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公武盛衰記外伝・「中世」の構造理解 「鎌倉殿の13人」と「ゲーム・オブ・スローンズ」の共通項を探る 

太田泉


源平公武盛衰記から中世・公武盛衰記へ

「源平公武盛衰記」と名乗って始めた、このマガジンの筆が止まってから、半年が経ちました。その間に「アニメ平家物語」も、映画「犬神」も終わり、「鎌倉殿の13人」も残すところ1か月になります。

連載休止のその間、ずっと考え続けてきたことがあります。

源平盛衰記と称したものの、自分は「源平」だけに関した、矮小なものではなく、「中世」そのものの本質に迫りたいのではないか? 

ずっと、もやもやとしていたのですが、夏にアメリカ制作の「ゲーム・オブ・スローンズ」を全8シリーズをマラソン鑑賞し終えて、11月になって、やっと脳内が整理されてきました。

西洋の中世と日本の中世を比較する視点を持ったことで、突破口が見えました。それにより「中世の本質」について、それなりに独自の視点を出せそうな予感があります。

そこで、これを期にマガジンのタイトルの「源平公武盛衰記」を、「中世・公武盛衰記」と改めて、朝廷と幕府の関係性を主体に、西洋中世の比較文化考察を入れつつ、中世の本質に迫ってみたいと思います。

「ゲーム・オブ・スローンズ」については知らない方も多いと思いますが、以下をご参照ください。この物語は、ドラゴンやゾンビが登場するので、ファンタジーとだけ認識している人が多いのですが、そこで描かれたものは、中世の本質である「権力をめぐる暴力とセックス」でした。
中世史に興味がある方は、ぜひご鑑賞ください。

参考
ゲーム・オブ・スローンズ - Wikipedia

鎌倉殿の13人 と ゲーム・オブ・スローンズ の比較

さて今回は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」と、「ゲーム・オブ・スローンズ」の比較考察です。総論を得意の1冊1Pにビジュアライズしてみました。

ポイントは「野蛮な新興勢力 vs 腐敗した中央政権」です


これは日本も、西洋も変わらない構造で、正直に言えば、時代に関係なく、「権力を巡る不変の対立」なのだと思います。

キーワード
・野蛮な新興勢力 
・腐敗した中央政権
・寸鉄を帯びず
・日和見な同盟国
・バスタード(落とし子)

中世への構造理解

1.野蛮な新興勢力

 

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、坂東武者という新興勢力が、次第に中央政権に影響を及ぼしていく変遷が語られます。
その集団の特徴は一言で言えば「野蛮」です。
ドラマでは大河史上類を見ないほどの残虐な殺人や、非人道的な暗殺、ダークな謀略が続きました。

「ゲーム・オブ・スローンズ(以降GOTと略)」の本質も「野蛮」でした。
有料放送で制作されたため、残虐シーンとエロスを描きやすくかったと思いますが、その残虐さとセックスシーンは苛烈を究めました。
それはたぶんに意識的なもので、中世の本質を描くために、「しっかり野蛮と性」を表現していたのです。彼らは、日本の映像業界が自分たちにかけている制限をすべて取り払った上で、中世の「中世らしさ」を描いていたのです。

「力による覇権」とは、「権力のためには簡単に人を殺す」ということ

名著「超訳 ヨーロッパの歴史」は、野蛮の源を「文字を持たない蛮族の流入」によるものだと分析しています。

参考 百歳百冊 超訳ヨーロッパの歴史|太田泉|note

西洋史の場合は「ゲルマン民族の流入」を指します。日本も同様で、新興勢力が文化的に劣っているのは常で、「鎌倉殿の13人」では、鎌倉殿に従った文盲の上総之介が、必死に文字を習うシーンで象徴されています。ほかにも鎌倉武士が、蹴鞠や和歌を物真似するという形で表現されています。

野蛮な政権では、力による覇権が実行されます。
個人の命は軽んじられ、「殺人による統治」が実行されます。そして、その荒っぽいパワーを武器にして、新たな土地を求めて、どん欲に領土拡大を続けていきます。

彼らはその野蛮なパワーで既成概念を打ちこわし、現体制の築いた壁をぶち壊して、中央に進出していきます。

2.腐敗した中央政権

かたや、中央政権のキーワードは東西問わず「統治の正当性」です。
そこでは「血脈」が最重視され、その継承のために、長年に渡り、醜い権謀術数が繰り広げらています。

その正当性の象徴が「玉座」や「三種の神器」なのです。中世のドラマではこれを巡って物語が進行していきます。

GOTにおいては「鉄の玉座に誰が座るか?」がストーリーの本質であり、その正当性を巡る物語なのです。

源平記も、王位継承をめぐる物語なのですが、壇ノ浦で三種の神器のひとつが損なわれることで、「統治の正当性」が揺らぎます。それが京都側の物語を紡いでいきます。後鳥羽天皇の即位にあたり、この件が問題となり、真の王の証明ができなかったことが、彼をして、王権の復古に走らせた遠因と考えられます。

血脈を巡る陰謀と暗殺


そして「統治の正当性」が必然として、「血脈を巡る陰謀と暗殺」を駆動させます。この血生臭い世界観が、武力勢力の派手な戦争とは別の中世のもうひとつの本質になります。

日本の中世を描こうとするとどうしても武士団の物語になってしまいますが、中央の血脈騒動が地方に影響を及ぼしていることに理解が及ばなければ中世はその全体像を見せてくれません。

「天皇」を巡る謀略が京都に存在するから、その権謀術数に手間がかけ過ぎて、そのため地方の統治が弱まり、そこに新興勢力が伸びていく素地ができるのです。

ですから、源平の登場人物の派手な動きを抑えることと同時に、中央集権の大きな流れを見る必要があります。
大和朝廷の武力構造、その後の平安な時代の権力闘争、続く藤原摂関政治という流れを感じたうえで、京都を眺めることで、摂関の影響を脱却しようとして誕生した「院政」の誕生の意味が分かります。これを無視して、中世は語れません。
院政も「統治の正当性」が要求した時代の発明なのです。

天皇という「王」と、執政機関である「朝廷」、これはまさに西洋における「王」と「議会」の関係と同じです。
GOTでは、これを補佐する役目として「王の手」が存在します。同様に日本では「摂関」が政治の実行力を持ちます。

この権力を強化する構造として、宗教機関が存在します。
鎌倉殿では、僧侶・慈円がたびたび登場します。この時代、宗教だけでなく商業権を握る寺社勢力を無視して政権は語れません。彼らの暴走する「強訴」が武士団の誕生の素地になっています。

GOTでも、宗教は様々な形で物語を駆動させますが、首都キングスランドでは、新興宗教が、政権を簒奪していくさまが描かれました。

「超訳 ヨーロッパの歴史」では、ヨーロッパ大陸で、野蛮なゲルマン人が長期政権を樹立できた理由を、キリスト教会との結託であると説明しています。つまり影の支配者はキリスト教会であり、神から与えられた神権を授与するという形で、王族の「統治の正当性」が発生しているのです。

また、都では「洗練された文化」も大いなる武器になります。
後白河上皇が愛した「今様」、後鳥羽の「和歌」が、単なる趣味を越えて、それぞれの権力の強化にいかに役立ったかは、遠く離れた源実朝の和歌への傾倒でわかります。彼は己の正当性の証明を、都の流行の中でする必要があったのです。
新古今和歌集に武家の棟梁の作品が掲載されていることも、中世の本質理解には重要なことだと思います。

3.日和見な同盟国

中央体制と、地方に発生した新興勢力という主軸に対して、それを取り巻く地方勢力が存在するというサブ軸の認識が、中世を理解するために大事だと思います。

GOTでは明確に「七王国への盟約」という存在が彼らをつなぎとめています。しかし、この盟約はあっさりと破棄されます。実際には、地方の独立諸国は、日和見で、政権交代の影がちらつけば、勝ち馬に鞍替えします。
いわんや自分の一族もいつかは、政権奪取を目指すという野心があります。虎視眈々と覇権を目指しているのです。

つまり、中世における「全国制覇」は絵に描いた餅で、古代のような広域の覇権は樹立できていないと考えるのが妥当です。物流と情報の網の目が常にメンテナンスされてはじめて統治が継続します。GOTでは、これを「子供たち」と呼ぶスパイ組織と「伝書カラス」で象徴していますが、航海技術も郵便制度も未熟な中世では、地方は地方で勝手にやっている状態を抑える必要があります。

この構造は、日本でも同様と考えられます。日本の中世史では語られることが少ない「西国」の諸国の動向が、より深い中世理解へのキーなのだと思います。

源義経が平氏打倒の際に西国の海賊(独立勢力)と手を組みますが、本来的には、頼朝が東国に政権を樹立した以降も、西国は、京都でもなく、鎌倉幕府でもなく、完全服従していない独立勢力として、独自の日和見の態度を続けていたと考えられます。

この部分の資料や考察が少ないために、日本の中世理解が深まらないのではないかというのが、半年間の執筆停止のモヤモヤのひとつでした。

特に太古の先進国である出雲と九州地方は、地政学的に大陸に近く、先進国である「宋」との交易でも中心になっていたはずです。

平清盛はいち早くここに着目し、宋銭の導入を始め、経済から国を支配します。結果「銭の病」というインフレーションを引き起こしたようですが、この「宋との交易」後の国家的経済運営も気になりますし、鎌倉幕府最大の受難である元寇までの海外との接点の欠落も、半年間の執筆停止のモヤモヤのひとつでした。

「野蛮」の根源は、地方の戦争にある

地方での戦争は常態化しており、「総督」という存在が王から派遣されて地方の戦場に向かいます。中世は常に野蛮な戦争をしている時代なのです。

中世で描かれるべき「残虐」の根源が、ここにあると思います。

中央の統治がほころび、地方に常に騒乱がある。ゆえに戦争が恒常化して、次第に時代が「残虐」になっていくのです。

婚姻による盟約と女性たち


中世では、これらの地方勢力との戦争を制するために「婚姻」が利用されます。
ここでも「血脈」が重視されるのです。そして悲しい話ですが、婚姻によって血でつながった同族同士が、より激しく後継争いを繰り広げ、戦争は常態化していくのです。

GOTでは、ここはかなり丹念に描かれており、独立国家的に描かれる地方の諸国は、古い盟約によって連携しているものの、時と場合により、組手を変えて政権奪取を目指します。だから、「婚姻」が解決策として有効活用されます。
ゆえに、この時代、女性たちは、政争の道具として、結婚を強制されます。

女性は権力者の武器のひとつで、それを同族の子供たちに強制することで「統治の正当性」が継続されていきます。

日本では、平家の徳子がその象徴であり、平清盛の隆盛の頂点が徳子が安徳天皇を授かって、天皇の外戚になることで達成します。
それを知る源頼朝も娘の大姫の入宮を必死に画策しますが、結局、京都に拒否され実現しません。
ここに京都と鎌倉の位置関係を見ることができます。中央集権に近い平清盛が実現できて、距離のある鎌倉幕府・頼朝に実現できなかったことが、天皇家との婚姻なのです。

女王を目指す女たち

GOTを観察すると面白いのは、時代を反映しており、政争の道具扱いされ続けてきた女性たちが、反逆する物語として編まれている点です。
主役といえるデナーリスは、奴隷を開放して新たな「国民」をつくり、女王として基盤を固めます。首都の権謀術数の渦中にいたサーセイは、自分の子供をなくすことで、最終的には玉座に座り初の女王になります。また北の王も結果として総督の娘であるサンサが継承することになります。
GOTとは、結果、女王誕生を巡る物語だったと総括することができます。最終決戦はまさに腐敗した中央政権の女王サーセイと、野蛮な新興勢力の女王デナーリスの対決であり、二人を失くした形で、北の女王や海賊の女王が誕生していくのです。

4.中世史になぜ「性」の考察が必要か


暴力と同時に「セックス」について述べておく必要があると思います。
GOTは、なぜあそこまで性描写にこだわったのか。女性の登場人物がほとんどセックスシーンを持つという異例なドラマとなった理由は、これまで述べてきた「統治の正当性」と性が緊密に関係しているからだと思います。

自由恋愛が許されない時代の婚姻は、あくまで血脈の継続ための道具です。
この件は、北の王を継承したロブの自由恋愛が、結婚式の悲惨な暗殺劇で幕を閉じることで象徴されます。婚姻の盟約を破った者への制裁は、「死」を意味しました。

またこの時代の民衆支配においても「性」は重要なアイテムでした。宗教団体が知識を独占し、意識的に「愚民政策」を取り、民衆を文盲化させたヨーロッパでは、民衆に「娼館」と「闘技場」を与えました。
GOTの政治劇の舞台がリトルフィンガーの経営する娼館であるのも、物語を秀逸にしていた特徴です。

さすがにNHKにこれは求められませんが、中世を描くのに、暴力と性は欠かせない気がしています。

統治の正当性を失った「バスタード(落とし子)」たち

GOTの世界で多用されたのが「バスタード」という言葉です。
現代ではNGワードになっているため意味解釈が問われることが少ないのですが、GOTでは厳密に「統治の正当性がない子供」を意味しています。娼婦や身分の低い女性に産ませた子供たちです。
これを象徴するためにも「性」が重要になるのです。

GOTの男性陣は、この「統治の正当性がない子供」が結果的に主役になっていきます。自分の出生について「何も知らない」ジョン・スノウ、次男で障害を持つがゆえに正当性を父から認められないティリオン、王のご落胤であることで命を狙われるジェンドリー、長男でありながら統治正当権をはく奪されたサムやシオン・・・。
そして彼らバスタードたちが、女王を目指す女たちとストーリーを共鳴させます。

日本の中世史でも、天皇家と源氏と平氏の嫡流という「正当性」を持たない男たちが、政権を奪取していくことが重要なファクターなのだと思います。
だから、田舎のさえない「次男坊」の北条義時が主役なのです。

つまり中世とは、「統治の正当性」からの解放物語、だとする視点が重要なのです。

源氏で始まる鎌倉幕府が、氏素性の定からぬ北条政権に移行していく様、そして承久の乱で朝廷との関係を逆転させるストーリーこそ、日本中世史の醍醐味なのです。「鎌倉殿の13人」を着想した三谷幸喜さんとNHK大河スタッフの慧眼には本当に感服します。

5.寸鉄を帯びず

私がいま注目しているキーワードは、「寸鉄を帯びず」という天皇家の武力放棄の姿勢です。
天皇家が武力を持たないからこそ、日本では、武力と警察機能を掌握したものが常に政治の中心に躍り出てくるようになるのです。基本として、「クーデーター国家」になりやすい不安定性を掲げるようになってしまった。その根源を分け入って調べていく必要があると思っています。

そして、この「寸鉄を帯びず」という言葉こそ、現在の戦闘放棄国家・日本の始祖になるものだと思っています。それほど大事な言葉だと思われます。

公武合体・朝廷と幕府の二重政権

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、この後、朝廷と幕府の二重政権を目指す後鳥羽上皇と源実朝と、対立する北条義時の物語になっていきます。

この「朝廷と幕府の二重政権=公武合体」こそ、幕末のキーワードなのです。
結局、時代の節目に出てくる概念は、同じであり、その根本を探ることこそ、歴史を楽しむ視点だと思います。
 
   



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