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40代情シス女子、これまでの自分の転換ポイントを振り返ってみる

 20年以上社会人をしていると、いろいろありますってことで。

社内セミナーの講師に立候補する

 新入社員で情シスに配属されたころのこと。グループウェアツールを導入することになり、情シスで社内向けセミナーをやることになりました。入社数週間だった私は当日のサポート程度で予定していたのですが、当日になって、講師予定だった社員がお休みに。
 上司の方が、

「うーん、しょうがないなあ…やってみる?」
「はい、やってみます」
「うん、やっぱり無理だよね、じゃあ俺が…えええ、やる?」

 当時、基本的に「断る」ということを知らなかった私。そのまま受けちゃいました。

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 結果、面白がってそのままやらせてくれて、意外に好評だったので、その後も何度もやることになりましたが、この当時から「受けちゃえば何とかなる」という妙な自信が身についた気がします。

 あまり考えず前に出ることも大切。

新規事業立ち上げのメンバーに選出されて地獄を見る

 これは下記にもちらっと書いていますが、めちゃめちゃしんどかった。 朝8時から夜0時までデフォで働いて、朝3時過ぎに帰って5時まで寝てシャワー浴びて8時に家を出るとか、心が折れそうになる日々でした。

 当時のことを思い出すと、小説がかけそうなくらい濃い日々だったですが、具体はまずすぎて書けない(笑)。

・メンバー選出時、私だけが選出される。
・選出時に新規事業の部長が「〇〇さん(私)以外はいらない」と言い放ち周囲の恨みを買い助けてもらえなくなる
・パートさんや仲間と奮闘し、成果を上げる
・心身の調子を崩し、イライラして周囲とうまくいかなくなり、生活が大きく乱れる
・いろいろな人がサポートしてくれて立ち直りかける
・予期せぬトラブルに巻き込まれリーダーとしてのキャリアが途絶える

 仕事力はめっちゃ向上しましたが、生活が乱れ、心身がおかしくなり、最終的にはトラブルに巻き込まれキャリアが途絶え、情シスに戻ることに。

 ここで学んだのは、「個人プレーだけではマイナスになることもある」ということです。個人であまりにぶっちぎって成果を上げすぎると人の恨みを買う。成果をあげればよいと思っていたのですが、チームで成功しないといけないというあまりにも当たり前のことが、わかっていませんでした。

 まあ、わかっていたとしても、そもそものメンバー選出されたのは私の責任じゃないけどな! 保守的だって切り捨てられたほかのメンバーの問題ですけどね!

情シスに戻り、DXの波に放り込まれる

 これは現在も絶賛進行中です。上記で事業本部側で出世の道から外れた私は、退職を考えて相談もしていたのですが、結果として古巣の情シスに「戻っておいで」と呼び戻されます。「おかえりなさい」って、泣きそうになったよママン…。

 と思ったらいきなり修羅場に放り込まれます。いい話じゃなかったのかよ!

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 そのあと、ipadを100台以上一人でセットアップしたり、ネイティブアプリの開発をすることになってAPIという言葉を知り、その流れでいきなりAWS導入のプロジェクトを仕切ったり、フロントサービスの一斉リニューアルのRFPを書いてプレゼンを仕切ったり、まあいろいろと。

 さらにその後、業務システムに移って基幹システムの刷新に取り組んだりといろいろあるのですが、これはおいおい。

 ここで分かったのは「専門性を生かして主体的に動く」ということです。

 今までは、事業本部が提案したものを実現させるのが情シスでしたが、情シスがビジネス設計を提案するようなことも出てきて、面白い時代になってきたなあと思っています。




 



 



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