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「1Q84読解」村上春樹 変奏曲 第4楽章 「ねじまき鳥クロニクル」による BOOK3 読解

「神の声を預かる王、預言者は殺され、世界は一時的に善悪のバランスを失った。危険が迫っている。隠れなくてはならない」


BOOK3では、主要人物はみな「隠れている」。嵐の一夜に起こった主要人物たちのそれぞれのキーアクションによって、お化けの時間が始まったのだ。


青豆はリーダー殺害を実行し、ふかえりはオハライをし、天吾は「教室の世界」に戻り、リーダーは交換条件を提案して、死んだ。交換条件は成立し、天吾とふかえりはリトルピープルの危険から遠ざかり、逆に青豆が教団から追われる。お化けの時間にふさわしい逃走と追撃の時間が始まる。
そして、生き残った3人は「隠れている」。
青豆はマンションの一室に隠れている。天吾は猫の町の父親の病室に隠れている。ふかえりは天吾のアパートに隠れている。


村上春樹の小説世界において「隠れている」という行為は特別な意味を持つ。


一般の物語の筋では主人公の前に敵が現れ、試練や災難が降りかかる。圧倒的な力や組織を持つ邪悪な敵に対して、主人公は私たちと同じく特別な力を持たない、か弱い存在だ。主人公はそれでも圧倒的な敵に向かって、勇気と知恵で果敢に挑んで行く。その過程で仲間が見つかる。仲間の力を借りて、邪悪な敵に最後の戦いを挑む。最後に、か弱きものたちが勝利する。


ところが、村上春樹の物語では、その大事な戦いの場面で主人公が「隠れる」のだ。表の世界から姿を消し、裏の世界に入る。そして一見、追っ手から逃げ回り、姿を見せないように隠れておきながら、その実、隠者は裏の世界で最高の武器を手に入れ、隠れながら反撃する。静かに、ひそやかに、か弱い存在のままで、仲間もなく、孤独のままに。
 「羊をめぐる冒険」の七滝町の別荘での最後の顛末もそうだし、「ダンス、ダンス、ダンス」のハワイのくだりも同様だ。その隠れることの最も顕著な例が「ねじまき鳥クロニクル」である。


「ねじまき鳥クロニクル」では、邪悪なるものの存在は綿谷ノボルという政治家であった。主人公の妻の兄である綿谷ノボルは、妹である主人公の妻を何らかの方法で傷つけ、辱め、損なわせた。失業中の主人公は、いまや政治家となり圧倒的な力を持つ綿谷ノボルに対して対抗できる術をなんら持っていない。突然妻を奪われ、一切の力を失った孤独な主人公は、そこで井戸に「隠れる」のだ。
 深い井戸の底に身を沈め、感覚を研ぎ澄ませることで、綿谷ノボルに反撃を仕掛ける。そして、隠れることで最高の武器を手に入れたのだ。


この「隠れること」が「1Q84」でも変奏された。

今回、隠れることになる隠者は青豆、天吾、ふかえりの3人である、そして隠者を追いかける追跡者に牛河、教団の坊主頭とポニーテールの2人組、さらにお化けの時間らしく「猫の町」で意識不明の状態でいるはずの天吾の父親が配置される。


このなかでも「村上春樹 変奏曲」として見た場合、牛河は特別な存在である。彼は実は「ねじまき鳥クロニクル」にも登場しているのだ。綿谷ノボルの秘書という形で、今回と同じく醜い造形を持つ頭の切れる厄介な追跡者として物語の重要な役回りを演じている。つまり牛河だけは、この一連の変奏曲のなかで、前回とほぼ同じ役回りでそのまま演奏される貴重なモチーフなのだ。


それだけではない。今回の牛河の存在は、村上春樹文学においてより重要な意味を持っている。それは村上春樹文学史上における大変革だといっても過言ではない。                                                                                                  「牛河」の章と名付けられたパートにおいて、村上春樹は始めて主人公たち以外の視点からストーリーを展開させるのだ。


「1Q84」は村上春樹文学において初めて採用された三人称小説である事は多くの書評で指摘されている。さらに観察を進めれば、もっと面白いことに気付く。BOOK2までは青豆と天吾の主人公の物語が語られていたのだが、BOOK3になってから突然のように「牛河の物語」が始まるのだ。
これにより1Q84は、三人称小説としての視点移動がより自由になる。青豆と天吾という主人公の視点だけでなく、主人公である彼らを観察したり、調査したり、追跡する側の視点や事情が加えられるからだ。


牛河が青豆の捜索を開始する。牛河によって青豆の家族が調べられる。家族はいまでも証人会の信者であるが青豆とは音信不通である事実が判明する。青豆にはこれといった交友関係がない。唯一の例外があゆみと緒方婦人だという事実が浮かび上がる。
このように牛河の行動によって、隠者と追跡者の関係に大きなタイナミクスが加わり、物語がドライブしていく。この後は追跡者がドラマを動かす。まさに追跡者たちの行動によって、これまで通り「1Q84なる世界」の特長である緊迫感に満ちたサスペンスが持続することになる。


「牛河」の章という存在は、サスペンス感覚という観点からみれば、村上春樹文学における「発明」に等しい価値を持っている。
この仮説の検証は簡単だ。試しにBOOK3を牛河の章を抜いて読んでみればいい。青豆はただひたすらマンションから児童公園を監視しているだけで、天吾はただひたすら病院で父親に朗読をしているだけなのだ。                    なんと動きのない物語だろう。
理由は簡単だ。隠者は行動しないため、そこにドラマが産まれないのだ。

このように隠者のストーリーとして構築されたBOOK3のストーリーは、隠者の側からだけでは、ドラマツルギーとしては緊迫感の欠けたものになる。
今までの村上春樹文学ならば、そうした躍動感のない、盛り上がりに欠ける物語展開は、たぶんに意識的なものであり、その静謐感が醸し出すミステリアスな空気感覚が重要だった。

しかし、村上春樹は「1Q84」で変わった。過去の作品の変奏曲を奏でながらも、より緊迫感の張り詰めたサスペンスの世界を追求したのだ。


それにより、牛河の章では新しい動きが続々と起こる。

殺害から3週間、教団の目的は青豆の捜索になっている。いまや天吾とふかえりには興味をなくして、彼ら関心が青豆一点に集中しているという事態が明白になる様は、過去の村上春樹作品ならば、主人公側の不確かな想像でしかなかったはずなのだが、この牛河の章という方法を取ることによって、事実として記述されていく。
青豆の手掛かりを追って、証人会とフィットネスクラブが調べられる。フィットネスクラブの個人顧客リストから麻布の緒方婦人が浮かび上がる。電話の通信記録から新宿署のあゆみが浮かび上がる。緒方婦人の柳屋敷が調べられ、セーフハウスを突き止められる。
 さらに牛河は、青豆と天吾だけの秘密である「教室の世界」にまで肉迫する。二人の共通点が市川市の小学校であることが判明し、担任教師にまで捜査の手が及ぶ。二人だけの秘密の「教室の世界」は、この忍耐強く狡猾な追跡者によって、いまや暴かれんとしている。


この牛河が具体的に物語を動かす「ハードボイルド・ワンダーランド」の追跡者であるとすると、もう一人別の「世界の終わり」の追跡者も登場する。
NHKの集金人つまり天吾の父親だ。天吾の父親は「猫の町」の病院で昏睡状態に陥っている。しかし彼の意識はお化けとなり隠者を追いかけ、牛河よりも的確に隠者の逃走先を追撃する。
まず天吾の部屋に隠れているふかえりのところにNHKの集金人は襲いかかる。
「そのひとはあなたのことをよくしっていた」、ふかえりが指摘するように、NHKの集金人である天吾の父親は、天吾のことをよく知っている。裏を返せば、天吾も集金人の手口を知り抜いている。天吾はすぐに悟る、この目の前のベッドに寝ている父親がふかえりを追いかけ回していると。それは自分のせいだということも理解する。レシヴァとして開花した天吾は自分でもよく事情を知らないうちに、特殊な蛇口をひねって、特殊なものを外に出してしまったのだ。
お化けの集金人は、特殊な蛇口を使って青豆の逃走先にも襲いかかる。隠れ家であるマンションのドアベルを鳴らし続け、拳でドアを叩き続ける。


「あなたが中にいらっしゃることはわかっています。どれだけ息をひそめていても、それはわかるのです。
あなたはいつまでもそこに隠れて、逃げおおせることができると考えている。
しかし、どれほどこっそり息を潜めていても、そのうち誰かが必ずあなたを見つけ出します」


村上春樹小説の中で、ここまで隠者に近付いた追跡者はいない。NHKの集金人の追跡は執拗で的確だ。それはファンタジー小説のルーツである「指輪物語」の隠者と影の追跡者たちの追走劇に似た図式をとっている。
指輪物語の追跡者がカラスを斥候に使うように、たぶんNHKの集金人はリトルピープルが送り込んだ影の世界の斥候なのだろう。だからこそNHKの集金人はリトルピープルと同じように現実生活に直接手を下せない存在なのだ。脅すだけで実行力がない。それゆえに不気味である。


さて、追跡され、隠れ場所を襲われ、逃げまわるばかりの隠者にも事情がある。隠者は隠れながら、「捜している」のだ。


「男の子が女の子と出会う。二人は別れ、お互いを捜す。単純な物語。長くしただけです」、村上春樹の言葉通り、二人は必死にお互いを捜している。
そして不思議な、ある意味「1Q84」らしい方法で、互いを見つける。それも運命的な瞬間に、互いが、たがいを見つけるのだ。


青豆は天吾を捜している。マンションの一室に隠れて、青豆は児童公園を監視している。天吾が、再び滑り台の上に現れるのを待っている。
小説「空気さなぎ」を読んだ青豆は、二つの月の本当の世界であることを理解して、すべてがこの本から始まったことを悟る。
この世界は天吾が作り上げた世界で、いま自分は天吾に包まれていると感じる。天吾の命と引き換えにリーダーを殺害したのだから、役目を終えた自分は死のうと決意する。


「これが私にとっての王国なのだ。私には死ぬ用意ができている」
Book2の最後で青豆は拳銃自殺を図る。しかし結局、拳銃の引き金を引かなかった。死ぬことを中断したのは、その刹那に遠い声を耳にしたからだ。拳銃の引鉄に指をかけたその瞬間に聞こえた遠い声、この声の主は明らかに天吾だ。


天吾は父親の病室で空気さなぎと遭遇する。空気さなぎの中にいたのは、この時の高速道路で拳銃を口にくわえた青豆だろう。死に際の刹那に青豆の意識は、病室のこの「空気さなぎ」の中にワープしたのだ。
空気さなぎに向かって「青豆! 」と叫んだ天吾の声が、時空を越えてかすかに、拳銃の引鉄を引こうとしていた青豆に届く。胎児にとっての羊水のような深い静寂の中で、青豆は天吾の声を聞く。その声を聞いたあと、死ぬ決心は既に青豆の中から失われていた。
天吾は青豆を見つけた。それも死ぬ覚悟を決めた青豆をすんでのところで救い出したのだ。


そして青豆もマンションから児童公園の滑り台に佇む天吾を見つける。隠れ家のマンションからいつものように二つの月を見ていた青豆はふと気がつく。二つの月を見上げている人間が自分一人ではないことに。そして、マンションから見下ろす児童公園の滑り台の上にいる人間こそ天吾だったのだ。
「しんぱいしなくていい、そのひとがあなたをみつける」
ふかえりの予言通り、青豆も天吾を見つけたのだ。それも二つの月を発見したその瞬間の天吾を見つけたのだ。


どうすればいいのだろう。どうすればいいのだろう? 迷っている間に青豆は遅れ、公園の天吾に会いそびれる。今はただマンションの一室で隠れながら、青豆は天吾を捜している。


天吾も青豆を捜している。天吾は父親の病室に現れた空気さなぎの中に現れた青豆に、今一度会いたくて毎日病院に通っていた。必死に「教室の世界」の青豆を捜している。
「猫の町」で空気さなぎの中の青豆を探しながら、昏睡状態の父親に話し続ける。父親と別れた後の人生を語り、父親に向かって延々と朗読をする。その無為の時間を経て天吾は気づく、自分が運命に対して臆病であったことを。探すべき人である、青豆も母親もいままで捜そうとしなかったことを後悔する。
「僕はある人を捜している。そんなことを理解するのに20年もかかってしまった」


でも天吾は変わりはじめている。ふかえりの予言通りに。青豆はどこにいるのだろう。青豆にもこの二つの月が見えているはずだという確信がある。「だからこそ我々は巡りあわなくてはならない」


それが彼らの試練だ。主人公たちは試練を乗り越えるために隠れ、捜すのだ。
「猫の町」で天吾は小説を書く。月が二つ浮かんだ世界を舞台にリトル・ピープルと空気さなぎの存在する世界を書く。しかし事態は変わらない。世界はリトルピープルが月を二つに分かったままである。
天吾 「どうも手詰まりみたいだ。変数が多すぎる」


青豆も行き詰まる。青豆はこの二つの月の世界に来た時のフェイ・ダナウェイルックでタクシーに乗る。自分が死なずに済む方法は、この二つの月の世界から脱出することだとして、首都高三号線にあるはずの非常階段を探すのだが見つからない。出口はふさがれてしまったのだ。
 青豆 「証明終わり」


ふたりに提示されたこの「変数の多い証明問題」を解く鍵が、新たに現れた幻想の世界であろう。牛河やお化けの集金人など「ハードボイルド・ワンダーランド」の追撃者たちが、二人の秘密の幻想の世界である「教室の世界」のすぐそこまで迫ろうとした時、「世界の終わり」では「教室の世界」の他に、新たにもうひとつの幻想の世界が立ち上がる。


それが児童公園にある「滑り台の世界」だ。そこは、天吾が二つの月を発見する場所であり、青豆が天吾を見つける場所だ。そこでは、すべてが静止し、すべてが結晶化したような印象を与え、幻想の世界だけが持つ緩慢な時の流れが支配している。


まさに「教室の世界」と同じにおい、同じ感触の世界が「滑り台の世界」として二人の前に立ち上がっている。そしてこの「滑り台の世界」でキーになっているのも、「教室の世界」と同じく月だ。しかし「教室の世界」の月が一つだったのに対して、「滑り台の世界」の月は二つある。


これが意味することはひとつだ。そこが元の世界と直結しているということだ。青豆と天吾の幻想の世界「教室の世界」が入り口だとすれば、滑り台の世界が「出口」になるのだ。


「ハードボイルド・ワンダーランドの世界」の入り口が首都高速三号線の非常階段だったから、そこに行けば出口があるはずだと考えた青豆は、そこに出口がなかっために絶望する。


しかし、それは当然なのだ。この二つの月の世界から脱出するならば、青豆と天吾は「幻想の世界」で出口を見つけなければならない。なぜなら二人の約束の物語は、20年前の「教室の世界」から始められたものなのだから。終わりの物語も、幻想の世界である必要があるのだ。新たに登場した「滑り台の世界」を経由しない限り、約束の物語は終わらないのだ。


第1章で分析した村上春樹が仕掛けたミスリードのために、我々読者も首都高速の非常階段が消えた事が、盲点になり混乱する。これが1Q84の謎と言われる所以だ。これは「ハードボイルド・ワンダーランド」に見せかけた、「4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」の物語なのだ。


 このふたつの月がある「1Q84なる世界」を立ち上げたのは、ふかえりでも教団リーダーでもない、他ならぬ天吾だ。天吾がこの世界に青豆を呼び寄せて、このふたつの月の世界が始まる。それは殺し屋やゴーストライターが活躍する「ハードボイルド・ワンダーランドの世界」ではなく、20年前に始まった「幻想の世界」に決着をつけるための舞台なのだ。


「二人は出逢い、別れ、そして捜し求める」、それが100パーセントのカップルの運命なのだ。約束を忘れて、捜すべき人を忘れて、逡巡していた100パーセントのカップルが、苦難を乗り越えて、互いを捜し求める話。その長い話にも出口を示唆する「滑り台の世界」が登場したことで、エンディングが近くなった。


この長大な「1Q84」の物語は月が始まりで、それが二つになり、やがて再び一つになる話だ。エンディングにおいて、月をふたたびひとつに統合する人物は、まず「滑り台の世界」から始める必要がある。

では、誰が? どうやって? どういう資格で? 月をひとつに統合するのか。

1Q84の謎は次第にそこに収斂していく。しかし、謎を解明し、この二つの月の世界から脱出するためにはさらなる試練が必要になる。


「私たちは少しずつ距離を狭めているように見える。おそらくそれは致死的な渦だ。」
ふたりの邂逅は、誰かを死に追い詰めるほどに勢いを増して、隠者と追跡者の距離を縮めていく。その終幕にわれわれが目撃するのは、1Q84の「Q」である。
作家人生のすべてをかけて過去の自作を変奏した村上春樹の意図が、どこにあるのかは、この謎を解くことから始まる。

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  *申し訳ございませんが、最終読解は有料になります



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