えみりの暴露 「よくあるメンエス嬢の1日」
そこは住むのに決して魅力的な物件ではないが、麻布十番の駅から徒歩五分圏内にあるコンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションであった。
一の橋の交差点から二の橋へ向かう麻布通りを右側へ少し入り込んだあたりで、昼夜問わず、人通りがそれほど多くない。
麻布十番商店街の外れであり、レストランなどが軒を連ねている場所からも少し離れている。
道から見える各階のベランダには生活感がなく、どんな住人が住んでいるのかもわからない。
午後五時、えみりは店にラインを送り、そのマンションに入った。エントランスを抜けて、郵便ポストから鍵を取り出し、エレベーターで5階の部屋まで上がる。
部屋のドアに鍵を差し込み開けようとすると、ガチャッと音がして内側からドアが開いた。
「あっ、えみりさんお疲れ様でーす!」
早番で出勤していたセラピストのひなが笑顔で出てきた。
舌足らずで、頭の弱そうな子だ。
髪はシャワーを浴びたばかりのように湿っている。
「お疲れ様です」
えみりは素っ気なく返事をして、玄関で靴を脱いだ。
「バタバタしちゃってて部屋出れてなくてごめんなさい」
ひなが心にもなく謝ってくる。
早番と遅番の入れ替えは1時間空けてあるのにまだいるなんて……。
えみりは軽く首を横に振ると、
「ちょっとラストのお客さん居座っちゃって、片付けがまだ終わってないんですよー」
ひなはわざとらしく弱ったような表情をした。
部屋に入ってみると、タオルが散乱していて、床にオイルが残っている。
えみりはむかっとした。
「すぐに片付けるので」
ひなが言う。
「いえ、後は私がやっておくんで」
「でも、悪いですよー」
「いいんです」
えみりは追い払うように言った。どうせ、一緒に片付ける気もないだろうし、同じ空間にいたくない。
「すみません、じゃあ後お願いします」
ひなは陽気に部屋を後にした。
延長を誤魔化している。
えみりはそう思った。
客がまだ帰りたくないとごねて居座ることはよくあるが、流石に1時間経っても部屋の片付けに一切手をつけていないなんておかしい。
シャワーに時間をかけるにしても長すぎる。
それにしても、えみりの働いている店のセラピストが掃除が出来ない人が多い。
しわくちゃになっているタオルをそのまま適当に施術マットに敷いて、セッティングはしてますと見せられるのも腹が立つ。
毎度ほとんどやり直しているので、今日のようにここまで何もされていない方が逆に掃除をしやすいかもしれない。
えみりは腹を立てながらも、そう考えることにし、施術着である短めのキャミソールに着替え、部屋に散乱しているタオルをかき集めた。
その全てを洗濯機に押し込み、蓋を閉めて洗濯から乾燥までのボタンを押した。
そしてクローゼットからクイックルワイパーを取り出して水拭きタイプのシートをつけて床を満遍なく拭く。
店で使っているオイルは水で簡単に落ちるタイプだから、これで床のベタつきは綺麗に落ちるのだ。
拭き終わったシートをクイックルワイパーから外し、ゴミ箱に投げ込んで今度は棚からタオルを5枚引っ張り出してマットにセッティングした。
しっかりシワがないように伸ばして敷き終わり、えみりはようやくひと息入れることにした。
掃除だけで30分かかった。
だがまだ店から客が入ったという連絡は来ない。
一昨日の出勤はお茶を引いた(客が誰もつかず、稼ぐことができずに退勤すること)。
もう今月も半ばに差し掛かるのに、8時間出勤しても一日1人しか接客出来ない日の方が多い。
「閑散期だからしょうがないか…」
つい口から弱音が漏れる。
とりあえず、Twitterでも見て他の店の様子を確認してみようと思い、アプリを立ち上げた。
だが予想に反し、満員御礼のツイートが目につく。
そして決まって満員御礼を謳っているセラピストが載せている写真は、胸の強調やお尻を丸見えで載せているようなエロい写真ばかりだ。
(そりゃ、過剰行為すれば埋まるわ)
過剰行為をするセラピストはメンエスじゃなくて風俗で働いて欲しい。
指名欲しさと、チップを弾んでくれる客にはエロいことをすればいいと考えている女が、メンズエステ業界に以上なスピードで増殖している。
迷惑な話だ。
えみりはセラピスト歴5年になるが、働き始めた時はまだヌキがあるなんていうのは都市伝説みたいなものだったのに、今じゃよくある話になっている。
健全嬢は絶滅危惧種になってきたのかも…。
ツイートを遡って見ていくと、ある店のアカウントの呟きが目に入った。
『閑散期こそ実力が試される時!本指名のお客様を持っている子には時期なんて全く関係ないですよ!』
という文面だ。
えみりは頭にきた。
客が来ないのは店の営業努力が足りないだけだろ。
もっと広告を出せ!
客の取り方を教えろ!
風俗行為をするセラピストを排除しろ!
と、本気でコメントしてやろうかと思った矢先、LINEの通知を知らせるポップアップが光った。
『えみりさんお待たせしました。10分後お客様が来ますのでご準備をお願いします。ご新規様フリーです。』
出勤してから2時間、えみりに今日初めての客に入ることになった。
(10分後とか早すぎ。もっとこっちに余裕持たせてよ)
そう思いつつも、慌てて身なりを整えて、店に置いてある客用のマウスウォッシュで口をすすでいると、予約時間丁度にチャイムが鳴った。
流しにマウスウォッシュを吐き出して、インターホンの前に行き、画面を確認するとごくごく普通っぽいスーツ姿の男性がたっていた。
(そんなキモくない。よかった)
えみりはオートロックの解除ボタンを無言で押した。
1分もしないうちに今度は部屋の外についているチャイムが押される。
えみりは深呼吸をして、玄関のドアを開けた。
「どうぞー」
ドアを開くのと同時にえみりが声をかける。すると客は軽く会釈をして入ってきた。
「えみりです。本日はよろしくお願いします」
「どうも。田中です」
「田中さんですね。よろしくお願いします」
(うわ絶対偽名だこいつ)
そう心の中で思いながらも笑顔を崩さず、部屋の奥へ田中を案内した。
「えみりちゃんかわいいねー。ずっと入ってみたかったんだけどさ、やっと予約取れたよ」
「えーそうなんですか? だったら指名してくれたらよかったのに」
フリーでしかも飛び込みで入ったくせに何言ってんだこいつ。
こんなことを言うやつは、どうせろくな奴じゃない。
リピートも見込め無さそうだし、チャチャっと施術して早めに帰ってもらおう。
田中はえみりの言葉に少しムッとした表情を見せたが何を言うわけでもなく、支払いを終えると、シャワーを浴びた。
戻ってきてから、
「うつ伏せからお願いしまーす」
えみりは指示した。
「俺さーうつ伏せきついんだよね、息苦しくてさ。仰向けだけでいい?」
田中が真面目な表情できいてくる。
(出たよ、うつ伏せ無理マン……)
えみりはイラッとしながらも、
「うーん、仰向けだけだと私ができる技が尽きちゃうから無理なんですよー。できるだけ早めに仰向けにするんでうつ伏せでお願いしますね」
と伝えた。
「大丈夫だよ。添い寝してくれるだけでいいからさ」
おじさんと添い寝なんて、臭くて絶えられない。
「すみませんー、添い寝ってうちの店禁止してるんですよー。」
「えぇ!そうなの?ただ横にいるだけでいいんだよ。触らないからさ」
「禁止されてるんですみません。とりあえずうつ伏せお願いします」
触らないという奴に限って触る。もはやメンエス界の法則のようなものだ。
(ド健全施術けってーい! サービスなんて一切しないから)
えみりは胸を田中の体に密着させるような施術どころか、自身の体の部位が田中に極力触れないように、そして鼠蹊部も掠める程度にのみのマッサージをし続けた。
途中何度か田中はえみりに手を伸ばしきたが、さりげなくかわし、絶対に触れさせないようにした。
そして特に盛り上がりも会話もなく、90分の施術時間が終わり、田中は帰っていった。
(あー疲れた。きもいおじさんはほんと困るわ)
密着は全くしなかったので手と腕以外にはオイルは付いていない。
マッサージも適当にしかしていないので体は疲れてはいない。
だが精神的疲労はだいぶある。
(今日はもう帰りたいな)
受付終了の時間まで後2時間はある。
待っていればもう1人くらい客が入る可能性はあるが、明日は事務の仕事が入っているし、なんだか疲れてしまったから早く帰りたい。
えみりはラインを立ち上げて店のアカウントに連絡をした。
『すみません。お腹痛くて今日は上がらせてもらいます』
するとすぐさま店から返信が来た。
『大丈夫ですか?お大事にしてください。お疲れ様でした』
少し申し訳ないが、今日はもう働きたくない。
店が用意した封筒に今日の売り上げを書いて、店内に置かれたポストへ投函する。
そして施術マットのセッティングと簡単に部屋を掃除して、えみりは部屋を後にした。
「もう夜は寒いなー」
冷え込んだ薄暗い夜の道を歩いてえみりは駅へと向かっていった。
えみりの暴露 〜完〜