かれこれ11年

実は私も鬱病罹患者です。
かれこれ11年、心療内科に通院しています。
午後からという仕事に就けるくらいに大分良くなりましたが、まだまだ寛解と言える程ではなく、大分ペースは作れるようになりましたが、月に一度程度、動けなくなります。

はじめは、パニック障害からです。
その時は自営の花屋の他に違う花屋でも働いている時に通勤に使う駅に向っている時に動悸、過呼吸になり動けなくなりました。
それからというもの電車にも乗れなくなり、仕舞いには布団からも出れなくなりました。

嫁さんやお義母さんの助言で、元々東京が嫌いだった事もあり、今の住居に引越しして環境を変える事に。
此方に越してきて近くの心療内科で受診。
診断結果はパニック障害、強迫神経症、広場恐怖症、適応障害、鬱病。
主治医の先生からは「相当、無理して頑張りすぎてしまいましたね。」と言われました。
もともと自分に対して興味が無い事と自分ではそれが当たり前とおもっていたので、その言葉を聞いて驚いたと同時にそうだったんだ…と。
長い闘病のはじまりです。

どんどんと落ちていき。家からも殆ど出られない。
何をやるのも酷く消耗してしまったり、好きだった映画を観る集中力も無くなり。
本を読んでも、活字が頭からこぼれ落ちていく感じで何も頭に残らない。
子供も小さいし早く社会復帰しなくては!
と無理して街に出てみては寝込むの繰り返し…
不甲斐なさから起る自己嫌悪。自己否定。
最後には希死念慮。
何時になったら這い上がれるのか、この状態にの底は何処?
どこまで続くんだろうか…そんな思いでした。

発症のキッカケは色々な事の積み重ね。
私の場合は1番キツかったのは、信じてた人達に裏切られ続けた事。
小さい頃からの育てられ方。
自分が居た事で人が亡くなった事。
花屋をようやく軌道に乗せれたかなと思った矢先の肺結核で長期隔離。
隔離の最中に決まった離婚。
跡継ぎがいないから跡継ぎになってくれと言われて働いてた花屋での「息子が継いでくれるから」の言葉。
張りつめていたものがプツンと切れてしまったんだろうな。人が恐くてしかたなかった。

2022年の終わりに、ある言葉に出会った事がキッカケで前を向く事ができたのですが、それはまた次の機会に。

長文、駄文失礼いたしました。



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