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セミリンガルについて

最近よく目にする「セミリンガル」という言葉。

2つ以上の言語を身につけようとした結果、どの言語も中途半端になってしまった人のことを指すらしい。

人に対して言うにはなかなか失礼な言葉。
でもそうならないよう注意したくなる言葉。
そして、二か国語以上話す人にとっては、自分は大丈夫かと不安になる言葉。

私も自分のことを振り返りながら考えてみた。

私自身、生後数ヶ月でアメリカに渡り、15年間アメリカで育った。家では日本語、学校では英語。アメリカ人の友達も、日本人の友達もいたので、遊ぶときは英語だったり日本語だったり。なので特に大きな苦労も、大した努力もせずに両方の言葉が自然に身についた気がする。

電話で日本語を話したら相手から疑いもなく日本人と思われ、英語を話したらネイティブと間違われるレベルなので、自分ではバイリンガルだと思っている。セミリンガルかと聞かれたら、上を見たらキリがないけれど、多分そうではないと思う。ちなみに性格は楽観的です。笑

今回考えたのは、
「なぜ私はセミリンガルにならなかったか?」(注意: 楽観的視点でのセミリンガルではないという定義)ということ。

一番の理由は母親のおかげだと思っている。
私の母は、英語が全く話せない状態で父の転勤により、生後間もない私を連れて突然アメリカへ行くことになった。1970年代後半。年齢がバレますね。笑

母が日本語しか話せないので、当然家では日本語。私は兄弟がいなかったせいか、アメリカ人の友達が家に遊びに来た時以外は、一切家で英語を話さなかった気がする。

母は「いずれあなたは日本に帰る」とよく言っていた。アメリカでは小学生で当たり前のお化粧やピアスも許してもらえなかった。だからといって日本語の勉強に力を入れていたかというと、そうでもない。通信教育を全然やらない私にうるさく叱ることもなかった。なので、もちろん日本語の「勉強」は当時は全然できていなかった。週一回の補習校の漢字テストで0点を取ったこともある。

日本の少女漫画が大好きで、毎月届く「りぼん」が楽しみだった。親戚から日本のテレビのビデオが届くと、近所の日本人を家に集めて観賞会をした。4年に一度は日本に一時帰国をしていたが、今では当たり前の小学校への体験入学は一度もしたことがなかった。手が届きそうで届かない日本という国への憧れの気持ちが常にどこかにあった気がする。

憧れの日本とは逆に、アメリカと英語は私にとっては日常だった。成績は良い方だった気がするが、記憶は曖昧。笑 当時はテストや提出物が一番という生徒に、お金やおもちゃをくれる先生が結構いたが、それを目当てに何度もクラスで一番を取ったことは覚えている。読書は基本的に英語の本。漫画は好きでも日本語の本を読むのは苦痛だった。

12歳までそんな生活で日本語と英語を両方話していた。自分の記憶の中では12歳の私はどちらの言葉も流暢に話しているけれど、もしかしたら「セミリンガル」というレッテルが貼られてしまうレベルだったかもしれない。でも、その後も日本とアメリカを行ったり来たりし、年齢とともにバイリンガルに近づいていったと思いたい。

海外赴任が決まったママ友に、現地校に行かせるべきか、日本語学校に行かせるべきか、と相談されることがよくある。私のアドバイスはいつも即答。

「絶対に現地校に行かせるべき!」

言語の恐れを超える経験や学びがたくさんあるし、視野や考えも広がる。海外生活で得られるものは言語だけではない。セミリンガルなんて言葉を恐れないでほしいな〜と個人的に思う私である。

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