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【創作をやめようとした日】箱森裕美

こどもが2人いて、子連れ句会にもずっと参加しているにもかかわらず、はっきり言ってわたしはいわゆる「吾子俳句」を読むのも詠むのも苦手だ。

どうしても子を優しく見守り導く「正しい親」が見えてしまう。
こどもを持ってから今まで、自分を「正しい親」だとはとても言えないわたしにはまぶし過ぎて直視できない。

わたしは自分がこどもを持ってすぐ、今思えばたぶん、結構な産後うつになった。

育児書も育児系サイトもみんな言っていることが違って、しかも多くのこどもがそうであるように、自分のこどもに当てはまるものも当てはまらないものもあって。

それは今考えれば当たり前なのだけれど、どうしていいかわからなかった。
相談する人もいなかったし、気分転換に外出することもこわくてできなかった。

このままずっとこのあかんぼうはあかんぼうのままなのではないかと思うくらい、一日一日が長かった。笑いは引きつっていた。
子育てに向いていないのでは、このままこどもを育て上げられるのだろうかと不安だった。

そんな日々を送りながらも、だけどわたしには「創作をやめようとした日」は来なかった。俳句はほそぼそと続けた。

逆にそんな日々だったからこそ、俳句をつくる間だけは自分だけの感覚と向き合いたいと思っていた。
こどものことを俳句にしようとは思わなかった。

悪夢のような新生児期〜低月齢期が過ぎ、いつの間にかこどもは大きくなり、その下にもこどもが産まれた。
もう育児書はしまい込んで、育児系サイトも必要以上に見ないことにした。

昔のように切羽詰まった絶望感はないし、こどもとの暮らしに楽しさも感じるようになったけれど、相変わらず子育てはうまくできていないし、いまだに率直な子供への讃美・愛情をうたった句を読むと、そうできなかった一時期の自分を思い出して苦しくなる。

だけれどこんなこどもまみれの毎日を送っている今、こどもが自分にとって不可欠な存在になっている今、もうこどもの句ができてしまうのは避けられないことなのではないかと、ここ1〜2年くらいは思うようになってきた。

だってこんなにも、自分の好きな曲は聴けずに『いないいないばぁっ!』や『おかあさんといっしょ』の曲ばかり覚えていくし、部屋にはポケットモンスターのフィギュアが散乱しているし、手にパンダのパペットを着けて裏声出してなだめながら食事をさせたりと、べたべたしたクレヨンで暴力的に、自分の叙情的なものを日々塗りつぶされているんですよ?

目の前に歴然とあるものを、あえて無視するのは不自然だ。今まで自分がやっていた、自分の中から叙情だけを呼び起こすようなつくり方をしていったら、それこそ自分の「創作をやめる日」がやってきてしまう、と思ったのだった。

去年の結社の賞にはこどもとその周りを詠み込んだ連作を出した。
結果は残念だったけれど、自分にとっては今でと意識を変えて作品に取り組んだ、わりと大きなこころみだった。

吾子俳句、吾子俳句。
いまだにその言葉には抵抗があるけれども、わたしはこの日々に向き合って、自分なりの吾子俳句というものをつくっていければなと思う。

<俳句>
ふらここと砂とかくれんばうの日々/箱森裕美 

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