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話したらスッキリする、なんて嘘だと思う。

大切にしてきた、というよりも傷つかないために、という言い方のほうが正しいのかもしれない。自分の過去の経験を、誰かに話してしまう事。これが思っていた以上にダメージだった。

高校生の時、安易にそれを話して周りを困惑させてしまったことがある。事実を伝えた時に見えたのは、タブーを犯した人へ向けられるような引きつった表情だった。情報というのは怖い。誤解されて不特定多数の人に届くこともある。その恐怖が、後から襲ってくる。だから不用意に話すべきではないのだとそれ以来口にしてこなかった。

またカミングアウトの怖さは、それをした後の自分が今までとは異なる人物に変化する点にある。つまり、それまでの「私」に対して「カミングアウトをした私」になる。これが結構しんどい。話した時はそうでもないが、次の日から自分に「カミングアウトをした私」というレッテルが貼られている事に気が付いてしまう。

もちろん、良い面だって沢山ある。例えば勝間さんのインタビューなどを読んでみるとよくわかると思う。 https://forbesjapan.com/articles/detail/23392

ただ、それによってこれまでと同じように生活するのが難しくなる一面もあるのだ。バランスが崩れるような感覚に近い。だから、カミングアウトをする相手には、変化後の自分を見せても良いと思えるかという視点が必要だと思う。

昨日話をした相手は大丈夫なはずなのだけど、それでも怖さはなくならない。もう大丈夫だと思っていたけれど、まだまだ僕は恐怖が完治していないらしい。

僕は自分に起こった出来事を話す訓練がいる。少なくとも話せる相手が必要だ。でもそれは誰でも良いわけじゃない。信頼できる相手で信用できる相手で、この自分勝手な僕の気持ちを汲みとれるくらいに余裕のある相手でなくてはならない。

今の場所にはそういった人がいるはずだと思う。もちろん過度に期待はしてない。ただ、少しずつでも話して良いと思っているし、僕も勇気を出していこうと思っている。しばらくは精神的に不安定になるかもしれない。それが怖い。口にしたことで、新たな痛みを覚えるような気がする。それが今後の人生の障害となりかねない。なんだろう、この心境。

カミングアウト、というのかはわからないが、自分の隠してきたことをオープンにするという1つの働きが、こんなにも心に負担をかけるものなのかと虚しくなる。この感覚を、僕はどうしたいのだろう。誰かに聞いてもらいたいのか、それともただ言葉にしたいだけなのか。何が正解なのかわからない。僕はきっと今、混乱している。

#エッセイ #日記 #大学生 #大学院生

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