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石原慎太郎鎮魂

石原慎太郎が死んだ。日本中の、よほど変態趣味でない女性たちすべての、また東日本震災被災者とその遺族の、知的障害者とその家族の怒りと憎しみと軽蔑を背負って黄泉に旅立った。
彼の死より、今年が石井紘基氏が右翼によって暗殺されて20年目にあたる
ことのほうが大事だ。それについては、後述する。

石原慎太郎の死をめぐって、いまツイッターでトレンドになっているのは「#石原慎太郎の死を悼みません」というハッシュタグである。

そのハッシュタグをつけた投稿を、Facebookの山本太郎氏支持者のグループに出したところ、こんなコメントがついた。

<日本人なら、太郎さんなら仏さんになったら悼むのが日本人と言うもの。日本人には欧米やどこかの国にある墓を掘り起こしての罪の追及はないのだ。いかがだろうか。>

山本太郎さんはハバの広いひとなので、支持者のなかにどんなひとがいても驚かない。これはニッポン人の典型で、決して奇異なものではない。それだからこそ問題なのだ。

欧米やどこかの国は、ニッポンより、真実を追究する真摯な姿勢が文化としてある。だから、死んでも追及する。死んだ相手には何の害もないのだから、なんと心優しいことだろうか。生きている相手をいじめ、死ねば死人に口なしと平気でいるのがニッポン人だ。

死者を批判しないのは、死者への思いやりなどではない。死んでから思いやっても意味がない。死者の周りの生者からの攻撃を恐れているだけだ。ニッポンのように閉鎖的で徳川幕府のような権力が行き渡りやすい地理的条件のもとでは、世間を恐れて遠慮と卑下に生きるほかない。零戦、回天、桜花によって若者が死んでいったのも、ニッポンには逃げ場がなく、故郷の家族が世間の(権力の)攻撃にさらされるのを知っていたからだ。こんな国のどこがいいのだろうか?

ホトケの悪口は言わぬというのは、ニッポンの偽善の典型である。このコメント氏のようなひとには、ホトケという言葉の誤用俗用をやめるよう、申し上げなければならない。

言うまでもなく仏とは釈迦が教えたことだが、釈迦の教えのどこにも人は死ねば仏になるとは教えていない。生きて悟りを開けばこそ、仏になり二度と輪廻転生しなくなると教えたのである。

釈迦は寺を持たず野山で起き伏しし、食事は托鉢によって物乞いして得た(ここから、乞食(コツジキと読む)という言葉が生まれた)。自分の死に当たっては、葬儀は一切するなと遺言した(これは弟子たちにより裏切られた)。

このコメント氏をはじめ、ニッポン人はなぜ、こんなにまちがったことを信じているのだろうか? 言うまでもなく当人がそう望んだのでも務めたのでもない。というのは、それは生い立ちのせいであり、幼かった私たちには、自分の精神を形成するものを選ぶことは不可能だったからだ。

すなわち、世界に類を見ないニッポンの教育のせいである。
ニッポンでは学校で近現代史を教えず、国民の生活を外国に関する正確な情報に基づいて国際比較する社会科教育が無く、憲法も労働法も教えないからだ。

近現代史は開発途上国では必ず教えられる。それこそが独立闘争と国民の尊厳の礎だからだ。アフリカの人間たちは知能も遅れてるだろうなどと思う
日本人は少なくないが、ちょっとは認識を改めたほうがいい。国民の力で近代化をせず、武士同士の争いの結果を維新などと讃える国民にそんなことを望むのは無理だろうか。

本来そういう正常な教育をしようとする教師はいるはずだが、彼らは文科省に逆らえない。1950年に地方公務員法改悪によってスト権を奪われたからである。

■石井紘基氏の鞄から書類が盗まれていた。政府の特別会計、特殊法人などをめぐる、自民党政権の根幹に巣くう巨悪を暴露する証拠となる書類だった。
犯人伊藤白水は、裁判の間中、金銭貸借をめぐるトラブルと偽証を続け、最高裁判決は、殺害の動機は不明としつつ無期懲役の判決を下すという異例の恥ずべきことを行った。犯行の理由なしにどうして量刑できるのか。

その後、テレビ朝日記者が根気よく伊藤と連絡をとった結果、殺害の真の動機が書類にあったことは突き止められた。その後再び記者は伊藤に面会に行ったが、刑務官の面前で伊藤が「このひとは知らないひとだ」と言って面会室から退出してしまった。書類はほかに段ボールに何個分もあり、菅直人、鳩山由紀夫はそれを公開することを避けた。その結果がいまの旧民主党の低落ぶりである。鳩山氏は段ボールに残った書類の内容を明らかにすると言い始めている。


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