシのものだというのは、公然の秘密であった。

「記録は消えても、人の記憶は消えない。タイガは大馬鹿野郎だが――それでも人々の記憶に残る選手だったということさ」
 加熱式タバコを加えながら、マリエさんはゆっくりと話す。
「マリエさんは、父のことを信じているのですか?」
 わたしはずっと聞きたかったことを、彼女に尋ねる。
「……そうさね。もしかしたらあたしは間違っているのかもしれない。でも、昔のあいつはよく言っていたよ。叔母さん、僕は速く走るよりも、人に勇気を与えられるような自転車乗りになりたい、ってね」
 マリエさんは笑みを浮かべて、夜の海を眺めながらそう告げる。彼女の横顔を見て、わたしは父に良く似ていると思った。その顔など、ほぼ記憶に残っていないにもかかわらず。

 二日目のレースも無事終わり、結局、今年も「ゴールドマン」の記録は破られなかった。やがて、わたしがイギリスに戻る日がやって来た。当日、マリエさんは診療所の仕事を休んで、わたしを港まで見送りに来てくれた。
「ありがとうね、エマちゃん。おかげで助かったよ」
「いえ、何もお役に立てず。わたしも大叔母さんに久しぶりに会えて嬉しかったです」
「それはよかった。……あのさ、エマちゃん、来年もスタッフとして参加してくれるかい?」
「いえ、来年はお手伝いはできません」
 マリエさんの問いに、わたしはこの一週間の滞在で出した結論を語る。
「――来年は、選手としてレースに出ます。父と同じ景色を見て、その上で考えたくて」
 その言葉にマリエさんは驚いたように目を見開き、にやりと笑って言う。
「……いいね、その目。昔のあいつにそっくりだ」
 マリエさんは、わたしを優しく抱きしめた。腕の中にある彼女の体は、傷病者を治療する間はあれだけ大きく感じたにも関わらず、思わず小さく感じた。

 フェリーの甲板から、わたしは小さくなっていく島影を眺める。
 父のことをどう捉えるべきなのか、わたしにはまだ分からない。非業の死を遂げた英雄か、裁かれるべる咎人か――。だが、この島で出会った人々は皆、父のことを笑顔で語った。たとえ父が偽りのチャンピオンだとしても、彼らのその記憶には、偽りはないのだろう。

 潮の香りとともに、ほのかな柑橘類の香りが鼻をくすぐる。マリエさんがお土産として持たせてくれた、島の特産物である夏蜜柑だ。わたしは伸びをし、海風の音に耳を澄ます。
 また来年、父の記憶が色濃く残る、この島を訪れることを誓いながら。

(了)

主要参考文献

タイラー ハミルトン , ダニエル コイル 『シークレット・レース』
(小学館文庫,2013)

日本大学アンチ・ドーピングプロジェクト「アンチ・ドーピングコラム」
7. ドーピングに対する検査技術:遺伝子ドーピング

筑波大学 医学医療系 臨床検査医学/スポーツ医学 ウェブサイト
「研究内容のご紹介」

戸崎 晃明ほか『競馬産業における遺伝子ドーピングコントロール』
(動物遺伝育種研究、2021 年 49 巻 1 号 p. 19-29)

周防大島ドットコム 
観光案内 周防大島サイクルアイランド推進協議会

沖縄県医師会報2月・3月合併号
第34回ツール・ド・おきなわ2022報告
(北部地区医師会理事 沖縄県医師会災害医療委員会委員長 出口 宝)


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「ダムナティオ・メモリアエ」

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真夏。海の側の国道で、ヘルメットを被ったひとりの自転車レーサーがロードバイクに乗って前傾姿勢で走っている。画像はセピア色で、レーサーの姿は半透明だ。

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