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社会人になって初めて1年間働けた!

いまの職場で働きはじめて、今日でぴったり1年になりました。

めでたい。いや~実にめでたい。

25歳にして、やっと落ち着いて同じ仕事に腰をおろせれているなと、じっくり噛みしめているところです。ていうかもう、明日で26歳になるんですけどね……(汗)

同じ大学を卒業した友だちたちは、もう働きはじめて4年目とかになるのかな。そう思うと、僕はだいぶ出遅れちゃったなと、青菜に塩状態です。出遅れているどころか、がらりと職を変えて全く違うことをしているのだから、いったい僕は何をしてきたんだろう。大学で遮二無二して取った国家資格も使っていないなんて、親不孝も甚だしい。

というふうに、今回は自己憐憫にふけるアーティクルではないのだった!

どうせなら、1年間仕事を続けられたという「現在」をうれしく思いたい祝いたい。過去は変えられないのだからどうしようもない。後悔ばっかしだけれど、それはそれでええでないですかねえ自分。

新卒で入った職場を逃げるように退職、躁うつ病になっていて毎日泣き咽び、布団から出られず、実家に引きこもっていた1年間。口癖は死にたい消えたい。そのときのことを思えば、いまこうして働けている!
なんとめでたいこと!


働けている。


鬱の渦中に居た僕から見ればそれは奇跡に近いことです。いっときは家から出るだけで体が震えて、他者と話すと涙が出ていたのですから。

「続ける」ことが絶対的な正しさではないと思っている。ほんまに辛くて悲しい環境におかれているなら、すぐにそこから逃げ出すべきだと思っている。「続ける」ことが素晴らしくて偉くて尊いことなのだったら、僕はみすぼらしい人間ということになってしまうので、そのための言い訳みたいなものですけれど(笑)
でも「続ける」うれしさもいま現在感じているわけで。だから「続ける」のも「逃げる」や「辞める」のも、どちらかがすごいとか劣っているとかないんですよね、きっと。逃げて逃げて逃げたその先で、居心地のいい場所を発見できたのだったら、そこで何かを「続ける」ことができそうなのだったら、とても幸せなことなのかもしれない。

ただ「逃げる」という行為は、フツーの人たちの目には、恥ずかしくて醜くて弱い行為のように映るようで、しかも逃げている本人もそう思ってしまうので、痛みを伴います。これは非常に難しい問題です。

理学療法士じゃないし、年収はおそらく低収入の部類まで下がっちゃったし、月の手取りも14万円代で、だいたいその日暮らしの生活。

でもなんとかひとり暮らしで愛猫ズズとのんびり生きています。

最近のズズ




この記事を書くにあたって、僕の心情にぴったりのリリックが思い浮かびました。
それでは、スピッツさんの「君は太陽」からの引用です。
どうぞ。



理想の世界じゃないけど、大丈夫そうなんで。



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