【日記】再建設的

 いとうせいこうの、初期に出したラップのアルバムに「建設的」というのがあって、その話をここに書いた覚えも何となくあるが、十年か後くらいに、そのアルバムを再現するように、様々なアーティストがカバーする、トリビュートアルバムの「再建設的」(と書いて、けんせつてきと読むらしい)というのがあったことを知った。
 中でも、ライムスターがカバーした、「噂だけの世紀末」という曲が、一番印象的だった。いや、印象的というだけでは足りない、衝撃を受け、改めていとうせいこうの物凄さみたいなものを感じた。もちろん、一番真摯な形でカバーをしたライムスターの技術にも感嘆する。
 驚くべきは、この名指されている「世紀末」は、もちろん1999年という、あらゆる人が人類滅亡の噂をなかば信じ、半ばバカにし、喧々諤々となっていたあの一期間のことであるが、この原曲が歌われたのは、なんと1989年だった。名指すだけなら、ある程度予想のつく人もいるかもしれない、しかし、ここで歌われている情景は、まさしく我々が、1999年ごろに経験した、世の中の騒乱そのものだった。
 この先見の明。いったいどこに源泉があるのだろうか。
 いとうせいこうの歴史を眺める視点は、表面上に見えるより何倍も広い。この歌詞の中で、かるく、2000年代ではなく1000年代の、最初にヨーロッパ圏が経験した、ミレニアムの騒乱、現在より何倍も血なまぐさく、宗教に彩られた経験も、触れられているのだ。
 これは穿った深読みだろうか。しかし、現在、能の翻訳を行い舞台化に関わったという、いとうせいこうの、歴史感覚は、初手から、いや初手だからこそ、信じるに足るものなのではないかと、思っている。

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