「中華民族」なんているの?(その2)

中国共産党がことさらに「中華民族」を強調するのは、現実には東トルキスタン(新疆)やチベットそしてモンゴル、さらには所謂漢民族内部の利益集団など、多種多様な「地位や身分、富や階級をこえた人間のかたまり」が存在しているにも拘らず、中華人民共和国の版図の下には一つの「ネイション」しか存在しないかのように主張したいからである。

いや、これを既成事実化させないと、中華人民共和国は中国共産党という「おかみ」=「ステイト」が「中華民族」という「ネイション」を統治する「ネイション・ステイト」とはならないのである。

つまり、英米独仏そして日本などと同列にある・・・嫌がる諸「ネイション」を強権で押さえつけている地域ではない、というフィクションを事実にする必要があるのだ。

私も、若い時からこれを理解していたわけではない。

世界史を相応に学んでいたので、東トルキスタン(=新疆)、チベット、満州、モンゴルは別ネイションだというところまでは、さすがに理解していたが、漢民族は一つの「ネイション」だと思いこんでいた。

さらに、中国共産党の強制、とりわけ文化大革命によって、儒教・道教等の旧来の伝統は完全に一掃されてしまった、と考えていた。

ところが、80年代初期に初めて大陸の土を踏むと、儒教・道教などの伝統的社会規範が慣習として無意識に定着していることに驚いた。

また、文化大革命により暴力的に全ての伝統が破壊しつくされたにも拘らず、改革開放政策が始まったとたんに、誰もが伝統の復活に心を砕くほど、人々の心の深い場所に確かに定着して伝えられている事に驚いたのである。

90年代に入り、現地駐在も含めた業務により交流の幅が広がり、濃密さも増してくると、漢民族が一つの「ネイション」ではなく、無数の「ネイション」の集合体であることに気が付いた。

わかりやすい例が、言葉である。中国共産党は漢民族の中の言葉の違いを「方言」と称して、あたかも「ネイション」内の訛りであるかのように表現しているが、実態は「別言語」である。

そもそも漢民族自身が“四川語”、“北京語”、“広東語”、“上海語”・・・という表現を使う。

そして、この大まかな言語区分間では全く言葉は通じない。薩摩弁、土佐弁、東北弁のような、訛りが異なる「方言」ではなく、根本的に異なる言語なのだ。

そして、このような大まかな言語区分の下にさらに細かな言語の相違がある。村が違えば意思疎通ができないほど言語が異なる。

いまでも、漢民族圏内であっても映画には必ず字幕がついているのは、このためである。

また、様々な背景から「ネイション」によっては、あの苛烈を極めた文化大革命の被害を回避している。

一つの回避策は、面従腹背。これは大陸の伝統的な処世術だろう。「上に政策あれば、下に対策あり」である。

もう一つは、回避の必要がなかった。つまり、朝廷の政策が及ばない「化外の地」である場合だ。これも大陸の歴史の中では伝統的に繰り返されている。

後者については、浙江省温州と台州とで現地の方々から直接聴取した。

この地域は、改革開放後に資本主義的市場経済の先進地域として注目されており「温州モデル」という言葉があったほどである。

実は、この地域は改革開放政策が始まる前の、文化大革命の時期から既にこのような体制であったことを知っていたので、現地の経済官僚にその理由を率直に質問した。

その答えは・・・

「見捨てられた土地だったからだよ。」

この地域は山が海にまで迫り農地が限られていて生産性が低い。だから古来「化外の地」だったのだ。

価値のない土地なので朝廷の政策は及ばない。見捨てらていたので、活路を求めて海外に赴き、国際的同郷ネットワークを築く。「温州ネイション」や「台州ネイション」はグローバルなのだ。これは広東省や福建省も同じだ。

このようなことを学んだ後、白川静さんによる「詩経」の解説を新書などで読んだ。

「詩経」は、殷や周以前の古代から伝承された歌謡を集めたもので、邑と呼ばれる都市国家ごとに分けられて分類されている。

その内容は、儒教の規範に影響される以前の、人々の喜びや悲しみをおおらかに歌っているものなのだが、感じられる古代の人々の息遣いが自分が交流してきた細かな「ネイション」の生命力にあふれる息遣いと同じであることに気づき、感銘を受けた。

漢民族という薄いヴェールの下にある「ネイション」は意外と開放的で、仲間を作りたがる。国籍でもない、宗教でもない、利害共有関係はあるだろうが金銭的とは限らない。家に呼ばれたし、見合いを持ち掛けてくる人もいた。

そういう関係になると、「共産党はしょうがねぇなぁ」などという話も聞こえてくる。そういう時の為にも、中国共産党にまで綿々と引き継がれてきた朝廷による「ネイション・ステイト」フィクションは理解しておいた方が良い。だからといって、批判はしてはいけない。内政干渉だから・・・

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詩経・楚辞 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典                            (牧角悦子 角川ソフィア文庫)
は、「詩経」の平易な解説書なので、ご一読をお薦めする。


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