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『才能診断』で人生を選択する危うさ

「みんな誰しも眠っている才能がある。それを見つけて人生を豊かにしよう!」

以前、別の記事(才能ハラスメントについて)でも言及しましたが、
「才能」については、その中身について深く掘り下げて理解しないことには、なんとなく耳障りのいいことだけが独り歩きして非常に危険だと思っています。

特に「100の質問に答えていけば自ずと才能が見つかります!」とか「簡単なたった3つのステップで、あなたの隠れた才能を見つけます!」みたいなものを使って得られた結果を鵜呑みにして、「あぁ、じゃあ自分はこういう仕事の方が合っているから転職しよう」みたいな感じで行動に移すのは、これは相当なリスクを孕んでいると思います。



<簡単に得られたものは「それなり」で受け止めないと危険>

断言します。才能はそんなに簡単に見つかるものではありません。

もう少し踏み込んだ言い方をすると、「自分の人生をより良くするために、実際に使える武器として本当に意味のあるもの」として才能を捉えたとき、それを見つけるには深い思索や経験が必要になります。


例えば、とある強み発掘検査などを使った結果、「共感性が高い」という結果が出たとしましょう。私が懸念している「危険な状態」とは以下のような流れです。

「あなたは共感性が高く、人の気持ちを考えられるという才能があります。」

『あぁ、確かに自分は、つい自分を差し置いて他人の気持ちを優先して考えてしまうところがあるなぁ。』

「他人の気持ちに共感できることが強みとして発揮できるカウンセラー的な仕事が向いてるかもしれません」

『なるほど、確かに!今の営業の仕事は向いてないな。カウンセラーを目指そう!』

…とまぁ、ざっくりこんな流れです。

これはかなり簡素にしてますが、実際にこういう形で意思決定に利用している人も世の中には少なくないと思います。そもそもが提供側がそのロジックを「良し」としてるわけですから。


そもそもの結果の信憑性や、何を以て向き不向きを評価するのか、などなど他にもいくつも疑問に思うところはあって、ここに関してはそれはもう論じはじめるとキリがないのですが、

今回特にピックアップしたいのは「結果の曖昧性」についてです。



<本当に使えるものになっているか?>

私自身これまで、そういった性格診断テストや才能アセスメント、強み発掘ツール的なものはたくさん使ってみましたが、


結論、何にもなりませんでした。


手元に何も残らなかったんです。何か人生に役立ってるかと言うと首を捻るところだし、結果がどんなものだったかすらよく覚えていない、みたいな。


例えば、以下のような結果が得られたとしましょう。

・周りの人を楽しませようとする
・論理的にものごとを考える
・新しいアイデアをよく思いつく


この辺り、けっこうありがちな結果だったりするかと思うんですが、この結果に対して個人的に思うところとしては、

・・・それで?

というところです。論理的にものごとを考えるから何やねんって話で。
で、別にだからといって(論理的思考と対になるとされている)直感で選ぶことがないかというとそんなことないし、そもそも論理的に考えていると自分が思っているだけで全然論理的じゃない可能性もあるし。

「論理的に考えるのがあなたの特徴であり強みです」と言われても正直何もピンと来ないし、「おっしゃ、だったらこの選択がええんやな!」ともならないし。

誰にでも当てはまるし、誰にも当てはまらない。


こうした類のものは、そんな性格を帯びている。

またこの結果を強固にすべく、過去の経験を引っ張ってきて、

「確かに自分は小学生の頃にこれこれこんなことで周りの人を楽しませようとしてたな」とか「高校の時文化祭の実行委員をやって、かくかくしかじかで周りの人に喜んでもらおうとしたな」みたいに地盤固めをする手法もよく目にしますが、

この順番では完全に「確証バイアス」に嵌ってしまいます。
ある仮説を強固にする情報だけを無意識的に集めてしまうという心理効果ですね。

過去の経験は捉え方次第でその輪郭が変わるもので、絶対的なものではないが故に、そうしたある種の「都合のいい捉え方」がいくらでも可能になってきます。

結局人間は、自分が見たいものしか見ないし、見たくないものからはうまく目を逸らすんですね。


<どうすればいいのか?>

色々ありますが、「結局まずはこれに尽きる」と思うのは、

才能が簡単に見つかるという幻想を捨てること

ではないかなと。


考えてもみてください。
そんな方法があるのなら、誰も困ったり悩んだりしません。

「easy come, easy go」「no pain, no gain」です。

簡単に得られた結果は簡単になくなるし、痛みや犠牲を伴わず簡単に得られるものなんてないんです。

資産形成の世界で「簡単にラクしてお金持ちになる方法」が存在するというのが幻想であるのと同様、自分と向き合うことについても「簡単にラクして自分自身を理解できる」というものはないんです。

もちろん、宝くじを買って大金が当たる人も中にはいるように、
「自分はそれでうまくいってるし!適当なこと抜かすな!」

という声があることは百も承知です。けどあえて言わせていただくと、やはりそれは「たまたまうまくいっただけ」です。

そしてやっかいなことに、宝くじなどは「お金を失う」という、結果が目に見えてわかるものであるからまだ良いですが、

「才能・強み」というそもそもが曖昧なもの(才能とはそもそもどういったもので、何を以てそれが活かせているか否かを判断するのかよくわからないもの)については、「結果が見えにくい」上に「結果について判断できるまでに時間がかかる」という特徴があるため、それが「easy come, easy go」であることにも気づきにくいんですね。



アインシュタインは「複利こそ、人類最大の発明である」という言葉を残しています。

簡単に得られた「それっぽい結果」を使って、一度しかない大事な大事な人生で”ギャンブル”をするのではなく、地道で道のりが大変でも、着実に人生を良くする武器を手に入れる方法を選ぶことが、長い人生に実りある「複利」をもたらすのではないでしょうか。




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