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紫たまねぎのスライス

こころの幸せレシピ⑩

執着は宝もの

シェフ 梯真由美 

【材料】
 ・こだわり  カップ1

【調理法】
 ・私好みに味つけします。

紫たまねぎを輪切りにすると、ぐるぐる渦巻き模様がきれいです。

辛味や刺激が少ないので、
薄くスライスして水にさらすだけで、彩りのよい
シャキシャキ美味しいサラダになります。

塩で軽く揉むと、すぐにしんなりして
それはそれで美味しいです。
同じサラダに加えても、シャキシャキとは違って
別物のような食感と味わいになりますね。

       ・・・・・・・

執着は宝もの

私は、視覚障害とともに45年暮らしています。
比較的早い段階から、自分の状況を把握し、前向きに生きてきた。、、
と思っていました。

でも、何か新しいことを始めたときや、非日常の状況になったとき
自分でも驚くほど、
「私、どうしてこんな事にひっかかるの?」
「えっ?! 私、まだこんな事にわだかまりがあるの?」
「私、なぜ普通にできない事が、悪いような気がするの?」
と、とっくに受容していたはずの気持ちが、
忘れかけていた地点にかえったように引き戻されます。

そんな時は、ズーーーンと沈んだ気持ちになって
息苦しくなります。

でも、装うことのない「今」の自分を
しっかり認識できる絶好の機会でもあるのですね。

もう何度も何度も受け入れたと思っていたはずなのに、
まるでたまねぎをむくように、むいてもむいても
小さくなって、「ほら、たまねぎ!」と
馴染みのある思いが、
ある種の感覚としてよみがえり、ひょこっと顔を出します。

思いと真正面から向き合うと
私が何にこだわり続けているのか、よくわかるようになります。

私は鍼灸マッサージ師です。
長年おつきあいをしている治療院の患者さんが
年齢と共に、ひとりではできない事が増えてきたとき
「ごめんなさい。」という言葉が口癖のようになりました。

本来の私は、「ひとりでできない事は、何も悪いことではないのに。」
と感じて、悲しい気持ちになりました。

でも、私のこだわりの心は、
ひとりで何でもできることは素晴らしい。と思っているので
自分の目の具合が悪く、
目の前の止まっている電車が認識できなかったり、
タクシーを降りて、
自分の家の敷地のどこに今、自分がいるのか
方向がわからなくなったりすると
たまらない気持ちになります。

何をするのにもいつもより時間がかかります。
本来の私は、「ゆっくりでも、今できることを一生懸命やればいいよ。」
と言っているように感じます。

でも、私のこだわりの心は、
生産性が高いことは、よいことだと思っているので、
のろのろしている自分に嫌気がさしてイライラします。

具合が悪いと、普段使っている感覚が鈍くなるので
自分でも不可解な行動になることが、多々あります。
傍目には、危なっかしくて、まどろっこしいだろうけれど
本来の私は、「それが今の私なんだ。大丈夫!」
と言っているようです。

でも、私のこだわりの心は、
他の人の目を、とても気にしているので
「どんな風に思われたんだろう。誤解されたかな。」
と不安になります。

こだわりの心と、こだわらない心は、
ふたつにきれいに分かれるものではなく
両端の間の、どちらも含む混在したゾーンが広がっていると思います。
そのゾーンは、たまねぎのように円く、渦をまいています。

私の思いは、上から見ると
何度も同じところをくるくる回っているだけで、
まるで元の位置に戻っってしまったように見えるかも知れません。

けれども、同じような経験を繰り返し、回りながら
考え直し、いきつ戻りつ、皮をむいてゆき
大きな玉ねぎは小さなたまねぎになってゆくのだと感じます。

1周ごとに、確実に、中心に近づいていると思います。

そして、玉ねぎは最後までむくと芯が残るわけではなく、
「あらあら。そこには何もない!」
自分がこだわっていただけだと気づいて、
ラクになることがあると感じます。

そして、そのまわっている過程こそが
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、悩んだりの感動そのもので、
自分らしさの象徴でもあり、
私を育ててくれる宝ものではないかと感じるようになりました。

それに、とことんやってみないとわからない事がたくさんありますね。

どうにかしたいこだわりの気持ちがあるからこそ、
発見があり、成長できるのだと思います。
さまざまな表現や芸術も生まれ
個人的発展から、社会的発展にもつながって
世の中に、風を吹き込むきっかけが創られるのだと思います。

こだわりとは、
「私は、執着しているな。」という意識をもちながら
変化させてゆくと心地よくつきあえるのではないかと思います。

そして、ある一定の域に達したとき、そこから卒業するのではなく
「今の私には、必要がない。」
とあっさり認め、感謝して手放せたら
苦しみはなくなるのだろう。と思います。

長い間、問いかけて問いかけて問いかけて、問い続けて
今、私は感じます。
『本来の私』は、崇高で素晴らしい私がどこかに居るのではなく
こだわりを持ったすべてのゾーンの私が、
『本来の私』だったと。

【調理のコツ】
 ・こだわりと、うまくつきあおう。

サポートいただきまして、本当にありがとうございます。 どなたかご縁のある方のこころの奥に、私の言葉が届くとうれしいな~。と思って 書いています。とっても励みになります。こころから感謝をこめて。                              板橋真由美