【日記】多重人格者

 今、色々な顔を使い分けている。他のネットでも活動していて、公私の使い分けとか、数えれば五個くらい顔があるのか。
 もともと、人って、場所の数だけ顔があり、使い分けている生き物だったのだと思う。儀式があり、近所の人と、親と子でも見せる顔は違うだろうし、何よりシチュエーションというより場所だ。場所を変えると、人は顔が変わるものなのではなかったのか。
 お面が、クルッと変わって、笑い顔が憤怒の顔に変わる。感情でも、別人になったようだというが、その様態が人間の総体なのだろうと思う。
 ともかく、最近、自分はちょっとその顔の数が多く、少し大変になって来た。この顔の切り替え、いくつか顔を保持して使い分けるということは、精神的負担になるのだろう。
 ずっと当たり前のことを言っている。要は、多重人格者と、精神的障害を持った人のことを指して言ったりするけれども、そしてそんな姿に変な憧れを抱いたりする人もいたりするけれども、全ては自然なことで、それらを統率する一つの人格があるなどといったことは、錯覚であるかもしれないし、なんていうことは誰かが言っているだろうが、それは疲れで精神の糸が切れた、みたいに言い換えても良いのかもしれないし、もともと多重人格性というのは我々が既によく経験して知っていることの延長なのかもしれない、なにかエキゾチックな存在であるというのも錯覚かもしれないし、健康が一番。

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