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考えることと行動すること

大学生って大学に行かなくなる子が一定数いるんだよね、という話をしていた。

「私もそうでした〜!なんだか足が向かなくなっちゃって。家を出ても寄り道してそのまま一日大学に行かず帰ったりしてました…」
成績は良くはなかったけれど友達はいたしそこそこ楽しい大学生活だったのに。
「たくさん考えるタイプの子に多いんだよね、そういうの…。大学に通う意味とか考えちゃってさ。何も考えずに目の前のことやる子ってそういう発想ないからさ」
そんな言葉が返ってきた。

たしかに、最初に足が向かなくなったのは大学入学後、授業で分からないことが多くなり、周りの優秀さと自分の能力の低さに気づき研究者になることを諦めるという挫折をして悩んでいた頃だったかもしれない。
進路選択間違えたかも、私は理系じゃなかった、入る大学違ったかも、周りより頭悪いし…なんてごちゃごちゃ考えて後ろ向きになっていた。
そして結局何のために生きているんだろうという壮大なテーマまでたどり着いてしまい、自分を見失って勉強に身が入らなくなった。(その結果単位を複数落としてしまい再試にまわる羽目になった。単位は回収できたが再試勉強が辛すぎたので心を入れ替え授業はサボらなくなった)

その後は友人の支えもあって試験を乗り越え単位取得でき、運良く希望の研究室は定員枠争いが発生せず無事に研究室配属された。
しかし試験をクリアするためだけのその場しのぎの勉強しかしていなかった私は大きな壁にぶつかり続け、研究もどう進めればいいか分からず(聞けばいいのに聞くことをしないのは本当に悪癖だったと思う)、モヤモヤしてまた足が向かなくなってしまった。

そこでも負の考えのループにハマった。
もっと勉強しとけば論文に書いてあること分かるのかなとか、先生の話を理解できるのかなとか、いや理解力が足りなさすぎて勉強しても分からなかったよなとか、そんなことから始まって、また自分の人生とか存在意義とかいった壮大なテーマまで到達してしまった。

「そうかもしれないです…私、学生のころ勉強がだんだん嫌になっちゃって、進路選択間違えたかなとか考えてるうちに自分の存在意義まで考えてました…そこまで深く考えずにやってれば楽だったかも…」
今でも考えごとをして手が止まることはある。

「でもねー、ちゃんと考えられるのはいいことだよ。じゃないと空っぽよ!いいのいいの!」
またぼーっと考え始めそうになっていたところを助けてくれた。

すぐに決断してパッと動くことができる人が羨ましい。
エンジンがかかれば一気に加速してどこまでも走っていけるのに、肝心のエンジンがなかなかかからない。
思い立ったらすぐ行動できるのに、思い立つのが遅いのだ。

考えてる間、傷つきはしない。行動していないのだから。
でも全く進まないどころかむしろ後退していることだってある。
できないこと失敗することを恐れて、頭の中で考えてしまいがちなんだろうなと思う。やらないと分からないことはたくさんあるのに。
やらない後悔はいつまでも残るって、自分が一番分かってるのにな。

こうやって考えている時間が好きだったりして、ますます考え事ばかり捗ってしまう。
ふとした出来事からあれこれ考えられることが一種の才能に思えてくるくらいには考え事をしている気がする。
行動できる人のほうが結果を出せるのに。分かってるのに。
足がすくんで結局何もやらずじまいなことは多々ある。

そんな決断力の乏しい私だけれども、好きなことを全力でやってキラキラ輝いている人に憧れて、自分も好きを貫こうと思って、好きな仕事を全力で頑張ったし人間関係を広げようとかSNSとか色々やってみた。
輝いている人は例外なくスピード感を持って行動していたから。

しかし良くも悪くも結局自分は自分でしかないこと、好きを仕事にできる能力も精神力も(それらをまとめて適性というのだと思う)なかったことに気づいて、好きなことも人間関係もSNSも自分のペースでのんびりやろうと決めた。
好きな仕事から離れたしキラキラしてないけれどそれなりに楽しい、そんな自分も嫌いじゃない、なんならとても自分らしい気がする、そんな今。

遠回りはたくさんしたけれど、あれこれ興味のあるものに手を出してみてたくさん悩んだことは無駄ではなかった気がする。
相変わらず考え事ばかりで決断するのが遅い(強調するが思い立ったらすぐ動くのに…)私だけど、考えるだけ考えて行動できなかった学生時代よりはきっと動けている。考えているだけじゃ何も始まらないということを知ったから。

世間ではこれを挫折と呼ぶのかもしれない。それでも私は前向きな気持ちで受け止めている。
遠回りした日々は私に欠けていたものにたくさん気づかせてくれたから。そこで大切な人やものがたくさんできたから。(元々のんびり屋なので成長するのも遅めだったのかもしれない。きっとそう)
負け惜しみだとか何だとか言われても構わない、私にとっては前進なのだ。

常に眩しくなくたっていい。常にダッシュしていなくてもいい。
穏やかで柔らかい光のある、日向があれば影もあるそんな世界で、たくさん考えて時には悩んで、立ち止まっていたかと思えば急に走り出して、歩きたいときは歩いて止まりたいときは止まって、きっと戻ってしまうこともあると思うけれども、不器用な自分なりに進んでいけたら。



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