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ご報告

本日、近医にて「適応障害」との診断を受けました。

現在治療を受けております。

関係する皆様方にはご心配をおかけしてしまうと思いますが、私なりに受け止めてこれから向き合っていきたく存じ上げます。

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...と、それらしい文言はこのくらいにしておきます。

ここからはいつもの執筆に戻ります。

正直、診断に至るとは思っておらず、状況が非常に特殊なので「どうにか耐えてください」で帰されると思いました。

また、私個人的に最も診断を受けたくなかったのが、がんでもなく心疾患でもなく、精神疾患でした。

理由はいくつかありますが、せっかくですので詳らかにしておきますか。

1つは血縁ほぼ全員が未診断含め何らかの精神疾患を抱えており、唯一の健常者が私だと思っていたからです。

そして精神疾患に罹患している事や家族歴が明らかになれば、今後医師として生きていく上で一緒にお仕事をするスタッフ、患者様とそのご家族様など関わる方に「医者の不養生」「そんな医者信用できない」と思われると考えていました。

ゆえに私は是が非でも精神科にだけはかかるまいと心に決めていました。

考え方は人それぞれなので肯定も否定もできませんが、精神疾患をあまりよく思わない人達がいるのは事実だと思います。

かくいう私もその一人でした。

心の弱さや甘えからなるものというイメージが強く、ましてや家業が精神科でもあるため、幼い頃からそういうものだという刷り込みもあったと思います。

しかし、私は私自身がかけた呪いに囚われすぎていた結果、こうなったのかなと思います。

そもそも「遺伝子には逆らえない」という命題は医学を学ぶのみならず、社会生活を送る上で嫌というほど痛感してきました。

それを踏まえて「遺伝がすべてではない」という事を私自身が証明して見せたかったのです。

今回私が発症した原因は環境要因が大きいと思いますが、それでもひたすら「認めたくない」「私がなったら終わりだ」と暗示をかけ続けていました。

自分が傷つけばいい。そうしたら全て終わる。解決する。

実際その方法でこれまで解決できていたので様々な暴力やハラスメントに耐えてきました。

しかし、人間は臨界点を越えるといよいよ身体がSOSを発し始めることが分かりました。(詳しくはこちらの記事で明らかにしているのでご覧いただければと思います。)

自分が傷つくのであればまだしも、今回はいよいよ他人を傷つけ始めるような思考回路ができあがり始めたので、いかなる理由であれ誰かを傷つける前に食い止めなければとクリニックへ駆け込みました。

正直、行くと決めたものの何度もやはり引き返すべきか...と考えたり、道中で動悸がしたり、着いた瞬間涙が出てきたことをいまでも覚えています。

しかし、最後の良心を振り絞って受付をしました。悪に心が支配される前に、希望を託そうと。

診察室へ呼び入れられた時、あぁ、ここまで来てしまったと一瞬絶望を味わいました。私、勝てなかったんだと。

しかし、入ってしまえばもう委ねるだけ。これまで起きたこと、経験してきた感情、複雑な家庭事情など先生にお話しました。とりとめもなく、伝わりづらかったと思います。

それにも関わらず、先生は遮ることなく、適宜質問を交えながらお話を聞いてくださいました。

個人的にはとてもいい先生に当たったと思っています。症状に対してはこういう治療をやってみよう。状況や感情に関してはこう対処した方がいいよと。

客観的なアドバイスをいただけたし、よくここまで頑張ったと。Vさんは真面目で優しいからそう感じてしまうのだと。欲しい言葉を沢山いただけました。

最も印象に残っていた言葉は

「本当におかしくなってしまった人は問題を起こしてからここにくる。ご本人が問題を起こす前に来ているということは自制が働いている証拠ですよ。」

私、間違ってなかったんだ。

希望が残されていたんだ。

そして適切な選択をしたのだ。と。

傍から見れば当たり前のことかもしれないけれど、当事者からするとこの言葉が何にも変え難い救いであったのです。

身体の傷は薬や手術で治ることが多いと思います。

しかし、心の傷を癒すのは「言葉」であると思います。

「言葉」は間違った使い方をすれば武器になります。

実際問題、物理的な武器を捨てるという選択をしたこの国は「言葉」という武器で人を傷つけあう世の中になっていると日々感じます。その犠牲になってしまったのが私含めた生き辛さ、心苦しさを抱えている人ではないでしょうか。

しかし、「言葉」は適切な使い方をすれば傷を癒す薬にもなります。

その一例が今回の出来事であったと思います。

「言葉」はこの地球上で人間だけに与えられている特別なものです。

その「言葉」で傷つけあうこともできますが、愛し合いや分かち合いもできます。

それこそ、薬だって同じです。

適切な量は人を癒しますが、もちろん少量では効果を発しませんし、逆に過度の投与をすれば中毒になり最悪の場合死に至らしめるものでもあります。

「適量」が人によって違うことを理解して、最適を維持できることがベストだと思います。

現実はそううまくいかないと思いますが、そうなる日が来るまで私は生きれればなと思っています。

私も自分が織り成す言葉で、誰かを癒しや救いで包み込めたらいいなと思って、執筆を始めました。そして私自身が誰かの救いや希望でありたい。そう思って医師と言う道を選びました。

希望を捨てないこと。信じること。信じ合うこと。信じた道を突き進むこと。

それこそが救いの道であると考えています。

今日は、月食ですね。月も太陽も、光り続けては疲れてしまいます。

だからこそ、たまには隠れてもいいよね、と。

この銀河系も逃れる道を与えてくれるなと。

宇宙は全ての可能性が生まれ全てが死にゆくところ。

もちろん希望も生まれてくるな、と。

今日の私にぴったりだなと思ってカバーにしました。



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