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生への執着の末路【カンビュセスの籤】

ヘロドトスの『歴史』.アケメネス朝ペルシアとギリシアのポリスとの間のペルシア戦争を主題とし,オリエントの歴史を綴ったものです.その中でもアケメネス朝ペルシアの勃興の話に着目した藤子F作品,『カンビュセスの籤』を紹介します.

紹介の前に少し歴史のおさらいです.アケメネス朝ペルシアは今のシリアあたりにできた国でキュロス2世が建国しました.このキュロス2世は中東の支配を広げ,エジプト制圧をするも志半ばで亡くなります.この後を継いだのがキュロス2世の子,カンビュセス2世で,無事エジプト制圧を成し遂げます.その後ダレイオス1世では祭儀用の都ペルセポリスが建設されたり,行政都スサからサルデスへ向かう王の道が作られたりと安定期を迎えました.その後マケドニアから出たアレクサンドロス大王によってアケメネス朝ペルシアは滅びます.

今回の話はそんなアケメネス朝ペルシアの中でもカンビュセス2世についてのお話です.ヘロドトスの歴史では第3巻タレイアにあるカンビュセスのエチオピア遠征が該当します.カンビュセスはエジプトを制圧した後,エチオピア(今では現スーダンのクシュがそれに該当するようですが,ヘロドトスの歴史に準じてエチオピアと表記します)に「the table of the Sun」があるというのを聞き,その存在を確かめるためにエチオピアへ遠征しようとしました.遠征前に勅使を送ったのですが,エチオピアの王に攻めてくるなら優秀な軍隊を連れて攻めてこい(意訳)と言われてしまい,これに怒って碌な食べ物も持たせずに遠征に行かせてしまいます.その結果の記述がこれになります:

Before, however, he had accomplished one-fifth part of the distance, all that the army had in the way of provisions failed; whereupon the men began to eat the sumpter beasts, which shortly failed also. If then, at this time, Cambyses, seeing what was happening, had confessed himself in the wrong, and led his army back, he would have done the wisest thing that he could after the mistake made at the outset; but as it was, he took no manner of heed, but continued to march forwards. So long as the earth gave them anything, the soldiers sustained life by eating the grass and herbs; but when they came to the bare sand, a portion of them were guilty of a horrid deed: by tens they cast lots for a man, who was slain to be the food of the others. When Cambyses heard of these doings, alarmed at such cannibalism, he gave up his attack on Ethiopia, and retreating by the way he had come, reached Thebes, after he had lost vast numbers of his soldiers.

The Histories by Herodotus translated by George Rawlinson, Roman Roads Press, 2013年, pp.186 

簡単に意訳します.予定の5分の1も行かないところで兵站が底をついてしまい,連れていた馬などを食べ始めたのですが,それもすぐに底をつきます.ここで引き返せばよかったものの,カンビュセスはまだ行軍を続けます.緑があるところでは草やハーブを食べて生を永らえさせることはできたのですが,ひとたび砂漠に入ってしまえばもう食べるものはなく,一人の男をくじで選んでその男を殺害し,他の兵士たちの食料としたのです.流石にこの食人行為を聞いたカンビュセスは行軍を中止し,エジプトのテーベへと引き返して多数の犠牲者を出しながら遠征は失敗に終わったということでした.


さて,今回の主人公サルクさんは残念ながらこのくじに選ばれてしまいます.くじに選ばれたものの「俺は死にたくない」といって逃げ出してしまいます.そして逃げた先では霧が出て世界が変わっていたのです.

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.107

夜に逃げるときに入った霧が冥府の入り口だったのかなんて思えど,パサルガダエ(キュロス2世によってつくられたアケメネス朝ペルシアの最初の都)に帰るまでは死ねないと自身を鼓舞します.そんな中,暗闇から光明を見出し人がいるのではと勇気づけられますが,足が動かないので一夜明かすことに.

翌日光が瞬いた場所に行くと立派なたたえ物があり,名乗りを上げて進んだ先には謎の機械を操る女性が…….「み,水.た,食べ物を……」と言って力尽きます.

翌日悪夢から目が覚めるとひげが剃られ,服も変えられていました.文句を言うも言葉はまだ通じません.とりあえずご飯にしましょうといって謎のキューブ状のものを出されます.それを食べている間,女性は話し始めます.

いまね翻訳コンピューターを修理してるの。もうすぐおしゃべりが楽しめるわ。でもそれまでまちきれない気持ち。人とお話しするのって1万年ぶりなんですもの。あたしエステルっていうの。齢はね……いってもわからないからいうけど23万歳以上よ。ウウフフ生活年齢はまだ17歳。ここで人をまってるのだれかはわからないけど。あなたじゃないことはたしかよ。

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.121

理解のできない言葉を聞いたところで,おかわりをねだってみてもわからない言葉で断れられる始末.食事終わりにベッドで寝ていても疲れがとれたから都に帰らないとと食糧と水をいただきに行くも言葉が通じず自分で探そうとさまよいます.

ついに食料を見つけるのですが,エステルが銃を構えて迫ります.言葉も気持ちも通じないので押し通ろうとするとついに撃たれてしまいます.水も食糧もいらないから帰してくれと言っても帰してもくれず,一思いに殺せと言っても殺してくれず…….

外の空気を吸ってきましょうとエステルが言い,外の星空を見ながら語りだします.

お客様は外宇宙からくるのよ。このシェルターからは絶えず信号が送り続けられているの。地球外文明に向けて。何万か...…何千万光年か先からの反応を期待して、救いを求め続けているわけ。23万年まったわ。あなたにわかる? 23万年の年月の重みが。こんども梨のつぶてにおわりそう……

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.129-130

そう言って感極まりエステルは涙を流します.そして最後の「ミートキューブ」を食します.そして最後のミートキューブだからまた1万年の冬眠をしないといけない,そのための準備として協力が必要といって翻訳機の修復にエステルは勤しみます.

そして修復が終わりサルクがどういうところにいたのか,何をしてきたのかを話し始めます.これは冒頭のヘロドトスの歴史で紹介したようにサルクはエチオピア遠征に連れられたペルシア軍の一員で,実際にくじを引いて仲間の肉を食べ自身も食べられる側になってしまったときに逃げたと話します.サルクはあの地獄から逃れて神に感謝すると言いますが,それにエステルは地獄を逃れて別の地獄へとびこんじゃったわけねと返します.

終末戦争があったのよ。あたしがまだほんの小さな子どもだったころ………つまり23万と10年ばかり昔ってことね。地球上に生き残ったのはこのシェルターに逃げこんだひとにぎりの人びとだけ...…放射能の消滅をみこして1万年の人口冬眠期間が予定されていたの。冬眠を終えてでてきた人たちがみたのは……予想以上に徹底された鼓膜。文字通りの荒涼とした無機世界。

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.136-137

そんな世界に取り残された人類が何ができたのか,そして実際に何をしたのかを話そうとすると,サルクは聞きたくないと言います.しかし,聞いてくださらなくちゃいけないと言って強引に聞かせます.

「草一本残らないという状況はシェルターの設計者の想定を越えていたわけ。備蓄の食料は底をつくし自給は不可能。そこで溺れる者がつかんだワラというのが地球外文明へ迎えてのSOSなのよ。応答をまちながら皆は冬眠に入ったわ。でも人工冬眠は1万年が限度。次の冬眠に入るには体力をつけるために食物をとらなくちゃならない……」
「食物を……」
「籤引きでね23回冬眠したわ……残ってるのはあたしだけ。」
「すると……あの...…ミート・キューブは………」
「ヘンリーおじさんよ。やさしい人だった……」

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.138-139

23万年空しく待っても次の1万年で来てくれるかもしれない,位置にでも永く生きのびねばならないといって籤を差し出します.

いい? 白い籤が眠る方。赤い印のついてるのが食べられる方よ。

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.139
GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.140

サルクは生きたいがために籤から逃れてきたはずです.しかし,逃げた先でもまた籤を引かねばならない,また食う食われるの選択をしなければならない.そんなことに憤って籤を引くことを拒みます.それでもなんとかエステルは説得を試みます.

あたしたちには生きのびる義務があるのよ。人間からビールスに至るまで植物も含めて、全ての生命あるものの行動の目的は一転に集約されるのよ。声明を永久に存続させようという盲目的な衝動……ただそれだけ。この世にありたいということ。ありつづけたいということ。ただそれだけ。そしていまやあたしたちは有史以前から地球上に発声したあらゆる生命体の代表なのよ。一人でいいの一人生きのびれば十分なの。クローン培養でコピーは無数につくれるわ。さらに遺伝情報の制御で進化の跡を逆にたどり地球の生物の全種族を再生させることも可能なの。だから一日でも永く生きる責任が……おねがい。最後のチャンスなのよ。おねがい…

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.142-143

説得はしますがサルクは外に飛び出し,一人になったところでエステルに言われた言葉を反芻します.反芻し,今度は死から逃げるのではなく死を選びにエステルのもとへ戻ります.どこへ行こうとも死を免れ得ぬならと役に立つ方法で死にたい,そうエステルに告げます.しかし,エステルはサルクが引いた籤がはずれ……つまり眠りにつく方であったと伝えます.もちろんサルクは拒みますがこれも運命だとエステルは言います.

これから一万年眠ってあなたが目覚めたらこんどこそきっと…そんな気がするの。あなたが遠い時空の壁をこえてあたしの前に現れた時から……おおいなる宇宙意志の存在を確信したわ。かかりましょ。時間がないわ。あたしを食べるのがあなたでよかったわ。いくら覚悟していたって。きらいな人の血や肉になるのはうれしくないもの。

GC異色短編集4 ノスタル爺 『カンビュセスの籤』p.145

そして最後に「ミート・キューブのつくり方わね…」と裸になったエステルがおそらくミート・キューブを作る台の上であろうところに座っているコマで終わります.裸なので画像を引用するのはやめておきます.



エチオピア遠征で食べられる役として選ばれてしまったサルク.生への執着が強かったのかはるか未来に飛ばされ,地球で最後の人類となってしまう.そんな話です.この後地球外生命体が来てまた生き永らえることになったのかは不明です.エステルの言う通り助けが来たのかもしれないし,一万年後も空しく地球で最後の人類として生を全うしたのかもしれません.

それに皮肉なのはどうせ死ぬ運命にあったのだからと運命を受け入れてエステルの血肉となろうと決心したところで,選択された籤は生き永らえる方だったことです.ここはサルクが籤を引く前に運命は決まっていたのかもしれません.この生死の選択はサルクがペルシア軍から逃げるか逃げないかと,そこの選択だったのではないでしょうか.そこで逃げる選択をしてしまったがゆえに,生きのびる選択をしてしまったがゆえに死ぬよりも辛いであろう状況に置かれてしまったのです.

それにサルクがこの世界に来た時に「太陽はあんなにも赤く大きかっただろうか」と言っています.おそらくこれは太陽が今よりもずっと大きくなっていることを示していて,人類という種族のみならず地球の寿命すらも残り少なくなっているということなのではないでしょうか.太陽が今と違って鈍く大きくなっているから地球に生命が誕生するような環境でもなくなりつつある.本当に地球外生命に頼らざるを得ないようなそんな状況で,一万年後,サルクはどのような運命を迎えることになるのでしょうか.

この『カンビュセスの籤』という作品は藤子・F・不二雄の短編で最も有名な『ミノタウロスの皿』に匹敵するくらいの名作だと思います.自分の乏しい文才では表現しきれないのが悔やまれるところなのですが,一コマ一コマで描かれる表情などの心理描写が秀逸でずしりとした重みが読んでいるとのしかかってきます.死ぬのが嫌という生命の本能ともいえる感情に従ったことへの皮肉,10人で籤を引いて当たった一人を食べたというヘロドトスの歴史にある記述からよくまあこんな作品を描いたなと脱帽せざるを得ないそんな作品でした.是非とも一度漫画でこの作品は読んでいただきたいと思っています.

というわけでここまで読んでくださってありがとうございました.

― 了 ―

pyocopel

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