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「やりたいこと」なんて、なくていいよ

「やりたいことを見つけよう!」という言葉、最近はもう耳にタコができるほど聞いてる(ないしは広告等で目にする)んじゃないでしょうか。

やりたいことがある人は人生を楽しむことができて、そうじゃない人はしょっぱい人生を送ることになる。

もはやこんな極論まで持ち出されかねないくらい、やりたいことがある人の方が人生において優位であるかのような風潮があるように思います。


学歴マウントならぬ『やりたいことマウント』を取られて、「やりたいことないなんてヤバいよ」みたいなことを言われ、「でた。もうええて。」と思いながらも内心ちょっとした焦りを感じてる、という方もいるんじゃないでしょうか。

今回は、そんなマウンティングが横行するくらい「やりたいことがあるのが正義」という価値観が蔓延る世の中に対して思うところを書いていきたいと思います。



<やりたいことって何を指してるの?>

まずこれです。「やりたいこと」って単純に見えて実はすごく曖昧で複雑な言葉なんじゃないでしょうか。

そして「やりたいことマウント」を取る人は、この曖昧性を孕んだ"何となくの雰囲気"のまま、他人に投げつけているのではないでしょうか。

とりあえず、もし今後「お前さぁ、何かやりたいこととかないわけ?」みたいに上からこられたら、「君の言う『やりたいこと』って何を指してる?」って聞いてみましょう。たぶんですが、「いやそりゃあ、、やりたいことはやりたいことだよ。」という感じで、へどもどするのが関の山だと思います。

私の経験上「やりたいこと」については、世間では夢とか目標というイメージで語られていることが多いようには感じます。夢とか目標は明確なゴール・達成基準があります。例えば「オリンピックで金メダルを獲る」なんかわかりやすい夢ですよね。

最近だと、大谷翔平選手がWBCで日本を世界一へ導き、大会MVPにも輝く大活躍を見せましたが、彼が高校時代に残した「人生が夢を作るんじゃない。夢が人生を作るんだ」という名言を見て、「やっぱり大谷選手はすごいなぁ」と思う一方で「自分にはそんなものないしなぁ…」と落ち込んでしまった人もいるかと思います。

そういった夢や目標がないから、そこに手段としてくっついてくるような「やりたい仕事」みたいなものも見つからない。なんとなく適性テストみたいなものを受けてはみたけどイマイチようわからんし、あんまりしっくり来ない。あぁ、もうわからん。もうだめだ。。こんな具合に負のスパイラルに囚われてしまうということはよくあります。

実際「やりたいことがないんです」と相談に来られる方のほとんどは、言い換えると「具体的な達成基準のある夢や目標がないんです」という悩みにぶち当たっている場合がほとんどということですね。


けど、私はそのこと自体に焦りを感じる必要はないと思っています。
なんなら、むしろ具体的な夢や目標がある人の方が珍しいんじゃないでしょうか。

また一見そういったものがある人でも、深掘りしていくと「実はその目標自体はそんなに大事じゃなかった」となる人も少なくありません。

こうした意味で、「(一般的によく言われる)やりたいことなんて、なくていい」と言っているわけです。



<やりたいこととは「理想の状態」である>

具体的な夢や目標は達成基準が存在し、達成したかどうかは誰の目にも明らかです。これを「点のゴール」と表現した時、私は大事なのは「線のゴール」だと考えています。

つまり『どういう状態でありたいか』という、日々の過ごし方や過程に目を向けるということです。

「やりたいこと=理想の状態」という前提に立って初めて、「やりたいことはあった方がいい」と言えるのだと思います。


例えば「温かい家族と共に、日々何気ない幸せを感じながら穏やかに生きていたい」という人生のゴールがあったっていいわけです。これも立派な「やりたいこと」です。

もちろん「何気ない幸せとは?」「穏やかに生きるとは?」とさらに解像度を上げていく作業は必要になってきますが、ここでは別にその先に何か達成すべき具体的な夢や目標、つまり点のゴールがあるわけではありません。

「WBCで優勝すること」は点のゴールですが、「信頼できる仲間と勝利を目指して野球に向き合い続けること」というのは線のゴールです。

点のゴールは見つけようとして見つかるものではありません。しかしながら点のゴールはなくても、線のゴールは色んな切り口から思考を掘り下げることで必ず出てきます。「あ、自分が人生で求めているものはこれだろうな」という何かが見つかります。

最初は確信が持てなくても大丈夫です。仮説でも問題ありません。自分と向き合うことは一生続くわけですから、少しずつでいいんです。

「これかな…?」が「うん、たぶんこれだ」になり、「やっぱりこれだ、間違いない」と様々な経験を経て徐々に確信を深めていくわけです。

ここが固まり、一本のぶっとい軸として自分の中心に形成されたとき、日々をどう生きるかが晴れやかに見えてくるはずです。

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