ドーナツの穴
ドーナツの穴ってなんなんだろう?
ふと思うのです。
ドーナツに穴があるのには、
由来は諸説あるようですが、
19世紀半ば、船乗りのハンソン・グレゴリーが母親のつくる揚げパンが生焼けだったため、火の通りをよくするために中央を押して穴を開けた。
といわれているそうです。
とはいえ、穴のないドーナツだってあるじゃないか、というご意見はごもっとも。
しかし「人に伝えるためにドーナツの絵を描く」となると、多くの方が思い描くのは、穴の空いたドーナツなのではないでしょうか。
だとしますと、それだけドーナツは穴の空いたものであるという認識は一般的なのかと思います。
それでは
ドーナツは穴の空いたものである
と定義してみますと、
ドーナツは穴があるからドーナツなのだ。
ということになります。
穴は空間であり、実体が無いのですが、
これが「ある」というのは、
まるでアウトドア般若心経のように
「空(くう)」が有る
と類似しています。
実体の無いアイデンティティ
実体の無い空間があるからがゆえ、ドーナツとしてのアイデンティティが保たれる。
それではドーナツたらしめている穴だけを食べるということが出来れば、
残った物はもはやドーナツでは無くなるのですね。
しかし、穴だけを食べることは出来ないですね。
そんなことを思っているとなんだか
萩原朔太郎の「死なない蛸」が思い浮かびました。
不思議な話なのですが引き込まれていた学生の頃の思い出が蘇ります。
それではドーナツの穴だけを残すことが出来るでしょうか。
ドーナツを穴だけ残して食べる方法
なんとも興味深いタイトルの本があります。
あらゆる分野のエキスパート(研究者)が、
ドーナツを穴だけ残して食べる
という命題に対して様々な切り口から論じている実に希有な書です。
人間はドーナツである
人間のカラダには、口から肛門までに胃や腸がありますが、ひっくるめて考えると1本の消化管が通っている(貫通している)といえます。
よって見方によっては、人間はドーナツであるといえるかもしれません。
お腹が痛いと、例えば、胃や腸を痛めたとき、私たちは体の中が痛いと感じるのですが、
消化管は体の外か内かといえば、「外」ということが解剖学的にはいえるのです。
だとすると胃もたれで胃(胃壁)の表面が荒れているというのは、体の外側が傷ついている、つまり膝を擦りむいたのと同じということになるのですね。
なにをさっきから屁理屈ばかりこねているんだ。
と仰りたい方。
そうです、屁理屈です。
ここまでお付き合い下さって感謝申し上げます。
後生ですからあと少しお付き合い下さい。
人間がドーナツなら、人間のアイデンティティは、消化管として体に通っている空間、つまり穴によってあるのだろうか。
穴があって、そこを食べ物が通り、栄養や水分などが体の「内」へと吸収される。
必要ない物は体外へ排泄物として放出される。
この営みが出来なくなったら人間として生きて行かれない。
すると人間の体を突き通す穴は人間たらしめる穴である。
といえる。
あとがきなんて大層なものではないですが…
やはりドーナツの穴は必要なのです。
食べられない穴なんて要らないよ、なんて冷たいこといわないであげてください。
え、誰もいっていない?
ここまで読んで下さった方、
申し訳ございません。
今日はこのようなカタチになってしまいました。
心にぽっかりと穴でも空いているのでしょうか…
おしまい
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