黄色の花2

【創作をやめようとした日】柴田葵

はじめまして。
作りながら生きていくための同人『Qai〈クヮイ〉』です。

noteでは、毎月ひとつのテーマについて、同人4人が順に好き勝手に書き綴ります。(毎週日曜更新予定)

記念すべき第一回のテーマは「創作をやめようとした日」。あなたは創作をする人でしょうか? 創作をやめようとしたことはありますか?

私は、短歌をつくる柴田葵という者ですが、短歌をやめようとしたことがあります。つい数ヶ月前のことです。

私には子供がふたりいます。ふたりとも年齢はひと桁代です。そして(子供たちのプライバシーに関わるので詳細は一切書きません・なんなら脚色もしますが)先日、子供のひとりにやや深刻な問題が発生しました。
その日から私は毎日奔走しました。問題はいつ解決するかわからない類のもので、解決するかどうかすら当初は怪しく感じられました。なお、子供は何も悪くありません。喩えるなら骨折のようなもので、誰にでも起こり得る問題でした。ただ、親である私の行動や言動が、その問題を悪化させるようにも劇的に解決させるようにも感じ、それが劇的な解決を見せない以上、私は毎晩自分を責めました。

総力をあげて自分が自分を責めはじめると、全自分が責めに回るので、自分を守る自分はいなくなります。責められっぱなしです。笹井宏之賞の副賞として出版される歌集の準備も、やりたいと考えていたことも、頭をよぎるだけで声が聞こえました。

「こんな状況で?」
「子供以外のことを考えているの?」
「仕事でもないのに?」

そう、仕事ならば、ぎりぎり責めを逃れることができました。私は現在、状況に応じながら小さな仕事を請け負っているのですが、それらの締切は今後の金銭獲得のためにも守らねばなりません。金銭は、明確に子供たちの利益につながります。

結論から言うと、幸い、子供の問題は数週間して急速に快方に向かいました。私は短歌をやめませんでした。

深い谷を抜け、なんとか光の差す場所にでることができた今、創作について改めて感じたことがふたつあります。

■ひとつめは(基本的には)誰かの創作物に対して金銭報酬があることは良いことだし、建設的だと思うこと。

短歌に限らず、どんな分野でも「自分の意思で自腹で創作をする」という創作姿勢は存在します。確かに、需要・供給という経済に縛られない作品を産むことが可能かもしれません。ただ、別の見方をすれば「自腹の限度に縛られて創作をしている」と言うこともできます。持病がある、借金がある、幼い子供や支えるべき親族がいる、そのほか生活や将来に不安のある方は少なくなく(というか多く)自らが用意できる自らのための資金、というのは、どうしても縮小傾向にあります。もしその分野が「基本的に自腹」「自腹でこそ良い作品が生まれる」という姿勢であり続けるならば、その分野の衰退にも繋がりかねません。

かといって、報酬を与える・得るシステムの難しさは、在宅で仕事を請け負う立場として骨身にしみています。どういう方法があるのか、どうするべきなのかは、私自身が創作をしながら考えていくべき事柄です。これは希望ですが、正解は複数あるはずです。

■ふたつめは、私の子供は私にとって「最推しの人間」であること。かなり個人的な話になりますが、書いておきたいので書きます。

私は愛というものに強い興味がありますが、実感として捉えきれていません。だから「子供を愛している」という表現は自分には馴染まず、強いていうならば推しています。全力で推しています。力の限り推しています。この身が朽ち果てるまで推しています、と言いたいところですが、私の最推したちは、私があんまり早々に朽ち果てると困窮するリスクが上がるため、朽ち果てることはまだできません。(なお、この感情は私に限った実感ですので、他の親たちのことはわかりません。それぞれだと思います。)

順調にいけば、私の最推したちは次第に、私の手の届かないところで活躍しだすでしょう。だんだんと、私のようなファンが言葉や行動を伴って「推す」必要性は減り「お気持ちだけで結構です」と言われるようになるでしょう。推しはファンの所有物ではありません。推しは推し、私は私のなかにそれぞれの幸せがあるはずです。別の人間なんだから当然です。でも、この感覚を保ち実現するのは、実際には難しい。これほど「推し」と「ファン」がこじれやすいジャンルも無いんじゃないでしょうか。笑い話ではありません。私は深刻な顔でこれを書いています。

私は最推したちの幸せのためにも、自らの幸せを手に入れる必要があります。最推したちが私を必要とする限り、走り回り、駆けつけ、資金を稼いでお金を落とし、一緒に泣いたり笑ったりするでしょう。でもそれと並行して、私自身が何をやりたいか、どう生きたいか、どういう歳の取り方をしたいか、挑み続ける必要があります。推し活動のせいでやりたいこともできなかった、なんて推したちは聞きたくないでしょう。素敵な人間になりたい。最推したちのためにも、私はにこにこ元気でありたいのです。

私は創作をやめません。なにもかも諦められない。私はすでに、子供たちの世界の一部になってしまっていて、私がより良い日々を歩めば、彼らの世界も少し良くなるはずだから。

<短歌>
三脚が無いね、無いねといいながら本を重ねてみんなで写る
/柴田葵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?