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「究極の自己中」が世界を救う

自己中って言葉、なんだかイメージ悪いですよね。

言葉って不思議なもので、その言葉自体は中立なのになぜか良いイメージがあるものと、逆に悪いイメージがついているものがあります。

悪いイメージがついてしまっているものとして、例えば最近有名になった言葉で言うと「忖度」とかそうですよね。

「忖度」という言葉が、政治家の事なかれ主義を揶揄する際によく使われるために、その言葉自体が「権力に媚びてごますりをする」みたいなマイナスな意味に捉えられてしまっています。

本来は「他人の気持ちを推し量る」という全くもって悪い意味ではないものなのに、なんだかずるいものであるかのようなイメージがついてしまっていて、これは「忖度」が不憫でならないです。

逆に、ほぼ意味は同じなのに「思いやり」という言葉になると、途端にピュアで温かみのあるプラスイメージに早変わりします。

小学校の校訓も「努力・友情・思いやり」だと違和感なくても、
「努力・友情・忖度」とすると、きっとPTAから苦情来ると思います。


とまぁ、こんな感じで言葉にはそれぞれ"イメージ"があって、
そして今回のテーマである「自己中」のイメージは、かなり悪いです。

自己中という言葉が使われる時、その多くは、他人に刃を向けて非難したり悪意を持って傷つけたり、といった場合であるように思います。

だからこそ、もし誰かに「君って自己中だよね」と言われたら凹みますよね。たとえ魔法の枕詞である「いい意味で」が付いていたとしても凹みます。(「いい意味で自己中」ってどないやねん!って)


さて、前置き長くなりましたが、
個人的に「自己中心的」って別に悪いことじゃないというか、
後述しますが、割と当たり前のことなんじゃないかなと思っているので、
今日はそんな「自己中」という言葉のイメージをこの記事で少しでも覆せたらいいなと思っています。




<利他的か利己的か>


"あなたは利他的な人間ですか?それとも利己的な人間ですか?"

こう聞かれたら、

「私は、、たぶん利他的だと思う。。いやそうでありたい。」みたいに濁される方、少なくないのではないでしょうか。

一応、「利他的」「利己的」のそれぞれの辞書的な意味を確認しておくと、

利他的・・・自分を犠牲にして他人の幸福・利益のために尽くすさま。
利己的・・・自分の利益を中心に考え、他人の立場を考えず行動するさま。

…となってます。
はい、ほぼ「利己的=自己中」と捉えて差し支えなさそうですね。

先ほどの質問で回答を濁された方は、
「うーん、、自己中ではないと思うけど、かと言って利他的です!と自信持って言い切れるほどじゃないしなぁ」という人がほとんどだと思います。

ここで「私は利他的な人間です!」と言い切れる人は、
誰がどう見ても文句のつけようがないほどの聖人的な人か、確固たる自分の自己概念を持っている人か、あるいはただの薄っぺらい人か、の3択です。

まぁそんな人もあんまり多くはないと思うので、多くの人は「自分は利他的であると思いたいけど、自信はない」というところにいて、
「私は利己的です!」と答える人に至っては、もはや"0"なのではないでしょうか。


<利他性と利己性は共存できる>

先ほどの「あなたは利他的ですか?利己的ですか?」という質問ですが、


私は「自分は利己的である」と答える人たちが増えていくと、世の中はより良いものになると思っています。


もう少し踏み込んで言うと、
利己的なんだけど、基本的な思想や行動指針は利他的である」という人たちが増えるといいなと。


どういうことかと言いますと、例えばですが、

「周りの人たちに優しさと愛を持って接し、彼らに何かしらの貢献をすることによって、無条件の信頼で結ばれた良質な関係が育めて、それに対して大きな幸福感を感じる」

みたいな形が一つ、理想的な形なのかなと。


つまり、最終的には「自分自身がいかに幸福な人生を生きるか」というところにフォーカスしてるので『利己的な人間』なんですが、その幸福は「他人に優しさや愛を注ぐこと」によって得られるため、その人の思想や行動自体は基本『利他的な人間』である、という形です。


そもそもですが、綺麗ごとなしでいくと、ほとんどの人間は利己的な人間(最終的には自分が大事)なんじゃないかと思ってます。

要は利他的な人間なのであれば、自分を犠牲にしても他人の幸福のために行動するはずなので、

例えば、見ず知らずの男性が心臓移植を必要としていたとして、
「自分の命と引き換えにこの見ず知らずの男性を助けますか?」という問いに対しても、利他的な人間であるというのであれば、「Yes」と答えられないと辻褄が合わないのではないでしょうか。

恐らくこれに「Yes」と答えられる人はほとんどいないと思うので、
となると、あまりにも単純化しすぎているかもしれませんが、ほとんどの人間は利己的な側面を持っているということになります。


<究極の自己中が世界を救う>

ほとんどの人が「利己的」だとしたとき、みんながみんな自分勝手に行動したら世界が混乱しそうな気がするかもしれませんが、

最終的に自分の幸福度をMAXにするための"手段"が「利他的に考え行動することである」というところまで昇華していれば、世界は混乱には陥らず、むしろ思いやりに満ちた優しい世界になると思います。

この「利他的な行動の追求=自分の幸福度向上」という構図が自分の中に確立できている人たちのことを、私は「究極の自己中」と呼んでいます。

そして自分にとっての幸福を徹底的に追求すると、ほとんどの人がその境地に辿りつくと信じています。


「究極の自己中」は、自分の幸福度を最大化し、それでいて周りも幸福にする最強の境地と言えるのではないでしょうか。



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