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通史で読み解く司馬史観1  戦国時代編「斎藤道三」国盗り物語 司馬遼太郎

「通史で読み解く司馬史観」と題して、まずは、「国盗り物語」の最初の主人公・斎藤道三から読み解き始める。

司馬遼太郎は終生、自分が若いときに巻き込まれた太平洋戦争について考えた。必死に「なぜ日本は大東亜戦争を引き起こしのたか?」という原因を考えた。そしてその根源を、戦国時代の濃尾平野の戦国武将たちに見た。(磯田道史「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 より)

しかし、濃尾平野の戦国時代を凝視するとそこには、革新派の斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉と、対立する保守派の明智光秀、徳川家康という2つの勢力に分かれている。今回の「通史で読み解く司馬史観」は、これらの人物の思惑を裏と表で、登場人物を入れ替えながら考えて続いていくことになる。

そのスタートこそ、この戦国時代を代表する男、斎藤道三なのだ。

「日本の中世の破壊者としての斎藤道三」

日本の戦国時代を理解するには、その前提として中世の鎌倉に発した武家政治が頭に入っていないといけない。この通史読み解きを始めるあたり、鎌倉幕府の勃興、引き継いだ足利幕府の衰退、そして応仁の乱あたりを自分の教科書である「いっきに学び直す日本史(東洋経済新報社)」で読みなおした。加えるなら、その戦国時代の政治の裏で、経済活動を独占していた寺社についても知っておきたい。

社稷の天である朝廷と、現世の行政支配を行う幕府、加えて経済活動を牛耳る寺社による、権力分立で、日本の中世は成り立っている。この構造は、西洋の中世構造と比較すると面白い。神の恩寵を預かるカトリック教会とゲルマンから流入した蛮族によるいびつな「暗黒の時代」である。中世とはいずこも血なまぐさい、暗愚な時代なのだ。
日本の中世は、応仁の乱で、完全に崩壊する。天皇家も足利幕府も全国的な統治ができなくなり、各地で地侍が勢力を伸ばし、戦国武将と呼ばれる。織田氏にせよ、徳川氏にせよ、名門などではなく、その時代の新興勢力であることには違いがない。

さらに、武家の背景を持たない人間さえも才覚さえあれば成り上がりが可能になったのがいわゆる「下剋上」である。農民が足軽から戦闘に参加して功名を立て、大名になる、それが可能になるくらい世の中の序列は乱れていくのだ。しかしながら、それが我々が通常思い描くような長い時期であったかというとそうでもないと、司馬遼太郎は書いている。「後に戦国諸大名を慄えあがらせた斎藤道三の若いころは、まだ家門がものをいう時代で、いかに有能でも、氏素性もない庄九郎をいきなり士分に召し抱える大名はいなかった」。故に武家の権力背景を持たない男が、乱世を知恵だけで渡っていく、痛快なサクセスストーリーこそが「国盗り物語」なのだ。その下剋上を象徴する人物として、司馬遼太郎が選んだのが、美濃の蝮と呼ばれた斎藤道三だ。彼こそ、「人間の欲」を利用して世の中を駆け上がった男だからだ。

斎藤道三は巷間、油売りから身を起こしたといわれるが、司馬の書き出しは、妙覚寺で「智慧第一の法蓮房」と呼ばれた者が、還俗して松波庄九郎になっている。幕開きはまさにその庄九郎の乞食姿から始まり、乞食男の「名前を巡る物語」として書き進められる。

さて、斎藤道三がなぜ「油売り」で有名なのか。この乞食男が最初に目をつけたのが、油だったからだ。この油は食用ではない、燈油であり、灯火のための荏胡麻油だった。当時、燈油の老舗が京都の奈良屋だった。庄九郎は、この奈良屋の乗っ取りを企む。この乗っ取りの手段が、なんと油屋の後家さんの籠絡なのである。ここら辺が司馬遼太郎のエンターテインメントの実に楽しい部分なのだが、こういうケレンが嫌いな御仁は、まじめな歴史書だけをお読みください。この後家さん「お万阿」へのアプローチとその連れ合い人生は、小説としてわくわくする展開の連続。昔のNHK大河スタッフはこういうのをちゃんとまじめに映像化していて、かなりいやらしいのです。まさに素晴らしい!の一言。「麒麟がくる!」のスタッフは、こういうところをしっかりと温故知新してほしいものです。

「国盗り物語」のスタートを、「大店の経営権乗っ取り」にしたというのは、司馬遼太郎が、これを「武士の物語だけにするつもりがない」という気概のあらわれだろう。「国盗り=下剋上」を描くというからには、経済的な背景にも話は及ぶはずで、もちろんスタートは「下」であるべきで、その後に経済的も、権力的に「上」に登っていくストーリーでなければならない。その上昇するベクトルこそが、サクセスストーリーとしての醍醐味なのだから。だからこそ斎藤道三の物語は、乞食が裸一貫で始めて、商人の家系を強奪、その莫大な財力で武士になるのだ。

ところが、最新の調査では、この還俗者から油売りになる男の話は、斎藤道三の父親ではないかという説が主流になっている。そうだとしても武家の背景のないものが一国一城の主に、2代でなり得たのが戦国時代なのだが。こうしてしまっては、下剋上の代表としての面白みにかけるじゃないか。ここは司馬遼太郎の設定に浸りたいので、この読み解きではあくまで庄九郎のストーリーを追いかける。

さて庄九郎は油商の奈良屋を乗っ取るが、その後、この大店の社長として経営に成功する。後家との仲も睦まじく、ここまでは、めでたしめでたしなのだが、繁栄すればするほど、憎まれるのが常で、この「油の専売権」をめぐって、寺社との騒動に巻き込まれる。

ここで「国盗り物語」が実は経済小説である点が明確になるのだ。繰り返すが、当時の寺社はこうした専売権を独占することで、中世の経済を裏で牛耳っていた。この寺社が独占するビジネスの既得権への対抗策が、道三の後年の施策である「楽市・楽座」につながる。それをそのまま継承したのが織田信長であり、それが比叡山焼き討ちなど信長の寺社排斥の遠因になるわけだ。当時寺社が独占していた「専売権」という既得権益を取り上げない限り、道三ー信長が構想した経済発展による権力運営は成立しないからである。
この騒動の中で、庄九郎は、後家さんを篭絡して手に入れた奈良屋から、自前の山崎屋に変え、山崎屋庄九郎に変名する。まずは油売りの社長として完全独立を成し遂げる。この山崎屋庄九郎の願いは「幕府を倒す」ことだった。「国盗り物語」は登場人物を入れ替えながら「幕府を倒す」ことを巡る話なのだが、道三の場合、この夢は、一代では叶わない。道三の娘婿・信長に、楽市楽座などで地域経済の発展、南蛮との貿易などの形で引き継がれる。そして「経済の発展をベースにする国家運営の手法」は豊臣秀吉に継承されて天下に完成する。

さて経済活動だけでは、国は良くならないことを痛感した庄九郎は、商売を通して、武家に接近していく。「幕府を倒し、より良い世を創るため」にだ。そして狙いを定めたのが、美濃の土岐家であった。主人公の成り上がりに対抗する形で描かれるが、足利将軍家ゆかりの名門の地方大名・土岐頼芸である。その当時の土岐家はお決まりのお家騒動で揺れている。足利幕府は中央も地方も「人の欲」が内向きに暴走していた。

司馬は道三をして「庄九郎の半生は謀反の連続で、その巧緻さは 謀反を芸術化した男、といっていいほど」という。こうして狙われた土岐家はこの男の芸術の舞台になる。土岐家に入り込んだ庄九郎は、土岐家門では名家の斎藤家を継承して武士・斎藤を名乗ることになる。法蓮房ー松波庄九郎ー奈良屋ー山崎屋ー斎藤庄九郎、これで武士になった。この変名の歴史こそ、司馬遼太郎が書きたかった「下剋上の証左」であろう。

「一国を奪ってその兵力を用い、四隣を併合しつつ、やがては百万の軍勢を整えて京へ押しのぼり、将軍を追って天下を樹立する」
「もはや庄九郎の天下には、神人などというばけものもゆるさず、徳政などの暴政はなさず、商人には楽市・楽座(自由経済)の権を与え、二里ゆけば通行税をとられるというようなことをやめて、関所を撤廃し、百姓には一定の租税のほかをとらず、天子公家には御料を献上してお暮しの立つようにする」これが、庄九郎の夢であった。内向きに血なまぐさいお家騒動を繰り広げる武家に対して、なんとも潔い志ではないか。

なぜ斎藤道三がここまでの下剋上を叶えたか、それは彼が「経済」をわかっていたからだ。経済とは「人の欲」を利用する行為である。そして山崎屋の油売りで儲けた巨万の富を惜しげなく、出世で上昇するためのガソリンとして使う。「人の欲」で儲け、「人の欲」を利用して謀反を起こし、「人の欲」が及ばない清廉な世の中を創ろうとしているのである、まさに中世の破壊者だ。国盗り物語で描かれる道三が、油売りと戦国大名の二役を、あくまでも同時にこなした形で描かれる理由は、ここにある。この時代の革新として、経済と武力を同時に行使する新しい支配の形態を示しているのだ。それが近世への革新だった。

かたや世界では、人の欲望が爆発していた。大航海時代である。その波は東洋の周辺国・日本にまで届く。道三が美濃国盗りを実現した1542年に日本に鉄砲が伝来する。世界は中世の呪いを破り、経済による大侵略時代に入っている。そして日本は鉄砲をわずかな年月でキャッチアップして、世界でも類を見ないほどの近世的な軍事国家を作り上げていくのである。

こうして、司馬遼太郎が描く斎藤道三は、坊主ー商人ー武士ー城主ー守護職ー戦国大名と「名前と職業」を変えながら、下克上を「斜めのベクトル」で、駆け上がっていく。その「斜めの軌跡」は、身分社会であり、垂直の出世を阻んだ家名主義の時代だからだったのだろう。故に斎藤道三は「一代」という時間的な制約を受けて、天下に届かなかった。


同じ下克上の象徴でも、豊臣秀吉は、足軽から将軍まで、武士としてだけの「垂直のベクトル」で人生の軌跡を描く。これは秀吉が、織田信長の能力主義に取り立てられたからこそ可能だったのだ。

秀吉が「一代」で天下人に辿り着いた背景には「真の革新」があったのだ。本当の破壊者・信長の能力主義の人間評価こそ、近世の幕を開いた「革新」なのだと思う。

さて、司馬が描く斎藤道三はなにより好色な男だ。ほかの登場人物も女には目がない人が少なくないが、道三ほどその道を研究し、極めた形では描かれていない。斎藤道三は、油屋の後家取りもセックスで魅了したし、土岐家乗っ取りの際にも手土産として、土岐頼芸の妾の深芳野を強奪する。この時に深芳野のお腹には、頼芸の子がいた。これが、道三にとって運命の子になる斎藤義竜(竜興)である。斎藤道三は自分が育てた子供による「謀反」で命を落とす。それは大きな夢を描いた男の、好色が招いた大きな落とし穴だった。謀反を芸術化した男は、その子の謀反によって幕を閉じる。これが下剋上の男の終焉である。

関連リンク:1冊1P  司馬遼太郎史観「戦国時代」

https://note.com/q_do/n/n436b1c43c81e?magazine_key=m07ef02f58364

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