【映画評】ゴジラ-1.0 "日本国民の物語"
ゴジラ-1.0の2回目を観てきました。一言でいうなら「観てよかった!」。1回目とは異なる気づきとか感想を持てたのもよかったし、2回目でもやはり今回のゴジラは怖い!強い!。1回目の時は感情が溢れてレビューをうまくかけなかったので、今回改めて記事を書くことにしました(ネタバレを含みます)。今月末で劇場公開は終わると思われますので、これを読んだ方は、ぜひAmazonプライムで見てくださいね!
書いてみたら思いのほか長くなってしまったので、先にライトな感想を書いておきます。ポイントは3つです。
①ゴジラ強い!
まず第一に伝えたいことは「今回のゴジラまじで強い!」いきなりネタバレになりますが、巡洋艦高雄の主砲直撃弾を食らっても死なねえ!写真は戦艦アイオワの砲撃の様子ですが、こんな感じのをドテっぱらに食らってもびくともしないわけですよ。「いやこれどうやって倒すのよ絶対無理でしょこれ」って見ている人は間違いなく思ったはず。
戦後すぐの日本ということもあり、シン・ゴジラで見せた血液凝固剤のような秘密兵器も作れない。そこで秘密の作戦が起案されるわけですが「お~」となります(笑)。当時の限られたテクノロジーでゴジラに立ち向かうわけですが、このアイデア良く思いついたな~と感心します。
ちなみに本作では、軍艦や戦闘機、そして多くの船が登場します。ミリ好きには堪らないですね。船好きにもたまらないんじゃないでしょうか?あの鋼鉄が軋む音がたまらんのだ〜。もちろんぜんぜんそういうの興味ない人でも楽しめますよ。
②好き嫌いを分けるのは神木くん
今回のゴジラを好きになれるかどうかは、一重に神木隆之介くん演じる敷島に感情移入できるかどうかと思います。自分自身は1回目では途中まで神木くんの演技に入り込めませんでした。神木くん演じる敷島は、特攻兵の生き残りという設定ですが、神木くんではちょっと可愛すぎるというか、すれていなさすぎるというか?(笑)。特に、敷島は戦争PTSDを患っている設定。もう少しくたびれた人のほうが合うんじゃないかなと思ってしまったんですね(彼は顔が可愛すぎる)。
ただ、彼の演技はとてもよかったと思います。1回目も途中からは彼の慣れてきて、とても楽しめました。彼の絶叫、そして後半の少し狂っていく感じも良い。「PTSDを患った特攻兵の生き残り」という難しい役柄を演じきってくれました。どうもありがとう。
神木くんが絶叫している画像を探したところ、このツイートが。邦画の悪い癖w
③歴史の追体験
昭和レトロどころか平成まで「レトロ」と称される令和において、本作は古き良き日本を再現したようなそんな感慨を覚えました。ストーリーの前半は敷島が復員し、焼け野原の東京が復興していく様子が描かれます。最初はボロボロの乞食のような服が、次第に綺麗な服になっていく。家がたち、家具らしきものも整い、生活感が出てくる。戦後復興下の銀座の街並みも、令和を生きる私たちにはどこか新鮮な景色に移ります。
現代は、グローバル化によっていろんなものが西洋化し、西洋化を超えて、家や家具、あらゆるものが工業的な作りやすさを優先して安っぽく、温かみを失い、シンプルになっていきます。そんなツルツルした時代だからこそ、あの時代の内装や家具、景色に温かさやなつかしさ、そして憧れを覚えるのかもしれません。そういうのも含めて、今を生きる日本人にとって、日本の歴史を追体験するような作品になっています。
ゴジラという作品を通じて描かれる「日本国民の物語」
さて、本題です。私が今回のゴジラを表現するなら「ゴジラという作品を通じて描かれる「日本国民の物語」となります。本作は「日本と戦争」が大きなテーマになっています。ゴジラは原爆の比喩であり、また強大な敵という意味ではアメリカの比喩、あるいは日本人が向き合うべき困難、の比喩でもあります。ゴジラ作戦は敷島はじめ、戦争を生き延びた復員兵たちによって遂行されめす。ゴジラとの戦いは、先の太平洋戦争との対比によって描かれます。一つ目の対比は「強制と自由意志」です。復員兵たちからすると、あの戦争を生き延びたのに、再び戦わなければならない。しかも、今回は命令ではなく、ボランティアであり自らの意思によって死地に赴かねばならない。一方、あの戦争で「死ねなかった」復員兵にとっては、心の中から消えることのない、死んだ仲間への申し訳なさや後ろめたさを解消するための「弔い合戦」でもあります。
二つ目の対比は「必死と希望」です。先の戦争は命を軽視した十死零生の戦いでしたが、今回はそうではない。困難だけれでも、生き残る可能性がある作戦です。そして、死ぬための戦いではなく、未来のための戦いでもあります(もちろん太平洋戦争も未来のための戦い、として彼らは動員されていたのですが、途中からは勝つことよりも、死ぬことが自己目的化した戦争になってしまっていた)。このように、強制と自由意志、必死と希望。そういう二項対立が鮮明に描かれます。
この映画を戦争賛美か反戦か、という軸で評価するレビューもあるでしょう。決して戦争賛美とは思いません。そんな単純な作品ではありません。しかし「戦う」ということを真っ黒に塗りつぶして否定するような物語でもない。戦争の戦いの悲惨さを描きつつ、人には戦わねばならない時がある、というリアリズムも突き付けてくれます。
また、ゴジラ作戦には軍艦等を操作できる復員兵が集められるわけですが、彼らは葛藤します。なぜ戦争を生き延びたのに、再び自分たちが困難に立ち向かわなければならないのかと。なぜ二度も、死地に向かわなければならないのかと。そこにはアメコミ的な“With great power comes great responsibility”(大いなる力には、大いなる責任が伴う)の葛藤と精神が垣間見えます。
戦争経験者が誇りをもって描かれているのも印象的です。逆に言うと、戦争に参加できなかったものの後ろめたさ、劣等感がところどころ描かれています。それが監督の思想なのか、当時の日本の状況を描いた結果なのかはわかりませんが、少なくとも戦争を戦ったものを否定して描くことはありません。そこに戦争賛美的な何かを見出す人もいることでしょう。
他のゴジラ作品との比較では語れないのですが、今回のゴジラは人が死ぬところがちゃんと描かれている気がします。踏みつぶされたり、かみ殺されたり、あるいは建物から落ちたり(落ちる直前まで描かれる)。人が死ぬところをしっかり見届けさせられている感じがしました。ハリウッド映画のように、たくさん人が死んでいても、人の死を感じることがないバーチャルなものではない。映画の中の死を自分のものとして感じれるような怖さがありました。だから、観ている人はきっと自らに問いかけながらこの作品を見ると思うのです。「自分なら、このままゴジラに殺されるのを待つのか、可能性は低くとも戦うのか」と。
戦争の、戦うことの恐ろしさを本作は描きます。しかし一方で死を待つだけではない、戦わなければならない時があるという現実をも突きつけます。逃げ出す人、自ら戦うことを選ぶ人。国家に死を強制されにくい時代だからこそ、それを自らの自由意志によって選ばなければならない。そして、人間はどうであれ死ぬ定めであり、自らの死に方を選ばなければならないという現実。ゴジラというフィクションでありながら、生きること、戦うこと、生きることの裏返しとしての死ぬこと、それを考えさせてくれる作品だったと思います。
私が「日本国民の物語」と書いたのは、本作が過去の戦争とそれを戦った日本人への鎮魂歌であると同時に、我々に次の戦い(必ずしも戦争ではなく、日本社会を待ち受ける困難)に対する「戦え」「現実に向き合え」という自覚を求める作品でもあるからです。アメリカには「自由のための戦い」という国家を貫く思想と物語がありますが、日本人にはそれがありません。日本の現代史は戦前と戦後に分断され、戦後は経済成長ばかりが強調され、戦前戦後が連続した物語として語られることがない。このゴジラ-1.0は、見事にそれを過去の戦争と向き合い消化していく物語として描いていると感じます。それは戦争への単純な否定ではない。自由意志のもと、生き方を、死に方を「己の意思によって」選べと、そう語りかけます。だから私はこの作品を「日本国民の物語」と副題をつけたいのです。
その他、少し思うところを書いて終わりたいと思います。最後の最後に、超重要なネタバレを含むので、観てない人は、先に作品を見てから読んでください(笑)
戦争PTSD
先述の通り、敷島は明らかに戦争PTSDです。敷島は、戦争中に大戸島でゴジラの襲撃に合い、仲間を殺されてしまいます。その時ゼロ戦の引き金を引くができなかった敷島は、自分の臆病のせいで仲間が死んだと自責の念に苦しみます。ゴジラの記憶に苦しむその姿はまさに戦争PTSDそのもの。「僕の戦争が終わっていないんです」というセリフも印象できです。ゴジラとの戦いは、彼の戦争の記憶との決別するための戦いでもあります。
ゴジラのような大衆向け映画の中で戦PTSDがテーマになっているのは日本社会とって大きな貢献ではないかと思います。年柄年中戦争をしている米国では戦争PTSDというのはありふれたテーマだと思うのですが、日本だとあまり大きく取り上げてこられなかったテーマなのではないかと思います。戦後、戦争PTSDで苦しむ復員兵は多かったはず。もっとそうした戦後の苦しみの歴史、その恐ろしさに焦点が当たってもよいのではと感じました。
次、超大事なネタバレを含みます
最後の特攻
ゴジラ作戦において、敷島は戦闘機震電に乗り込み作戦に参加します。敷島の役割はゴジラを指定のポイントに誘導することですが、敷島はこの戦闘機を仲間に内緒で爆装させるんですね(周囲にばれないように爆装させるという意味でも、この戦闘機は震電でなければならなかったのですね)。当然、敷島の頭の中には、作戦が失敗したときには自分の自爆攻撃によって決着をつけようという考えがあるわけです(尚、ゴジラは外側からの攻撃には強いが、内側からの攻撃には弱い)。
彼が特攻できるのか?できないのか?は本作のメッセージに大きく左右します。いや、もはや彼が特攻から逃げて生き延びたという設定の時点で、彼がゴジラにトドメを指すのはわかっていたこと。「戦時中も故障を理由に特攻から逃げ出し」「大戸島でもゴジラを目の前にして機銃の引き金をひけなかった」臆病者の敷島が、特攻できるのかできないのか?これが本作の最大の見せ場であり、それ以外はそれまでの前奏でしかない。もうゴジラ作戦が失敗するのも既定路線であり、予定通りゴジラに向かって敷島は突っ込んでいく。
映画予告の「生きて抗え」というメッセージ、そしてゴジラ作戦が必死ではない、希望の作戦であるという設定からは、敷島を特攻で死なせてはならない。しかし、彼の心の中の戦争を終わらせるには、彼は死ななければならない。彼が特攻することになれば、本作は「彼は死の恐怖を乗り越え、特攻できた」という美談によって回収される。この終わらせ方の違いで、この作品は全く違う意味を持つ作品になります。予定通り、ゴジラ作戦は失敗します。彼は決断をしなければならない。
結論から言うと、敷島は死にません。私は最後の最後まで「神木くん死ぬん?やっぱ死ぬん?」と特攻によってゴジラを倒すシナリオを想像していました。しかしら彼は特攻直前に脱出装置によって脱出します。脱出したあとの機体だけがゴジラの口内に突っ込み、ゴジラの頭を吹っ飛ばして、作戦は終わります。特攻の直前、はっきりと神木くんだとはわかりませんが、何かがピョンと飛び出す様子が移っているので、勘の良い人はその点で気づいたでしょう。
そもそも、勘の良い人なら、その手前、整備兵の橘が震電の操作方法を説明するシーンで気づいたかとしれません。爆弾の安全装置の説明をしたあと、橘は「あと一つ、大事な話がある」と切り出したところで、次のシーンに切り替わります。後から振り返ると、あそこで脱出装置の説明をしていたわけです。
面白いなと思ったのは、実はその手前の作戦前夜に博士が作戦に対する決意を述べるシーンで「日本は命を軽視しすぎた。戦闘機には安全装置さえついていなかったんだ」ということを言っています。今思えば、ラストの脱出装置の伏線になっていたんですね。
一方で、最後の作戦の直前に敷島の隣人の澄子が電報を受け取るシーンがあります。実はこれは「典子が実はいきていた」という内容の電報なのですが、さすがにそれは観客には想像できないはず。ここで、多くの人が「敷島は特攻で死んだのではないか?」という想像をしたはずです。電報を受け取った澄子は、不安そうに後ろの家(家には子供のアキコがいる)を振り返ります。敷島が死んで再び孤児になったアキコを不憫に思うような演技です。そういう描写も入れることで、敷島は死んだのでは、というエンディングを想像させているんですよね。敷島が特攻するのか最後までわからないような配慮がされています。
さらにいうと、整備士の橘は、安全装置の話を敷島が「特攻する覚悟」を語ったあとにするのですよね。死ぬ覚悟を決めさせたうえで、最後に安全装置の話をする。先に話したら覚悟ができませんよね。映画の展開上安全装置の話は先にできないわけですが(笑)、この覚悟をさせるシーンがまた、敷島が特攻するエンディングにリアリティを持たせるわけですよね。
敷島は最後戦闘機に乗る時も手が震えます。その時も尚、死の恐怖から逃れることはできない。もし脱出装置がなければ、彼は再び特攻することはできなかったのではないでしょうか。脱出装置が、彼に生きる希望を与え、彼は作戦を遂行することができたのだと思います。
終わりに 根っからのハッピーエンド
本作は徹底したハッピーエンドで終わります。敷島が生き残っただけでなく、ゴジラの放射熱戦の爆風で吹き飛ばされた典子も生きています。超絶ハッピーエンドです。あの爆風の吹き飛ばされ方で生きるのはさすがに無理だろ(笑)と誰もが思ったことでしょう。ただ、ハリウッド的な徹底したハッピーエンドで終わらせたのはとても後味がよく、私は嫌いではありません。本作は、アメリカでも興行的に成功したようですが、そのあたりは世界ウケも考え、わかりやすいエンディングにしたのかな、とも思いました。それだけでなく、今回のテーマは希望でありそのテーマとの一貫性もあったのかもしれません。
その他、ほかのレビューではご都合主義というか、ストーリーが稚拙?という意見もあるようです。たしかに、あの戦闘機に載せられるくらいの爆弾でゴジラが倒せるのであれば、口の中とか顔を狙って艦砲射撃しまくれば終わったのでは?(笑)とは思います。細かい突っ込みどころはあるわけですが、当時の時代設定の中で、十分にリアリティを持たせたストーリーになっており、とてもよくできていたのではと私は思います。
改めて、本当にエンタメとしても、戦争や生きることについて考えさせてくれる意味でも、本当に良い作品でした。二回目なのに、男泣きしておりました。本当に、本当に、ありがとう。日本映画、ここにありと言いたい。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。ぜひ、Amazonプライムで見てください!(アマプラの回し者ではありません)
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