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名前の由来|たましいの名前|亜久津歩

こんばんは、ようやく涼しくなってきましたね。先日、息子に「なぜ今、マクドナルドもロッテリアも月見バーガーなのか」を説明しました。Qaiのnote・2020年9月のテーマは『名前の由来』。3番手はわたくし亜久津歩です。

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あくつあゆむ。これは生まれてきたわたしに付けられた名前だ。頭文字の漢字を「亜」に変え、十代から現在の筆名にもなっている。かいつまんで言うとシンメトリーであることと、「亜(亞)は古代の墓の象形文字」という縁起の悪そうなところが気に入って決めた(本来は墓に限らず“建物の土台”からきているし縁起も悪くないのだが、拗らせていたのでそう受け取った。亜の付く皆さん、不快でしたらごめんなさい)。

わたしは現在、戸籍上では生まれてから三つ目の名前である。そのこと自体に特に不満はないが、何しろ「あくつあゆむ」としての時間があまりにも長く濃く深く根づいているため、これが自分の名だという実感を上書きできそうにない。ちなみに、親も親の親も離別したり亡くなっていたりしてあくつは親族の中から消えてしまった。死んだ名前だ。わたしだけのものになったようで、どこか嬉しい。

ここでいわゆる選択的夫婦別姓制度について論じるつもりはないが、いや選ばせろよというのが経験上の素朴な感想である。夫婦でも、親が離婚したときに子が選べないのも、まず感情として嫌だ。愚痴ついでに、筆名を本名やそれに準ずるものにすべきという意見には「NO」と答える。筆名はどんな文字列(本名仮名あるいは記号、その他)を名乗ろうとも自由だ。ただ作品に添えられることのある以上、タイトルと同様に作品の一部と認識している。わざわざ言うほどのことかと思うが、本名を名乗れとか住所録や奥付に住所を載せろとか言ってくる御仁が実在したので念のため書き添えておく。ほっとけよな☆

さて。名は名乗りをするものであり、「自分はこういう者です」と繰り返し目に耳にするわけだから、どうしたって本体も影響を受ける。わたしが「頭韻・!!」という感じのたましいなのも、いくらかは刷り込みだろう。母から聞いたB案はかなりファンシーでメルヘンなネーミングだったので、あちらが採用されていたらずいぶん違う人材になっていたのではないかと思う。

あゆみ、ではなくあゆ「む」であるところも自分としては大きい。過去や完了ではなく進行形なのがいいだろ、歩む人になれよ(それは連体形)と発案者の亡父は悦に入っていたが、まあ、わたしも気に入っているよ、今となれば。幼い頃はこの「む」が大嫌いであゆみちゃんが羨ましかった。自己紹介の度に間違えられるし、訂正すれば「男みたい」と言われるし。外見もボーイッシュだったのでよくからかわれた。ほっとけよな☆今では愛着がある。「歩」一文字であゆむ、わたしの名前はこれ以外にない。

生涯が一篇の詩だとするなら、名はタイトルか、書き出しか、絶筆の一文字だろうか。なんとなくそれっぽいことを言ってみました。それでは、また次回。


#名前の由来 #名前
#コラム #エッセイ #Qai

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